第3話 気まずいメイドとの距離の縮め方
「それで、きみは……」
「ひぃっ……な、なんでしょう……うぅ……」
さて、メイドとの関係性を改善すると決めたはいいが、この子を落ち着かせるには一体どうしたものか。
「名前は?」
とにもかくにも、まずは名前の確認からだ。
「わ、わ、私の名前をどうするおつもりでしょうか……?」
どうしろと言われても。
というか、名前をどうするも何もないだろう。
「命令だ。名前を言え」
「うぅ……マリアですけど……なんでいまさら……」
さすがの悪役貴族アライアといえども、自分の専属メイドの名前くらいは記憶しているはずだ。それなのに今更名前を尋ねれば、怯えられて当然かもしれない。だが、それにしてもこの子の怯え方は尋常ではない。今までの「アライア」は一体どれだけひどいことをしてきたんだ?
さすがに肉体年齢は十三歳だし、女性を辱めたりするような趣味はなかったとは思うが……精神的な暴力を振るっていたのは間違いなさそうだ。
「マリア」
「は、はいぃ……」
「年齢は?」
「じゅ、じゅうごさいです……」
「わかった。大事な話だ、マリア」
「は、はいぃ……」
「大丈夫。俺は何もしない」
「い、いつものようにひどいこと言ったり……」
「しない」
「叩いたりは……」
「しないしない」
「ほ、本当ですかぁ……?」
「約束する。まあ、今の俺の言葉なんて信じられないかもしれないが、今日……いや、今からマリアに手を上げたり怒鳴ったりはしない。あと、今までひどいことをして、悪かった」
そう言って、俺はマリアの正面に立ち、頭を下げる。
マリアとの間に信頼関係なんてあるはずがない。「信じてくれ」と言って簡単に信じてもらえるものでもない。だからこそ、まずは誠心誠意謝罪するところからだ。
マイナスの評価をまずはゼロに戻す。そこからゆっくりプラスにしていくしかない。地道な作業だが、人と人との関係を修復するには時間をかけるしかない。
まあ、それでも最終的に信頼を戻してくれるかどうかはマリア次第だ。俺が強制することではない。
「……え? え?」
俺が頭を下げるという予想外の行動に驚いたのか、マリアは十五歳というあどけなさを残す瞳をぱちくりとさせる。
ふと見れば、俺とそう変わらない――十代半ばにしては少し小柄な、一五〇センチほどの背丈。肩まで綺麗に流れる栗色のロングヘアと、それに似合った温かみのある明るいブラウンの瞳。あどけなさを残す端麗な顔立ちは、改めて見るとかなりの美少女だと気づく。
「謝罪したところで、今まで俺がマリアにしてきたことがなかったことになるわけじゃない。こんなんで許してもらおうとは思っていない。ただ、今までのことを謝りたかっただけだ」
さらに目を見開き、パチパチと瞬きを繰り返すマリア。まるで目の前で天変地異でも起きたかのような表情だ。
驚くのも無理はない。昨日まで傲慢だった主人が、今日になったら突然頭を下げて謝罪しているのだから。前のアライアの性格の詳細は……妹がアライアの良さを永遠と熱弁するだけだったのでよくわからないが、少なくとも今の俺とは真逆だったはずだ。
そう考えると、マリアが混乱するのも当然か。
いっそ「転生して中身が別人に変わりました」とでも打ち明けてしまおうかと思ったが……いや、そんなことを言ったところで信じるわけがない。頭がおかしくなったと思われるのがオチだ。
「だからマリア。まずは、今まで使用人として支えてくれたことに感謝を。そして、これまでの謝罪を受け取ってくれないだろうか」
「は、はいぃ……でも、べつにその……お仕事ですから……」
そうだな、謝罪の許しを無理に強いるのは俺の都合であり、ただの自己満足だ。まずは感謝から始めるのが筋というものかもしれない。
「そうだとしても、感謝は伝えるべきだろう」
