第5話 語られる黒歴史
「グレイス商会まではどれくらいかかる?」
「はい、馬車で……あと二十分ほどかと」
割と近いんだなと、俺はマリアの言葉に相槌を打つ。
馬車で二十分と聞くと遠く感じるかもしれないが、帝都はとにかく巨大だ。どれほど道路の整備が行き届いているといっても、馬車で端から端まで移動するとなると半日は余裕でかかるだろう。その広大な範囲に所狭しと建物が立ち並んでいるのだから、帝都の規模の大きさがうかがえるというものだ。
俺は視線を窓の外に向け、流ゆく景色を眺める。
貴族街を抜けると、そこは帝都の中心を貫く大通りだった。石畳の道路を行き交う人々や馬車でごった返し、沿道には色鮮やかな露店がずらりと軒を連ねている。
「このあたりでは、新鮮なお肉やお野菜が買えるんですよ」
「市場か?」
「はい、そのようなものですね。あ、もうすぐこの一帯を抜けますよ」
マリアがそう告げたのと同時に、色とりどりの露店が視界から消え、代わりに白亜やレンガ造りの重厚な建物群が姿を現した。帝都としての豊かな経済力をまざまざと感じさせる風景だ。
「マリア、このあたりは?」
「はい。このエリアは政府関連の施設や、冒険者・木工・鍛冶・服飾などの各種組合が集まる地域です」
日本でいう工業地帯やビジネス街のように、この帝都の中でも綺麗に区画が整理されているようだ。
「畑……農業区画なんかはないのか?」
「そちらは帝都の外周沿いに広がっております。遠くのほうに、帝都を囲う防壁が見えると思いますが、あちらの外側ですね」
「なるほど。防壁の外にあるってことは、魔獣の被害とかは大丈夫なのか?」
この世界にもファンタジーらしく魔獣が存在する。ちなみに魔族とは一切関係なく、単なる危険な野生動物のようなものだ。さっきマリアも言っていた通り、この世界には「冒険者」という職業があり、魔獣の駆除や未開地域の探索などを生業としている。いわばトレジャーハンターのようなものだ。
原作で描かれていた(かつて妹から聞いた)ところによると、この世界には古代の遺跡があちこちに点在しており、そこには未知の技術やオーパーツが眠っていると言われている。それが古代文明の遺産なのか未来文明のものなのか、様々な説が唱えられているが真意は不明らしい。だからこそ、一攫千金を狙って冒険者になろうとする者が後を絶たないのだ。
……っと、いけない。つい思考が脱線してしまった。
「はい。あの防壁の外側には、さらに外敵を防ぐための外壁がもう一枚設けられておりますので」
この巨大な帝都を囲う防壁の、さらにその外側に農地があり、それらをすっぽり覆うように二重の防壁があるというのか。スケールが大きすぎていまいち実感が湧かない。
「で……あの丘というか、山の上に建っているのが帝城ってことでいいのか?」
「はい。あちらがアストライア城になります。エルトリア皇帝陛下の居城でございますよ。アヤ様のお父上……ルミナス様のご当主様もあちらでお勤めをされておりますし、そのうちアヤ様も登城する機会はあるかと」
「……なるべく行きたくないものだな」
帝城なんて言われただけで、今から激しい頭痛と肩凝りに襲われそうだ。侯爵家の嫡男である以上、いずれは顔を出さなければならないのだろうが……できれば一生避けて通りたい。
「その時は、代わりにマリアが行ってくれるか?」
「アヤ様は私のことがそんなにお嫌いなのですか? それとも私を亡き者にしたいのですか」
そう言って、マリアはふっくらとした頬をぷくっと膨らませて拗ねてみせる。
「……冗談だ」
皇帝陛下の命を無視して他人に身代わりを頼むなどしようものなら、最悪のケースでは一族丸ごと処刑されかねない。
「御冗談はほどほどになさってください。あ、もうすぐ到着しますよ」
「リリアーナだったか? グレイス商会の会長は」
「はい」
グレイス商会の商会長、リリアーナ。原作の小説には一切登場しない人物だ。だから、事前情報はゼロに等しい。一応、マリアの話によれば「エルフ族の聡明そうな女性」とのことだったが。
