第4話 専属メイドの有能すぎる誤算
さて、マリアとの関係改善は多少見られたが、問題はまだ山積みだ。前途多難と言っていい。
なんせ、アライアの現在までの生活は原作小説にも書かれていない(物語開始前の領域だから)ので、これまでの自分がどういう子供だったのか、一切情報がないのだ。
まあ、以前のマリアの怯え方からして、周囲からよろしく思われていなかったのは間違いない。狡猾にその辺りを上手く隠して立ち回っていたならまだしも、十三歳のアライアにそこまでの処世術は期待できないだろう。
そもそも、アライアがなぜ「悪役貴族」になってしまったのかが分からない。小説の登場時点ですでに傲慢不遜な人間だったから、どのようにしてその人格が形成されたのかを知る必要がある。
ひとまず、マリア以外の屋敷の使用人たち、そして両親との関係改善に努めるべきだろう。それに、十五歳の原作開始時期までには、ある程度の人間関係の構築と財産の形成が必要だ。侯爵家とはいえ、今の俺が自由に動かせる金なんてないに等しい。あらかじめ財産を作る方法を確立しておけば、万が一追放されたときでもなんとかなるはずだ。そして何をするにしても、敵を作りすぎるのはよくない。主人公を敵に回すくらいならまだしも、周囲の人間を全員敵に回したら、それこそ首が回らなくなる。
そんな決意をしてから数週間……
***
「「「いってらっしゃいませ、アライア様」」」
俺はルミナス家の紋章が刻まれた馬車に乗り込み、屋敷をあとにする。今日は少し街で用事があるため、マリアを供に連れての外出だ。
そんな俺を見送る為、屋敷の玄関口で、使用人たちが深々と馬車に向かって頭を下げている。
ちなみに、あれだけ苦労すると思っていた家人たちとの関係性は、ご覧のように何の苦労もなく改善してしまった。
(なんでこうなった……)
俺は馬車に揺られながら、深い溜息を吐く。
もちろん、関係が良くなったこと自体は大変喜ばしい。だが、メイド、執事、その他の使用人たちとの関係改善計画をあれこれ綿密に練っていたというのに、それが見事にすべてパアになってしまった。
何があったかというと――目の前の席で、にこにこ顔で座っている俺の専属メイドがすべてを解決してしまったのだ。
あの日の会話のあと、マリアは屋敷の家人たち一人ひとりのもとを訪ね歩き、懇切丁寧に説明して回ったらしい。「アライア様は貴族としての自覚に目覚められました。今は優しくて、とても素晴らしいお方なのです」と。もしそこで「そんなわけが……」などと異論を申し立てようものなら、小一時間ほどマリアの熱弁につきあわされる羽目になったのだとか。
その話を聞いたときは、思わず顔が引き攣ったのを覚えている。
本人から言うならまだしも、メイドを通してそんな弁解をさせるなんて小っ恥ずかしいにもほどがある。すでに俺の評価は地の底に落ちているというのに、恥の上塗りもいいところだ。俺が使用人の立場だったら、「そんなことをメイドに代弁させるなんて……クズが」と軽蔑していたに違いない。
だから俺は、大慌てで家人たちのもとへ謝罪と日頃の感謝を伝えに走った。後追いにはなったが、何もしないよりはましだと思ったからだ。
だが、予想外だったのはその反応である。
「存じております。マリアから伺っておりますので。家人一同、これからも全身全霊をかけてお仕えさせていただきます」と、もれなく全員から温かい言葉をいただいたのだ。
マリアは一体どうやって全員を説得――いや、もはや洗脳――したのだろうか。それは今でも謎のままだ。本人に問いただしても、「事実をお話ししただけですよ~」と呑気に笑うばかりである。
「使用人の皆さんとの関係も良好になって、よかったですね……アヤ様」
狐耳をぴょこぴょこと動かしながら、マリアが嬉しそうにつぶやく。
「いやいや……俺が自分でやらないと意味がないだろ……感謝はしてるけどさ……」
「……? アヤ様の専属メイドである私がやったのですから、アヤ様がやったのと同じ事ではありませんか?」
何を言っているんだ私の主人は、と言わんばかりの真顔で彼女は首をかしげる。
(ああ……こいつは確実に、男をダメにするタイプの女だ……)
もし元のアライアがどれほどまともな人間だったとしても、傍にいるのがこのマリアなら、どのみちあの傲慢不遜な「悪役貴族」が完成していたかもしれない。
「マリア、はっきり言っておく。感謝はしているが、こういう勝手な真似はもうやめてくれ」
「ふぇっ……な、なんでですか……?」