「そ、そうですかね……ふふっ」
そう言って、マリアは緊張を解くように少しだけ微笑んだ。
いい感じだ。少しは恐怖心が和らいだらしい――と思った矢先のことだった。
ぴょこ。ぴょこぴょこ。
あれ。粟色の髪の間から、何やら動物の耳のようなものがひょっこりと顔を出した。さっきまでそんなものが見えるはずもなかったのに、一体どういうことだ。
「マリア、頭から耳が……」
「え、あ、あえっ?」
指摘された彼女は、あわてて自分の頭に手をやり、感触を確かめる。
「ひゃああぁっ……! す、すいません! もうしわけございませんっ……なんで? あれ、なんで隠れてないのっ!?」
大慌てで頭を押さえ、必死に謝罪し始めるマリア。
そこまでパニックになるようなことでもない気がするが……。
「いや、別に気にしなくていいよ?」
「は、はい! すいません! いや、そんな! もうしわけ……! ……え?」
――こいつは何を言っているんだ、と言わんばかりの間抜けな表情になるマリア。
「だから、気にしなくていいって。そもそも、どうやって隠してたんだ?」
さっきまで普通に会話していたが、まったく気づかなかった。さすがに見落とすはずもない。
「……その、魔法で……といいますか……。そんな穢らわしいものを見せるなと、おっしゃったのはアライア様ではないですか……。だから、魔法を覚えて……ずっと隠していたのに……」
「……それは、本当に悪かった」
どうやら、諸悪の根源はやっぱり過去の俺らしい。
この世界では、獣人が過酷な差別に晒されているという話は表立ってはなかったはずだ。種族間の相性が悪いケースはあるが、それは人間同士のいざこざと大差ない。公に人種差別をすれば、それだけで白い目を向けられる……まあ、現代日本と一緒だな。
だから本来、マリアがわざわざ獣人の特徴である耳を隠す必要なんてないはずなのだ。それなのに、隠さなければ生きていけないほど怯えていたとなれば――原因は一つしかない。
「もう隠さなくていいよ」
「で、でも……」
「マリアがそうしたいなら止めないけど。もしかして、自分が狐人族であることが恥ずかしいの?」
「そ、そんなことはありませんっ!!!!」
耳をピンと立て、今までにないほどの大きな声で即答するマリア。
だろうな。原作小説の中でも、エルフや獣人といった種族は総じて自分たちのルーツや誇りを非常に大切にしていた。その設定を思い出し、あえてそこを突いた形だ。
ちなみに「狐人族」というのは当てずっぽうだったが、見事に当たっていたらしい。
「確か、尻尾もあるんだよね?」
「ええ、一応はありますが……」
「それも、別に隠さなくていいから」
「……本当に、いいのですか?」
「うん。それも含めて、『マリア』という俺の専属使用人なんだからかまわないよ」
「……はい、かしこまりました」
どこか照れくさそうに、しかし嬉しそうに答えるマリア。背後で、隠しきれなくなったふさふさとした尻尾が軽く揺れているところを見ると、機嫌はかなり良さそうだ。
「念のために確認なんだけど、マリアは俺の専属使用人で間違いないよな?」
「え? あ、はい。そうでございます。専属になれとおっしゃったのは、他ならぬアライア様でございますよ……? そもそも獣人が嫌になったのなら、最初から他の者……あ、い、いまのは違います! 申し訳ございません、ひっ……!」
失言したと思ったのか、再びビクッと体を硬直させて慌てふためくマリア。
「いいよ、いいよ。そんなふうにざっくばらんに接してくれて構わないから。さっきも言ったけど、もう暴言なんて吐かないって」
というか、マリアの言う通りだ。そこまで獣人が嫌なら、最初から専属に選ばなければよかっただけの話なのだから。
(あー……もしかしてあれか?)
