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悪役貴族に転生したけど原作を無視して自由に異世界を往く  作者: 天霧 翔
第二章: 一年の果実と交錯する運命
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第16話 黒髪の紫水晶と、影を抱く令嬢

ルミアとの魔法談義、そして日々の訓練は、悪くない――いや、想像以上に居心地の良いものだった。


だが、いつまでも実験室に籠もってばかりいられるわけではない。来るべき原作の波乱に備えるためには、ルミアに引き続き、他の盤面の駒もそろえる必要がある。


「――で、ルナ・バレンタインか」


自室のソファに深く体を沈め、俺は手元に置かれた一枚の羊皮紙に視線を落とした。

そこに描かれているのは、深い夜のような漆黒の黒髪をショートボブにし、どこか影のある紫水晶のような瞳をした少女の横顔だ(作画:シズル)。常に黒を基調とした落ち着いた衣服や、肌を隠すようなゴシック調のセンスを好む、孤高の美少女。


原作における彼女のポジションは、物語の裏側で独自の物語を紡ぐ「もう一つの主役」と言える存在だった。表向きは気品ある貴族の令嬢にすぎない。だが、その裏の顔は――。


「アヤ様……お待たせしました」


トントン、とリズミカルなノックの音とともに、マリアが静かに入室してきた。彼女の手には、バレンタイン家に関する分厚い調査書類の束が握られている。


「ルナについての『裏取り』は済んだ?」


俺が問いかけると、マリアはいつもの涼しい笑みを崩さず、スッと俺の対面に腰掛けた。その際に、上品にまとめた服の裾から――ふわりと柔らかそうな尻尾が優雅な弧を描いて揺れる。


「ええ。アヤ様が予見されていた通り……いえ、それ以上に香ばしい事実がいくつか判明しました」


マリアは書類の一枚を抜き取り、優雅な手つきで俺の前に差し出した。

不機嫌なときや退屈なときとは違い、今の彼女の尻尾はどこか楽しげに、緩やかなリズムで左右に揺れている。主の好奇心を刺激する獲物を見つけた猫のように。


「表向き、ルナ・バレンタインは『優れた才覚を持つ高潔な令嬢』として社交界でも一目置かれています。ですが――それはあくまで、彼女が自身の目的を隠すために纏っている『仮面』にすぎませんでした」


「……だろうな」


俺はうなずき、書類に目を走らせた。そこに記されていたのは、表向きの華やかなプロフィールからは到底想像もつかない、あまりに痛ましい彼女の過去と真実だった。


ルナ・バレンタイン。

彼女が抱える『ある秘密』――それは、彼女の生家であるバレンタイン家が数年前に受けた、不可解な当主の急死と血塗られた権力闘争の真相に端を発している。


「彼女の両親を死に追いやったのは、帝国中央で暗躍する非合法の闇組織――『黄昏の螺旋』です」


マリアが冷ややかな声で告げる。


(よかった、記憶通りだな……そのクソダサ組織名には聞き覚えがある)


原作小説でも度々聞いた名だ。正直その厨二臭い響きには思わず吹き出してしまったのを覚えている。自分の所属している組織がこんな肩書を背負っていたら、即刻脱退する自信がある。


「さすがだな、マリア」


これで俺の原作知識とマリアが水面下で集めてきた裏付けが完全に合致した。


そう、バレンタイン家の悲劇は、単なる権力闘争などではない。彼らが開発・保有していた極めて実用性の高い『新型魔導鉱石の精製法』――その技術が市場に出れば既存の大手ギルドの利権が根底から覆るため、組織を裏で操る貴族たちが、バレンタイン家を潰して特許と資産を丸ごと横取りするために計画した、あまりに泥臭い利権争いだった。


生き残ったのは、趣味の禁忌の古文書や文献の収集・解析に熱中し、帝都の巨大図書館や地下書庫にこもりきりの生活を送っていたルナだけ。


「なるほど……そんな理由だったのか」


彼女だけが生き残った理由は原作にかかれていなかったので知らなかった。マリアに情報収集させたのも、そういった作中で語られない部分を補うためだ。


そしてルナはおとなしく気高い令嬢を演じながら、その冷徹な紫水晶の瞳の奥で、両親と家を奪った者たちへの復讐の牙を研ぎ澄ませている。闇の組織の喉元に牙を突き立てる機会を虎視眈々と狙っている――それが、ルナ・バレンタインの正体。


「性格は冷淡で、他人に興味がないように振る舞う。だが、その内面には激しい情熱や復讐心を秘めている……か」


俺がつぶやくと、マリアはふふっと小さく笑った。


「なんだか詩的な表現をなさいますね。ですが、彼女が単身で組織を追うあまり、近いうちに致命的な『暴走』を仕掛けかねない危険性も、裏付けが取れております」

「……ああ」


彼女はたった一人で復讐の刃を研ぎ澄まし、その圧倒的な知性と執念のままに組織へ挑みかかるがゆえに、逆に深みにハマっていくのが本来のシナリオ。彼女は物語の主人公と並び立つほどの強大なポテンシャルを秘めながら、あまりに強すぎる復讐心と孤独ゆえに、自ら破滅の道を歩みかねない危うさを抱えていた。


――本来であれば、そんな彼女の絶望の淵に原作の主人公であるレオンが踏み込み、不器用ながらも真っ直ぐな救いの手を差し伸べることで、ルナは初めて誰かに心を開き、過酷な運命を乗り越え、組織を壊滅させるはずだった。