それまでの穏やかな笑顔から一転して、潤んだ瞳がみるみる涙目になる。
「俺が撒いた種なんだから、自分で何とかするのが筋だろ。俺は貴族としてはまだまだ未熟なんだから、俺自身の成長の機会だと思って、マリアには傍で見守っていてほしいんだ」
「うぅ……じゃあ、私には何もするなってことですか……?」
上目遣いで、ズルいくらいにあどけない表情を作って見上げてくる。
「……助言くらいなら、してもいいぞ」
さすがにその顔で迫られると反則だ。
「はいっ!」
ちなみに、両親との関係については……特に改善する必要すらなかったと付け加えておく。なぜなら、両親はもともとアライアを狂おしいほど溺愛していたからだ。アライアのほうが一方的に親を毛嫌いして不遜な態度をとっていただけで、両親からの愛情や扱いは至って普通だったのだ。
まあ、普通というにはいささか度を越して甘やかしている気もするが、待望の一人息子となればそれも仕方のないことかもしれない。
***
「父上、母上。今まで傲慢不遜な態度をとっていたこと、深く謝罪いたします」
「はは、何を今さら気にしているんだ。お前は俺たちの大事な一人息子だからな」
「そうですよ。アヤなら、いつか分かってくれると信じておりました」
といった具合に、父親も母親も「自分の息子なのだから、いつかは立派に育つ」と微塵も疑っていなかった。
あまりの無条件な信頼に、「さすがに甘やかしすぎでは……?」と不安になった俺は、あえてこう切り出してみたのだ。
「もし……私がその、貴族としての義務を放棄し、ルミナス家を没落させるような人間になっていたら、どうするつもりだったのですか……?」
すると、父親は鷹揚に笑ってこう言った。
「ふむ。それならそれで仕方がない。貴族としての自覚なぞ、他人から教えられて理解するものではないからな。周囲を見て、自分自身で気づくものだ。もしアライアがそこから学べずに家を潰すというなら、それがルミナス家の運命なのだろう。お前が今から気にするようなことではないさ」
それが、我が両親の哲学であり、教育方針のようだった。
無理やり形だけの「ノブレス・オブ・リージュ」を叩き込んだところで、中身のない愚劣な貴族が育つだけ。自発的にそれが身につかないような器であれば、貴族としては不適合なのでさっさと没落したほうがいい――ということらしい。
だからこそ両親は、アライアを一人の人間として最大の愛を注いで育てた。親の背中を見て育ち、なるべくしてなる人間になれ、と。
まあ、その教育方針が行き過ぎた結果、あの傲慢な悪役貴族が誕生してしまったわけだから、親のやり方が完全に正しかったとは言えない……いや、結果的に原作では追放されているのだから、あながち間違っていなかったのか?
とにもかくにも、そんな両親だからこそ、俺が頭を下げて謝罪したところで特に驚きもせず、「ようやく貴族としての自覚が芽生えたか」と喜んでくれただけだった。
つまり、アライアが悪役貴族に成り下がった理由は、単なる過保護や甘やかしだけではない、何か別の決定的な要因があったのかもしれない。……まあ、もしそうならそのうち何かしらのイベントが起きるだろう。今はただ、心の準備だけでもしておこう。
***
そんなことをボーっと馬車からの景色を眺めながら考えていたら、
「あの……それで、本日のご予定ですが……グレイス商会に向かう予定でよろしかったですか?」
マリアがかわいらしく首を傾げながら尋ねてきた。そういえば、今日の目的について出発前にちゃんと言っていなかったことを思い出す。
「ああ。」
「そうですか・・・何かお買い物ですか?」
何か含みがあるような言い方をするマリア。
「いい物があれば買うかもしれないが、それよりもちょっと相談があってな」
人間関係の構築については、今の俺の立場では動ける範囲に限界がある。アライアの行動範囲はこれまで屋敷の中だけでほぼ完結していたし、いきなり外に出て勝手な真似をするわけにはいかない。他貴族の屋敷に用もなく押し掛けるのもマナー違反だ。
この世界で気ままに生きていくための地盤を作るべく、もう一つの目標である「資産の形成」をそろそろ始めたいと思い、まずは父親に相談を持ちかけたのだ。相談というか、正確には「商品を開発して商売する許可をもらった」と言うべきか。
もっとも、「開発」などと大層な言い方をしたが、別に俺がチートな特殊能力や万能の現代知識を持っているわけではない。よくある転生ものの主人公のように、異世界でポンと近代兵器や薬品を作れるほどの技術や知恵があるわけでもないのだ。