そういえば、今のアライアはまだ十三歳だ(中身の俺は十八歳だが)。子供特有の恥じらいというか、好意を素直に伝えられなくて、逆に意地悪をしてしまうアレかもしれない。いわゆる「好きな子ほどいじめたくなる」というやつだ。酷い子供になると、そのままいじめに発展してしまうこともある。
(マリアは文句なしの美少女だしな。……まあ、理由としては納得できなくもないが)
「ほ、本当ですか……?」
「うんうん、安心していいって」
「はい……よかったですぅ」
心底ホッとした様子で、マリアは胸をなでおろす。
「あの、アライア様?」
「ん、どうした?」
「では、ご遠慮なくお伺いしますが……。急に、どうされたのですか……? いつもなら……その……」
そう言って、メイド服の裾をそわそわとつまみ、ごにょごにょと言葉を濁すマリア。
いちいち仕草が可愛らしい。前のアライアが虐めたくなる理由も……いや、だからといって酷いことをしていい理由にはならないが。
「ああ、夢を見たって言っただろ?」
「はい」
さっき質問攻めにした際、「奇妙な夢を見たせいで現実との区別がつかなくなり、記憶や性格にちょっと変化があった」という都合の良い設定を作っておいた。
「その夢の中でさ、貴族としての義務……いわゆる『ノブレス・オブ・リージュ』ってやつに目覚めちゃってさ。俺ももう十三歳だし、そろそろちゃんしないとルミナス家に泥を塗ることになると思ったんだよね。もっとも、今さら泥を塗りまくって手遅れかもしれないけどさ」
「だ、だいじょうぶです! そ、その……手遅れかもしれませんけど……! まだ、なんとか……! たぶん……だいじょうぶ……ですよ?」
うん、随分と思い切った直球を投げるね、君。十三歳の子供に向かって「手遅れ」と肯定しかけるなんてよく言えたものだ。「ざっくばらんに言っていい」とは言ったが、早速アクセルを踏みすぎではないだろうか。
だが、こういう物言いをするあたり、マリアも案外いい性格をしているのかもしれない。嫌いじゃない。むしろ、こういうタイプは好きだ。
「そ、そうかな? まぁ、そういうことだからさ。もし俺が、侯爵家の嫡男としておかしな振る舞いをしそうになったら、遠慮なく指摘してくれるか?」
「え、その……本当にいいんですか?」
「頼むよ、専属メイド様」
「わ、わかりました!」
頑張ると言わんばかりに、小さな拳をギュッと握りしめて力強く頷くマリア。
「まあ、そんなに肩肘張らずに気楽にいこう。あとさ、『アライア様』だとちょっと堅苦しいから、私的な場所では別の呼び方……そう、俺の愛称で呼んでくれないか?」
「い、いけません! 使用人の身でそんな不敬な……!」
「公式の場じゃなければ問題ないって」
「で、でも……」
そういえば、原作の中でのアライアは、身内や親しい人間から愛称である「アヤ」と呼ばれるのをものすごく嫌がっていたな。母親や父親が親しみを込めてそう呼ぶだけで、脊髄反射的に顔をしかめて嫌悪感を露わにしていたのを思い出す。
うちの妹は「あいつは自分の名前の響きが女っぽくてコンプレックスだから、愛称で呼ばれるとイライラするんだよ!」と勝手に推測していたが……本名が「アヤ」の俺に向かって「女っぽい名前で可哀想」と言い放つ妹の感性もなかなかなものだ。
「マリアなら、いいよ」
「……わかりました。でしたら、そこは『許します』が正しいかと」
「なるほど。『マリアなら許す』、ね」
「はい」
先ほど自分で言ったばかりの「侯爵家らしくない言葉遣い」を、さっそく的確に指摘してくれる。こういうブレーキ役がそばにいてくれるのは、案外悪くない。元現代日本の、ただの高校生だった俺にとって、慣れない貴族の作法をゼロから叩き込んでくれる存在は心強い限りだ。
「これからも色々迷惑をかけると思うけど、俺の専属として――よろしく頼む」
そう告げると、マリアはスッと背筋を伸ばし、見事なまでに優美で洗練されたメイドの礼を披露した。
「ふふっ……。かしこまりました、アライア様。――いいえ、アヤ様」
少しずつ、けれど確実に。
ギクシャクしていた二人の間に、本当の意味での信頼関係の芽が息吹いた気がした。




