第13話 蒼き瞳の天才と、方程式の罠
「……で、どうして俺がベルガルド公爵家に直接乗り込むことになっているんだ?」
豪華な馬車の揺れを感じながら、俺――アライアは目の前に座る執事風の男……ではなく、漆黒の執事服に身を包んだシズルを一瞥して深い溜息をついた。
シズルは時折こうして俺の従者に扮して護衛を務めてくれる時がある。主にマリアが同行できない場合などだ。今日もマリアは別件で調べごとをお願いしていて不在。というか、ベルガルド公爵家への訪問が急に決まったから仕方ない。マリアは「無念です……」と悔しそうにしていた。
今日の目的は言うまでもない。原作で主人公レオンに関わりを持つヒロインたちを、物語が始まる前に「こちら側の駒(あるいは協力者)」として回収してしまうことだ。その記念すべき第一の標的に選んだのが、公爵家の令嬢にして帝都一の天才魔導師と称されるルミア・ベルガルドである。
ルミア・ベルガルドは小説「星霜のアルカディア」のメインヒロインの一人だ。メインヒロインは他に二人ほどいるが、接触を図るならルミアからだと決めていた。理由は……まあ単純なものだ。
セレスティア・フォン・エルトリア。帝国の第一皇女。侯爵家と言えど、そんな簡単に面会を申し込める人物ではない。だから後回しにした。
ルナ・ヴァレンタイン。こちらもルミアと同様に貴族令嬢ではあるが、ヴァレンタイン家の爵位は男爵。そういった意味では侯爵家の俺からしたら接触しやすい人物ではある。ただ、彼女が抱えている「ある秘密」に関する裏取りがまだ終わっていない。マリアが今日不在なのもそういう理由だ。
というわけで、すぐに接触できるのはルミアだったというわけだ。だが、流石に今日決まるとは思わなかった。マリアやシズル達に「接触したい」とは言っていたが、こんなに直ぐに予定を組むとは思わなかった。優秀なのも考えものだ。
そんな事を考えながら窓の外をチラッと見る。そこには帝都でも一際格式の高い一等地が広がっていた。そしてこの道の先にあるのが、我がルミナス家とは代々何かと縁のある、しかし政治的には一定の距離を置いてきた名門――ベルガルド公爵家の広大な敷地だ。なぜ距離を置いてきたのかは知らない。まあ、先祖達の間でなにか意見の食い違いでもあったのだろう。正直、子孫の俺には関係のないことだ。
「アライア様。お忘れですか? ベルガルド公爵家は、我がルミナス家とは旧知の仲。表向きは『若き当主候補同士の親睦を深めるための茶会』という名目を使えば、面会の許可など容易に下ります。善は急げでしょう?」
執事姿のシズルが淡々と告げる。
「まあ、それはそうだな。マリアがいないのは不安だが……」
「ご安心を。マリアさんから一通り使用人としての教育は受けております」
「なら安心か。頼むよ」
俺がそう言うと、シズルは静かに頷く。
「ちなみにルミア様は現在、帝都の皇立学園において主席を争うほどの天才ですが、その傲慢なまでの完璧主義ゆえに、周囲の人間をどこか見下している傾向があります。――そこをうまく突けば、取り込むのは容易かと思います」
ルミアは俺より一つ上の十五歳、既に学園に入学している。そんなシズルが集めた情報によると、「昔の俺ほどではないが傲慢不遜」らしい。わかりやすいが……酷い例えだ。
「自分の知識や魔法の腕に絶対的な自信を持っているタイプか」
原作の描写でもそういう場面はあった。彼女はのちに主人公レオンと出会い、その「理屈を超えた泥臭い強さ」や「自分とは違う価値観」に圧倒され、やがて惹かれていくことになっている。だが、そんな王道イベントが起きる前に、俺がルミアの知識欲を満たすような圧倒的なメリットをチラつかせたらどうなるか。
……そんな不敵な企みを胸に抱きつつ、馬車は目的地であるベルガルド公爵邸の重厚な門をくぐり抜けた。
宮殿を思わせる絢爛豪華な敷地内を進み、馬車がピタリと停車する。
扉を開けた執事の恭しいエスコートを受け、俺は静寂に包まれた屋敷に足を踏み入れた。大理石の床に響く俺たちの足音以外、聞こえるのは風に揺れる庭木のざわめきだけだ。さすがは名門公爵家、ピリッと引き締まった空気が漂っている。