だが――。


「彼女の暴走をそのまま放置するのはもったいない、とお考えなんですね」


マリアが俺の意図を察したように、意味深な笑みを浮かべた。


「もったいないというか、放置はありえん」


俺はフッと息を吐き、ソファの背もたれにもたれかかった。


ルナの持つ高い知性と解析能力。原作でも相当な策略家として手腕を振るっていた。味方になれば心強い。そして何より――俺自身が彼女を気に入っている。あの愚妹の言葉を借りるなら「最推し」だ。この小説に出てくるヒロインの中で外見も性格も全部好みだった。だから、あの主人公に取られる前に奪ってやろうという算段だ。


「ルナに接触する。彼女の『秘密』をこちらがすべて把握していると伝えて、組織への復讐を手助けする代わりに、俺の駒になってもらう」


マリアはスッと目を細め、どこか意味深な笑みを浮かべた。


「おや? 駒ではなく、『女』の間違いではございませんか?」

「――何言ってんだ、お前は」


茶化されたことに気づき、俺はわずかに言葉を詰まらせる。その動揺を見逃さず、マリアはクスクスと喉を鳴らした。


「アヤ様の女性の好みくらい、おそばに仕えている私に隠せるわけがありません。あのルナ様は、それはもうアヤ様の好みのど真ん中ではありませんか」

「……その無駄に鋭い洞察力は、今すぐ庭の片隅にでも埋めてこい」


言い返しながら、俺はわざとらしく視線を逸らした。この有能辛辣なメイドめ。わかっていてあえて口に出すあたり、本当に性質が悪い。


とはいえ、マリアの言う通り――黒髪のショートボブにどこか影のある冷徹な美少女というのは、俺の好みで間違いない。だが、それを認めるのは負けた気がする。


俺が小さく舌打ちしたのを面白そうに見届けると、マリアはふっと表情を引き締め、いつもの有能なメイドの顔に戻った。


「しかし、またしても危うい橋を渡りたがることで。ですがアヤ様のご命令とあらば、いつでもお供できる準備はできております」


マリアは手元の調査書類をカサリと綺麗にまとめ、完璧な所作で恭しく一礼した。


彼女の有能さには本当に頭が下がる。隙あらば辛辣な冗談を飛ばしてくる悪癖さえなければ完璧なメイドなのだが。


「じゃあ、ルナを迎え入れるための布石を打つとしようか」


俺がそう告げると、マリアはスッと姿勢を正し、先ほどまでの茶目っ気から一転して静かな笑みを浮かべた。


「承知いたしました。彼女は男爵家の令嬢――無闇に大がかりな手を回すまでもなく、ルミア様の時と同様に、私たちから自然な形で声をかけるのが一番です。彼女が最近よく利用している場所や動線についても、すべて把握しております」

「確かにな。変に裏工作をして警戒されるより、その方が得策だろう」


ルミアの時と同じだな。ルナが喉から手が出るほど欲しい情報を差し出せばいい。


「かしこまりました。では、接触のための手はずは私の方で整えておきます」


マリアが手元の書類を綺麗にまとめ、恭しく一礼した。



***


――数日後。


俺たちは、帝都の片隅にある静寂に包まれた古びた地下書庫に足を運んでいた。

重々しい石造りの回廊の奥へ進むにつれて、天井から垂れ下がる魔導ランプの淡い光が途切れ、周囲は深い影に包まれていく。漂ってくるのは、何十年、何百年と積み上げられてきた古書の紙片と、酸っぱいインクが入り混じった独特の澱んだ匂いだった。


本来であればバレンタイン男爵家に正式な面会を申し込みたかったが、ルナはほとんどの時間をこの地下書庫で過ごしている。直接この迷宮のような書庫へ出向くのが一番確実というわけだ。


(いた、ルナだ)


煤けた木製の机に向かい、山のように積まれた古文書や埃をかぶった羊皮紙の束を真剣な眼差しで読み込んでいる黒髪の少女。周囲の気配すら完全に忘れているかのように没頭するその横顔は、小説の原作通り、どこか影を帯びた紫水晶のような神秘的な美しさをたたえていた。


(――なるほど、噂通りの美少女だな)


ほんの少しの間、その絵画のように静止した姿に見惚れてしまった。


だが、靴音が石畳に響かぬよう慎重に近づいたつもりだったが、彼女の研ぎ澄まされた気配に気づかれたか、ルナはゆっくりと顔を上げる。ぱさりと、漆黒のショートボブが揺れ、警戒に満ちた冷ややかな紫水晶の瞳がまっすぐ俺を捉えた。


「……何の用ですか。ここは一般の人間が長居していい場所ではありませんが」


他を寄せ付けない氷のような声音。しかし、その整った眉間に刻まれたわずかな皺と、瞳の奥にかすかに揺らぐ焦燥と疲労の色を、俺は見逃さなかった。長引く調査に行き詰まり、心身ともに追い詰められている証拠だ。


俺は威圧感を消すために、できるだけ敵意のない柔らかな笑みを浮かべ、彼女の目の前の机に一枚の羊皮紙をそっと置いた。そこに記されているのは――『黄昏の螺旋』(我ながら口にするのも憚られるクソダサ組織)の拠点に関する確かな情報だ。


羊皮紙に走り書きされた文字を見た瞬間、ルナの瞳がわずかに見開かれる。息をのむ微かな気配が伝わってきた。


「――挨拶が遅れたな、ルナ嬢。少し話をしないか?」


俺の言葉を聞いた瞬間、彼女の纏う空気がピリッと鋭く張り詰めた。復讐の刃をその小さな胸の内に隠した孤高の少女「ルナ」と、悪役貴族「アライア」の邂逅は、こうして静かに幕を開けたのだった。

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