第9話 裏通りのアンティーク雑貨店
ルミナス侯爵家の広大な敷地の一角に設けられた屋外演習場に、金属がぶつかり合う鋭い音が響き渡る。
「そこ、重心が浮いています。相手の剣筋ではなく、足元を見るのです、アライア様」
厳格な声音でそう告げたのは、我がルミナス家に雇われた専属の武官だ。分厚い板金鎧を身にまとった大男で、教え方は文字通りスパルタに近い。名前を名乗る必要もない、我が家が抱える数多の訓練官の一人に過ぎないが、その実力は確かだった。
その武官に向かって、俺は息を荒げながら木製の訓練用剣を振るった。
「くっ……!」
だが、相手の巨体は微動だにせず、軽く柄で受け流されるだけで、俺の体勢は簡単に崩されてしまう。そのまま足払いをかけられそうになり、慌てて後ろへと飛び退いた。
「そこまでです。休憩としましょう」
ふう、と大きく息を吐き出し、俺はその場にどっと座り込む。
あれから数週間。父上に頭を下げて専属の家庭教師をつけてもらい、毎日のように基礎的な剣術と、わずかに眠っていた魔力を用いた身体強化の訓練を叩き込まれてきた。その成果もあり、最初のうちは木刀を振るだけで筋肉痛に悶絶していた貧弱な身体も、それなりに引き締まり、最低限の動きはできるようになったはずだ。
「お疲れ様です、アライア様。お茶をどうぞ」
演習場の脇で控えていたマリアが、手際よく冷えたハーブティーの入ったグラスを差し出してくれる。俺はそれをひったくるように受け取り、一気に飲み干した。生き返るような心地がする。
「マリア、いつも助かる」
「ふふ、私はアライア様の専属でございますから」
そう言いながら嬉しそうに尻尾をゆらゆらと揺らすマリア。
相変わらず俺に辛辣なマリアではあるが、今では何も言わずとも側に控えて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
「ところで……どうだ、今日の出来は?」
グラスを置いた俺に、武官は腕を組んだまま厳めしい顔で頷いた。
「数週間の突貫工事としては、上出来と言わざるを得ませんな。不意打ちを一度くらいならいなせる程度の反射神経と基礎は身につきました。――ですが」
武官は鋭い視線を俺に向ける。
「お遊びではなく、本気で命を狙われる貴族社会を生き抜くには、これだけの武力では到底足りません。ですがアライア様は表立って前衛に立つわけではないのですから、自身の剣技を磨く以上に重要なことがあります。」
「……だよな」
俺は苦笑いを浮かべながら立ち上がった。相手の言う通りだ。俺が目指しているのは剣豪になることではない。いつ背後から刺されるか分からない悪役貴族のポジションにおいて、最も必要なのは「自分を確実に守ってくれる者の存在」だ。
「というわけで、マリア。今日の訓練はここまでにする。そろそろ約束の件、動くぞ」
「はい。待ち遠しゅうございました」
マリアはにっこりと微笑むと、懐から折りたたまれた上質な外出用のコートを取り出し、俺の肩にかけてくれた。
そう、今日は家庭教師による基礎訓練を一区切りとし、いよいよ自分の身を守るための「護衛」を探しに街へ繰り出す日なのだ。
***
馬車に揺られることしばらく。帝都の中心街を抜け、治安の少し悪い裏通りや、薄暗い酒場が立ち並ぶ一角に近づいたところで、俺たちは馬車を降りた。
ちなみに今のマリアは、いつものメイド服ではなく、動きやすいパンツスタイルだ。女の子らしい可愛い服とは程遠いが、裏通りを歩くには理にかなっている。そのような姿のマリアを見るのは新鮮で、最初見たときはちょっとびっくりした。
「俺としては、ただの腕っぷしの強い騎士崩れや、目立つ傭兵を雇うつもりはないんだ」
歩きながら、俺は隣を歩くマリアに自分の理想を語る。
「というと?」
「影からの護衛、つまり……『暗殺者』や『諜報』の気配を持った人材が欲しい。俺が屋敷のなかにいるときも、外出しているときも、敵に気付かれずに影から守ってくれて、いざというときは相手の喉元を正確に掻き切れるような、そういう裏の専門家が理想だな」
俺の言葉に、マリアは少しだけ目を丸くし、それから面白そうにクスクスと笑った。
「アライア様も、なかなか物騒なことをお求めになられますね。表向きは侯爵家の品行方正な嫡男であらせられるのに、求めている側近はすっかり裏社会の住人ではありませんか」
「そうか?そういう人間のほうがいざという時役に立つと思うんだけどな」
もっとも、俺がこの世界について知っているのは原作小説の知識くらいのものだ。だが、作中で描かれる華やかな貴族社会の裏側には、きな臭い陰謀や暗部が確実に存在している。表の人間だけでは到底守り切れない脅威だっていつ降りかかってくるとも限らない。それに何より、先手を打つための情報収集は大事だ。
――なんとしても、そういった手練れの人材を確保したいものだ。
「そういうものですか。ちなみに性別にご指定はあるのですか?」
「まあ……出来れば女の方がいいだろうな」
「また……ですか。リリアーナ様だけでは飽き足らず……」
周囲を凍らせそうなどこか冷たい目で見つめてくるマリア。
「いや、誤解だ。リリやマリアを守ってもらう時も多分あるだろ。だから、ほら、女のほうがだな……何かと都合が……」
「わかってますよ、アヤ様」
ペロッと舌を出して茶目っ気たっぷりに笑うマリア。
――冗談か。相変わらず主人で遊ぶのが好きなメイドだと、俺は盛大な溜息を吐いた。
まあ、とにもかくにも問題はどうやってそういう人材を探すかだ。街の掲示板に「求人:裏社会に精通した暗殺者募集(高給)」などと貼り出せるわけがない。そんなことをすれば、帝都の治安維持組織や胡散臭い連中に目をつけられてしまう。
「で、どうやって探すんだ? ここに連れてきたって事は何か心当たりがあるんだろう?」
マリアのことだ。俺がどういう人材を欲しがっているかなんて、言うまでもなくお見通しだったのだろう。そうでなければ、わざわざこんなきな臭い雰囲気の場所に連れてくるわけがない。
そう思い至って問い質すと、マリアはふふんと鼻を鳴らし、得意げに胸を張った。
「お任せください。お望みの帝都の『裏』についての情報収集はすでに済ませております」
「ええ、もう?どうやって……?」
「それは――乙女の秘密です」
にっこりと微笑むマリア。彼女にそんな裏の世界のツテなんてあるはずがないのだが……ないよな?