やがて案内されたのは、邸内の奥深くにある贅を尽くしたプライベートサロンだった。
窓の外には手入れの行き届いた美しい庭園が広がり、テーブルの上には上品な香りを放つフレーバーティーと特製の焼き菓子が並んでいる。
「――お待たせしました、アライア様」
凛とした足音とともにサロンの扉が開き、一人の少女が入ってきた。
鮮やかな緋色のセミロングヘアをサイドで上品にまとめ、知的な銀縁の眼鏡をかけた少女――ルミア・ベルガルドその人だった。涼しげなエメラルドグリーンの瞳が、真っ直ぐに俺を捉える。その佇まいは、一瞥しただけで彼女がただの箱入り令嬢ではなく、並み居る大人たちをも凌駕する魔導の才能と誇り高き精神の持ち主であることを物語っていた(原作を知っているからこその感性かもしれないが)。
「久しぶりだな、ルミア嬢。こうして二人でゆっくり話すのはいつ以来だったか」
俺が立ち上がり、貴族としての完璧な笑みを浮かべて挨拶すると、ルミアはふっと小さく鼻を鳴らした。
「一昨年のお茶会以来ですね、アライア様。……それにしても、噂は色々と耳にしておりますよ? かつては『無能の屑』などと陰口を叩かれていたあなたが、今やあのグレイス商会の黒幕の一人として、帝都の経済界を牛耳っているとかいないとか」
「これは手厳しい。まあ、以前の俺はただの悪ガキだったからな……もし無礼があったら謝罪させてもらいたい」
「……いえ、それはきっとお互い様ですので、お気になさらず。それに私、有能な方であれば多少の無礼など気にしません」
席につきながら、ルミアは挑発的な、しかしどこか興味をそそられたような鋭い視線を向けてきた。
「世間の噂なんて大体は誇張さ。俺はただ、退屈な日常を少しだけ便利にしようとしているだけだよ」
「あらあら、『便利』にするために帝都中の生活様式をひっくり返した人が、よく言うわ。……で、今日は私に何の用ですか? ただの挨拶ではないのでしょう?」
ルミアはカップを手に取り、優雅に一口紅茶を啜ると、まっすぐに俺を見据えた。回りくどい前置きは嫌いらしい。このあたりの性格も原作通りだなと安堵する。ツンデレは面倒なのであまり好きではないが、裏を返せば素直ともとれるから目をつぶるとしよう。
「率直に言おう。俺は、ルミア嬢の持つその圧倒的な魔導の才能と研究成果に興味がある。そして、君にとってもグレイス商会……というか俺と手を組むことは、決して悪い話ではないはずだ」
俺の言葉に、ルミアの動きがピタリと止まった。彼女は眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、わずかに目を細める。
「私と……あなたが? 確かに、あなたの提供した日用雑貨や特殊な洗剤などの魔導的・科学的なアプローチには、私も興味を惹かれました。ですが、私の専門はあくまで純粋な魔導の究明と、高位術式の構築です。商売の真似事なんて興味ありません」
「商売の真似事なんてしてもらうつもりはないさ。ルミア嬢に頼みたいのは、もっと高尚なことだ。――例えば、魔力と物質の相互作用に関する、新しい理論の検証とかね」
俺はあらかじめ懐から取り出していた一通の羊皮紙を、そっとテーブルの上に滑らせた。そこには、前世の物理化学や熱力学の概念を、この世界の魔導式に置き換えて構築した「次世代魔導触媒の基礎理論」の断片が記されている。
正直、俺には魔法理論なんてまったく理解できない。多少の身体強化などの魔法は訓練で使えるようにはなったが、どういう理屈で魔法が発動しているなどの理論はさっぱりだ。だが、化学や数学ならお手のものだ。現役理系受験生を舐めるなよ。そのへんの大人より知識がある自信がある。
以前、魔法基礎理論を見た時、そこにあったのは数列と方程式。これなら数学、そして物理学の知識を用いて効率化できると踏んで、色々と研究したのだ。