ちなみに、俺が数ある商会の中からグレイス商会を訪問先の一番手に選んだのは、ほかでもない「エルフ族だから」という理由に尽きる。この世界のエルフは新しい技術や珍しいアイデアに対してやけに貪欲で、新しい知識や技術のためなら何でも差し出す気質があると言われている(妹談)。もっとも、商会長が女性だというのは完全に想定外だったが、まあ別段ビジネスをする上では問題ないだろう。
余談だが、なぜエルフ族のリリアーナが帝都で商会長をやっているのかと疑問に思うかもしれないが、この世界ではごく普通のことだ。確かにエルフの国や獣人の国など、特定の種族が大多数を占める国は存在する。だが、だからといって他の国に住むことが禁じられているわけではない。国を出る理由は様々だ――世界を見てみたい、大都市で暮らしたい、あるいは一旗当てて大金を稼ぎたいなど。だからマリアのように故郷を離れて暮らしている者たちは大勢いる。この帝都だって人間が多数派ではあるものの、あたりを見渡せば獣人、エルフ、魔族と多種多様な種族が当たり前のように行き交っている。
話を戻そう。
「ちなみに、俺とリリアーナには面識はないよな?」
「え? ありますが……?」
マリアの予想外の返事に、一瞬思考がフリーズして脳内が完全に停止する。
「え、あるの?」
「あ、はい。以前『街を散策する』と言って、アヤ様が直接グレイス商会に立ち寄られたことがあります。その際にお顔合わせをされているはずですが」
「一応聞いておくが……俺、変なことやらかしてないよな?」
頼むぞ過去のアライア。さすがに余計な真似はしていないでくれよと心の中で必死に祈ったが、その淡い期待はマリアの無慈悲な一言によって盛大に打ち砕かれた。
「はい。問題ありませんよ。……リリアーナ様に盛大に求婚されたくらいですし」
「……は? 誰が?」
「アライア様が、ですが?」
あまりの斜め上の爆弾発言に、馬車の座席からズリッと滑り落ちそうになった。全然「問題ない」どころの話ではない。過去の自分はいったい何をやってくれているんだ? 原作にない部分で勝手にイベントを発生させるの、本当にやめてくれないか。
「……それで?」
「その場できっぱり、丁重にお断りされていらっしゃいましたね。そしたら今度は、『それなら俺の専属メイドになれ』などと仰っていましたが」
涼しい顔で、淡々と黒歴史を暴露していくマリア。
「最悪じゃないか……?」
「まあ、リリアーナ様は非常に聡明な方ですので、アヤ様の傍若無人な振る舞いにも顔色一つ変えず、にこやかに流されていました。端的に申し上げれば、無様にフラれていたということです」
「傷口に塩を塗りたくるのはやめてくれ……」
うちの専属メイド、毒舌すぎやしないか?
「それだけだよな?」
「あ、あと――『そのように仰っていただけるのは光栄ですが……まずは世界を股にかけるような大人物になられてからお願いしますね』といった旨のことを角を立てない淑女の笑みを浮かべつつ、優しくお断りになられておりましたね。にもかかわらず、アヤ様はその日の帰り際に『よし』と何かを決心されたような顔をされておりましたよ?」
どうせ男性をあしらうための、体裁の良いお断り文句に決まっている。
「何を決心したんだ過去の俺は……」
「アヤ様ご自身の頭の中の出来事を、私に尋ねないでください。分かりかねますので」
「それはそうだが……!」
「あ、でも、その日を境に周囲への当たりが酷くなりましたね!私へ暴言もその頃からですよ!」
「そこ、そこが一番重要だからな!?」
なんでそんな重要な情報をさもどうでもいいことのようにサラッと言うんだ。
「過去を振り返っても仕方がありません。大事なのは『今』ですよ、アヤ様」
マリアはそう言って、ピンと背筋を伸ばし、可愛い狐耳をピクピクと揺らしながら堂と言い放つ。
「いやいやいや……マリアは被害者だろうが……」
「過去の失敗を引きずるのは、男らしくありませんよ?」
さらっと正論っぽい綺麗事でまとめようとするな。数週間前まで理不尽な暴力を振るわれていた側なのに、なんでこんなに切り替えが早いんだ。普通、立場は逆だろこういうのって。いじめた側が勝手に謝ってスッキリして、いじめられた側は「謝ったくらいで過去が消えると思うなよ」とドロドロした遺恨を残すのが世の常じゃないのか?