これ以上追及しても教えてくれそうにないし、下手に詮索して墓穴を掘るのも面倒だ。深く考えるのはよそうと、俺はそっと思考を切り替えた。
「あ、こちらです」
そんなマリアが指し示したのは、帝都の外れにある、一見するとただの寂れたアンティーク雑貨店だった。
看板には煤けた文字で『古い時計と日用品の店』と書かれているが、窓ガラスはスモークがかかっていて中の様子が一切見えない。通りの雰囲気も、先ほどまでの活気が嘘のようにどんよりと淀んでいる。
「ここか?」
「はい。表向きはガラクタを売る店ですが、その地下では帝都の『夜の仕事』を斡旋するブローカーや、組織に所属しないフリーの裏稼業の人間たちが情報交換を行っているという噂です」
「なるほど……いかにもだな」
俺たちは店の前に立つ。
古い木製の扉には、小さな真鍮の鈴がついており、押せばチリンと寂しげな音が鳴る仕組みだ。
「アライア様、よろしいですか? ここは貴族の坊ちゃんがのこのこやってくるような場所ではありません。面倒な輩に絡まれる可能性も高いですが」
マリアは念を押すように俺の顔を覗き込んだ。その瞳には微かな警戒の色と、それを楽しんでいるような好奇心が入り混じっている。
「かまわん。マリアのことはちゃんと守るから安心しろ」
「ふふ……そうですか、それでは期待しておきますね」
正直、見栄を張った。今の俺にマリアを守る実力があるとは思えない。ただ、マリアは口とは裏腹になんの心配もしていなさそうだ。何か秘策でもあるのだろうか。
とにもかくにも、俺は覚悟を決めると、古びたドアノブに手をかけ、重い扉を押し開けた。
チリン、と乾いた音が響く。
店内に足を踏み入れた瞬間、外の明るい日差しが遮られ、埃と古いオイル、そしてどこか血と錆の混じったような独特の臭いが鼻を突いた。
狭い店内の棚には、埃をかぶった古い歯車や、使い道の分からない奇妙な魔導具、さらには不気味な獣の骨などが雑多に積み上げられている。カウンターの奥には、片目を眼帯で隠した大柄な男が不機嫌そうに座っており、俺たちが入ってきたのを見ると、ギョッとするような鋭い視線を向けてきた。
「……おいガキども、ここは子供が冷やかしに来るような店じゃねえぞ。さっさと帰んな」
男の低く濁った声が、狭い店内に響く。
普通の子供ならここで怖気づくところだろうが、そんなことは覚悟の上だ、と内心で不敵に笑い、微動だにせず男を見据えた。
「冷やかしじゃない。俺たちは『品定め』に来たんだよ」
「ほう……?」
男が片眉を上げ、値踏みするような目で俺とマリアをじろりと睨みつける。
ただの子供ではないと察したのか、男は不気味な笑みを浮かべ、カウンターの板を指先で軽く叩いた。
「品定め、ねえ。あいにくうちには子供の玩具なんて扱ってねえんだが。お前さんたち、何を探しに来やがった?」
「言葉通りさ。この店の下にいるという『腕利き』に用がある。他言無用の仕事を頼みたいんだがね」
俺の堂々とした物言いに、男の片目がわずかに見開かれる。
男はしばらく俺の顔をじっと観察していたが、やがて低い声でふっと笑った。
「……どこぞの貴族様が裏の仕事を御用聞きか。世の中も変わったもんだ。いいだろう、案内してやる。ただし、何が起きても知らねえがな」
男がカウンターの脇にある隠し扉の鍵をガチャリと開ける。
暗く続く地下への階段から、ひんやりとした湿った空気が這い出てきた。
俺は一歩を踏み出し、ひんやりとした闇へと静かに身を滑り込ませたのだった。