そしてこの世界の数学や物理学をリリに聞いたところ、かなり遅れているのが分かった。だから、今のルミアがこれに自力では辿り着いていないのは明白だ。これが彼女の知的好奇心を刺激してやまないであろう「未知の領域」の扉になる自信があった。
ルミアは、何気ない手つきでその羊皮紙に目を落とした――次の瞬間、彼女の表情から余裕の色が完全に消え去った。
「……えっ……!?」
エメラルドグリーンの瞳が驚愕に見開かれ、彼女は思わず身を乗り出すようにして羊皮紙にかじりついた。
そこに書かれているのは、既存の魔法学の常識を根底から覆すような、あまりにも美しく、あまりにも合理的すぎる魔導方程式の配列だった。魔力を単なる「エネルギーの消耗品」ではなく「環境変化の触媒」として捉えるその発想は、天才と呼ばれる彼女にとって、砂漠で水を見つけたような衝撃だったに違いない。
「こ、これは……一体……!? 魔力の波長計算が、これまでのどの学説とも違う……! でも、理屈の上では完全に成立している……!?」
ただちょっと高校程度の数学と物理学を使って方程式を効率化しただけだ。理系の受験生なら誰でもできることではある。例えるなら微分積分の問題を解くようなものだと思ってもらえばいい。
「……でも……これは……こうなって……」
震える指先で羊皮紙を抑えながら、ルミアは信じられないものを見る目でブツブツとなにか呟いている。先ほどまでの余裕綽々な公爵令嬢の面影はどこへやら、目の前にある未知の知識に夢中になる一人の「研究者」の顔になっていた。
「それは俺が考えた。もし君が俺の魔法の先生になってくれるなら、この手の理論はいくらでも提供しよう。俺は魔法の知識がからっきしでね。数列をいじるのは得意なんだがな……っと話が逸れた。どうかな、ルミア嬢?」
サロンの空気がピリッと張り詰める。
ルミアはしばらくの間、言葉を失ったように羊皮紙と俺の顔を交互に見つめ、やがて、その頬をわずかに朱に染めながら、ふっと優しげな笑みを漏らした。
「……ずるいですね、アライア様。こんなものを見せられたら、断れるわけがないでしょう。私の生きがいが『これ』しかないのをご存知でしたのね」
彼女はどこか恥ずかしそうに呟く。
「高名はかねがね耳にしているよ」
「あら、皮肉ですか?」
「まさか。純粋な賛辞さ」
「あら……それは光栄です」
ルミアはこほんだと咳払いを一つすると、誇らしげに胸を張り、俺に手を差し出した。
「わかりました。あなたのその企みに乗らせていただきます。このルミア・ベルガルドが魔法のすべてを解き明かして見せます。せいぜい、私を飽きさせないでくださいね?」
「ああ、よろしく頼む、ルミア嬢」
「あら、そんな他人行儀な呼び方はしないでください。私が認めた殿方ですから、ルミアでいいですよ」
「そうか、ルミア。じゃあ俺はアヤで構わない。口調も崩していいぞ」
「……わかったわ。じゃあこれからよろしくね?」
「では……」
「アヤさん、侯爵家の嫡男が、お茶も飲まずに帰って公爵令嬢に恥をかかすのはどうかと思うわよ?」
ルミアは目の前にある紅茶の入ったカップを上品な仕草で勧めてくる。
「悪かった。女性の扱いには慣れてなくてね。申し訳ない」
「あら、そうなの?」
その端正な顔立ちで慣れてないとは面白いですねとクスクスと笑うルミア。
「褒められるのはなんか照れくさいな。ルミアみたいな美人にならなおさらだ」
「ふふ、そう言ってもらえるのは光栄だわ」
……あれ?ルミアってツンデレなんじゃなかったっけ? ここは「ほ、褒めても何もないわよ!」みたいなセリフの出番じゃないのか。俺の思い違い……いや、それはない。妹が「ルミアのツンデレで白飯三杯はいける」とか意味のわからないことを言っていたのは鮮明に覚えているからな。
もしかしてツンデレになる前の彼女に出会ってしまったということだろうか。もしかしたらあの性格は元からのものではなく、皇立学園という環境のせいで出来上がった人格なのだろうか。
わからない。
まあ、とにもかくにもこうして、原作の主要ヒロインの一人である天才魔導師ルミアは、主人公レオンと出会うより遥か手前で、俺の仲間にしっかりと組み込まれることとなった。