「それより、なんでその話を今まで黙ってたんだよ! もっと前に教えてくれよ!」
リリアーナとそんな香ばしい過去があったのなら、グレイス商会なんて真っ先にリストから除外していたのに――と、俺は思わずマリアを問い詰めるように見据えた。
「――何も尋ねられませんでしたので」
そう言って、マリアは首をコテンと可愛らしく傾げてみせる。
いや、わざとだろこれ。絶対わざとだ。
ここ数週間の彼女のメイドとしての完璧な働きぶりを見れば、優秀なのは痛いほどよく分かっている。それなのに、この肝心な情報を隠していた理由なんて一つしかない。
「仕返しか……? いやまあ、されても文句は言えないけどさ……」
「ふふっ、さあ、どうでしょうね?」
悪びれもせず、妖艶でどこか意地の悪い笑みを浮かべるマリア。
「本当に、心の底から反省してるから……」
「分かっております。もう意地悪はしませんよ」
そう言ったかと思うと、今度は一転してペロッと小さく舌を出して見せる。
やっぱり確信犯だった。まあ、自業自得な上に言い返す言葉もないので引き下がるしかない。完全に身から出た錆だ。
「しかしなぁ……そんな修羅場を踏んでおいて、今さら急に訪ねて本当に大丈夫なのか?」
「あ、そちらは一切問題ございません。なんと言ってもアヤ様は、ルミナス侯爵家の嫡男なのですから」
「そういうものなのか……?」
未だにこの世界の貴族社会の力関係がイマイチ掴みきれていない。身分が上なのは頭では理解しているが、実際のところどれほどの強制力があるものなのか。「死ね」と言えば平民の首が飛ぶような絶対的な権力なのだろうか。
「はい。たとえどれほど繁栄している大商会の一角といえども、リリアーナ様は一平民にすぎません。ですので、侯爵家の力で拉致監禁して、無理やり婚約者に仕立て上げることも不可能ではありませんよ?」
「いや、そんな物騒なこと絶対しないからな!?」
この子はなんなの?なんでサラッととんでもない事を言うの?
「えっ、そのためにわざわざ乗り込まれるのではないのですか?」
「違うからね!? 訪問の目的を事前にマリアにきっちり説明しなかった俺も悪かったけど、そんな強硬手段に出るわけないだろ! たとえリリアーナがどれほど可憐な美人だったとしてもだ!」
「そうなんですか……?」
「そうだよ! 俺を一体どんな外道だと思ってるんだよ!」
「傍若無人な悪役貴族のなれの果て……っと、ふふ、冗談です。今のアヤ様でしたら、そんな野暮な真似をされないと信じております」
優しく、どこか楽しげに微笑むマリア。
完全に、手の平の上で転がされて遊ばれている気がする。俺にリリアーナとの黒歴史をあらかじめ伝えておかなかったのも、「どうせ今のアライアなら変な真似はしない」という確信があったからなのだろう。
俺はガックリと肩を落とし、本日二度目となる深い溜息を吐き出した。
「ほら、アヤ様。到着しましたよ」
「あ、ああ……」
グレイス商会の門を叩く前に、精神的にすっかり疲れ果ててしまった。
だが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。俺は覚悟を決め、重い足取りで馬車から降りた。
その瞬間、肌を刺すような微かな視線を感じる。気配の方に目を向ければ、近くを通りかかっていた通行人たちが、蜘蛛の子を散らすようにそそくさと距離を取っていく。これが侯爵家の権威を恐れてのことなのか、それとも「アライア」という悪名高い名前に対する警戒心からなのか……おそらく後者に違いない。
いくら前のアライアの行動範囲が狭かったとはいえ、過去には今回のような奇行(商会長への求婚)をやらかしているのだ。悪評が一般の平民たちの間にまで浸透していても何ら不思議ではない。
だがどうあがいても過去のツケは帳消しにはならない。こうなったらもう開き直るしかないだろう。
そんな諦め半分な気持ちで、俺は目の前にそびえる建物へと視線を移した。
「ほう……」
目の前に現れたグレイス商会は、歴史ある老舗特有の古臭さや陰気臭さが一切なく、白を基調としたモダンで洗練された高級感のある佇まいをしていた。
センスは悪くない。個人的に、こういうデザインは嫌いではない。
そんな感嘆の声を漏らす俺の背後で、マリアがテキパキと動き出す。
「あなたたちは、ここで待機していなさい」
供として同行していた護衛や御者に対し、マリアが的確な指示を飛ばしている。
当然ながら、ルミナス侯爵家の嫡男がたった一人でノコノコと街を歩き回ることは許されない。出かけると伝えた時点で、マリアが即座に馬車や護衛を手配してくれていたのだ。
「お待たせいたしました、アヤ様。それでは、参りましょうか」
「ああ、今日も頼むぞ」
俺はマリアを従え、緊張感を孕んだ足取りで、グレイス商会の扉へと歩みを進めた。