ただ、大まかな「アイデア」ならある。
例えば、自動車の詳細な構造――エンジンの精巧な仕組みなどはさっぱり分からないが、「こういう構造で、車輪が回り、燃料で動くものである」という概念自体は知っている。俺が目をつけたのは、まさにその「仕組みの着想」だ。
つまり、実用的なアイデアを形にできれば、商売として十分に成立すると思ったわけだ。もちろん、それを形にするための専門的な知識も、資金も今の俺にはない。だからこそ父親に計画を話し、商会へ掛け合う許可を取り付けたのだ。
父親は「好きにしていい。何事も経験だ。家のことは気にせず、思い切りやってこい」と快諾してくれた。「家のことは気にしなくていい」というのは、ルミナス侯爵家の看板を使っていいという意味であり、万が一失敗して家の名を少しばかり傷つけたとしても咎めないという親心だった。
そういう意味でも、やはりあの両親は懐が深く、いい親なのだろう。
「かしこまりました。私にできることがありましたら、何なりとお申し付けください」
マリアは胸元に手を当て、優しく微笑みながらそう告げた。必要なときには的確な助言をするが、余計な口は挟まずに傍で見守っている、という意思表示なのだろう。
和解(?)して以来、マリアはずっとこの調子だ。まだ数週間しか経っていないというのに、今までの自分の不始末をすっかり水に流し、すっかり俺のことを「自慢の主人」として全幅の信頼を置いているかのような態度をとる。
これには正直、まだ少し気恥ずかしさと戸惑いがある。そんなに簡単に人を信じてしまっていいものだろうか。そして、このメイドの優しさに少しでも甘えて胡坐をかいたら、今度こそ完全に信頼を失いそうな気がしてならない。
――もし、これすらも俺を掌の上で転がすためのマリアの高度な策略なのだとしたら、うちの専属メイドは恐ろしい女だ。
「頼むよ」
「ところで……なぜ、『グレイス商会』を選ばれたのですか?」
「ああ……」
このエルトリア帝国の帝都アストライアには、数え切れないほどの商会が存在する。大小問わず挙げていけば数百、下手をすれば千近くにものぼるだろう。さすがに帝都だけあってあらゆる流通の拠点となっているから、それだけの数がひしめいていても妥当ではあるが。
だが、その膨大な選択肢の中から一つを選ぶのは、この世界にやってきて数週間の俺には不可能だ。だからこそ、明確な条件を設けて絞り込むしかなかった。
「まずは、侯爵家と対等に付き合える『格』と、それなりの規模があること。そして、マリアから聞いた会長の人となり、だな」
やはり、最初に向き合う商会の条件として「貴族の商取引の勝手をわかっていること」は外せない。貴族特有のルールを知らない相手だと、後々面倒なトラブルに発展しかねないからだ。その条件に当てはまる商会だけでも、数は数十ほどにまでグッと絞られる。
さらに俺が個人的に重視したのは、「新進気鋭の勢いがある商会」であるという点だ。
歴史ある老舗の商会ほど、新しい知識や型破りな技術を取り入れることに保守的で抵抗を示しがちだと思っている。その点、設立されてから日は浅くとも、急速に頭角を現している成長中の商会であれば、俺の持ち込む奇抜なアイデアにも興味を示してくれるはずだ。まあこれらは俺の勝手な偏見ではあるが、この条件を加えると、該当する商会は二〜三軒ほどにまで減る。
そこまで絞り込めば、残った数軒を直接回るだけでも十分に見て回れる。今回「グレイス商会」を選んだ一番の理由は、マリアがその商会長の顔を知っていたからだ。もっとも、個人的な親交があるわけではなく、以前ルミナス家が別件で取引した際、同席していたことがある――という程度の縁らしいのだが。
「なるほど、そういう理由が……おや、アヤ様、あちらをご覧ください」
マリアの話はそこで途切れない。おそらく、久々に屋敷の外へ出る俺のために、あれこれと街の話題を提供してくれているのだろう。
「今度はあちらです。あそこの建物はですね……」
彼女は楽しげに帝都の様子を説明し続けてくれる。
今のアライアになってからは初めて外の世界へ踏み出した俺にとっては助かる。右も左もわからない赤子のようなものだからな。こうしてマリアが付き添ってくれるのは渡りに橋だ。
俺はマリアの弾むような声を聞きながら、馬車の窓から流れていく活気ある街の景色を静かに眺めていた。




