9. 本当の彼女は
「殿下、着きましたよ」
「えっ……ここ?」
エクトルは辿り着いた場所を見て目を瞬いた。
そこはセリエール伯爵家が援助しているという養護施設だったからだ。
サロンでお茶をした後、エクトルはアニエスにデートをして欲しいと懇願した。
『この格好のわたしとですか?』
彼女はなぜか平民が着るような質素なワンピースを着用していた。
『行きつけの店があるから、ドレスをプレゼントするよ?』
そう言えば喜ばない女性などいないのに、アニエスは心底軽蔑するような目でエクトルを見てきた。
『いりません。デートの場所はわたしが決めてもいいですか?』
『あ、ああ。もちろん——』
ドレスが気に入らないなら宝石か。はたまた人気の劇場チケットか。そのどれもがエクトルならば叶えてやれる。
(結婚相手探しに真剣なのはわかったが、彼女はまだ何か隠している……)
エクトルは近衛騎士団長として、セリエール伯爵家を探っている。
伯爵が王国で禁止されている麻薬売買で富を得ていると、情報を掴んだからだ。
まだ伯爵を捕まえるほどの証拠はない。ただ、前妻の伯爵夫人は麻薬の実験台にされて他界したのではと睨んでいる。
後妻に収まった現伯爵夫人の金の荒遣いで伯爵家が困窮しているのはエクトルの耳にも入っていた。しかし、それを隠れ蓑にして伯爵は裏で金を貯めこんでいる。
前妻の娘、ブリジットはそんなことなど知らずに、伯爵家を切り盛りしているのだとか。
そのブリジットは後妻から冷遇されているらしい。加えて困窮した家を支えるために、社交界に顔を出すことはなかった。
『ブリジット嬢は白っすよ~。それよりも、妹のほうを陥落してみては? 彼女、家が困窮しているのにパーティーに参加しまくって男と遊び歩いているらしいっすよ。もしかしたら、麻薬売買も手伝っているかも』
ロイクの情報をもとに、エクトルはアニエスに近付くことにした。
エクトルはアニエスに説明した通り、情報を得るために女性に近付いている。深い仲になることはないが、相手が本気になってしまうこともある。だからこそ、遊び人だという噂はあえてそのままにした。
三十九にもなって独身なのは、そのせいだけではないが。
「アニエスねえちゃーん!」
養護院の中から庭に向かって子どもたちが走ってくる。
ハッと我に返れば、アニエスが子どもたちに囲まれていた。ざっと三十人くらいいるだろうか。
「みんな! 元気だった?」
子どもたちにもみくちゃにされながらもアニエスが屈託なく笑う。
(綺麗だ)
質素なワンピース姿なのに、着飾ったどの令嬢よりも美しいと思ってしまった。
「殿下ー!」
自身を呼ぶアニエスの声にハッとする。
(わ、私は何を! 二十も年下の子に!? 相手は捜査対象だぞ!?)
自身の感情に驚いていれば、アニエスが子どもたちに叫ぶ。
「今日は、あの騎士様も遊んでくれるからね~! みんな、とつげーき!」
わーっと子どもたちがエクトルに突進してくる。
「な!? アニエス嬢!?」
「あはは! 鬼ごっこですよ、頑張って逃げてくださいね、殿下!」
そう言って笑うアニエスは年相応で、それが本当の彼女のような気がしてならない。
(子どもだからって絆されてはいかんな)
ロイクにああ言った以上、アニエスに気を許すわけにはいかない。
子どもたちから逃げながらも、エクトルは目線をアニエスに向ける。アニエスは子どもたちをエクトルに押し付け、家の中に入っていくようだ。傍らには養護院の院長である初老の女がいた。
(もしかしたら、この養護院に麻薬か金のどちらかを隠している?)
隠し場所にするには絶好の場所だ。そう睨んだエクトルは、ここを徹底的に調べると決めた。
☆
「……本当にまた来たんですか?」
数日後、エクトルはアニエスと養護院でまた会う約束をしていた。
「私が約束を破るとでも? 心外だな」
「お仕事忙しいんじゃないですか?」
「君に会うためなら時間を捻出するよ」
「チャラ……」
相変わらず辛辣なアニエスがエクトルに落ちることはない。
「ほ、ほら。子どもたちに王都で人気の菓子をもってきたぞ」
慌てて箱を差し出せば、アニエスの顔が緩んだ。
「わあ! ありがとうございます! こういうのは買ってあげられないから……嬉しいです」
「可愛……」
「川?」
「い、いや! 今度子どもたちを川へ遊びに連れていってやりたいな~と」
「川は危ないから却下ですね」
至って真面目に返してくるアニエスにエクトルは作り笑いを浮かべる。
(今まで女性相手に主導権を握ってきた私が、小娘相手に何を……)
「殿下? 大丈夫ですか? 顔赤いですよ?」
アニエスにそう言われ、自身の顔が熱いことに気づく。エクトルは慌てて掌で口を覆った。
「? 具合が悪いなら中で休まれます?」
「いや……私は——」
「ほら」
トンっとアニエスに背中を押され、心臓が大きく跳ねる。
ドッドッドッと聞いたこともないような音が自身から出ているのだと気づき、エクトルは硬直した。
「殿下?」
訝しんだアニエスが正面に回り込んでくる。そして、背伸びをすると手を伸ばしてきた。
「ちょっと熱いですね……とりあえず中に入ってください。あ、迎えって来てもらえるんですかね」
おでこに触れられた彼女の手は小さく、守ってあげたい衝動に駆られる。
それは、子どもに向ける保護対象としての意味ではなく——。
「……少し休ませてもらえれば大丈夫だ」
「じゃあどうぞ~」
なんとか言葉を絞り出すも、アニエスはもうこちらを見ていない。エクトルを案内するために、家の中に入っていってしまった。だが、それで良かったと思ってしまう。
(ヤバい……私は今、どんな顔をしている?)
アニエスは今日も質素なワンピースを着ている。
エクトルの甘い言葉には眉を寄せ、子どもたちのための菓子には顔を綻ばせる。
しかも、二十も年下の女の子だ。
(ありえない……)
これまで数多くの女性の胸をときめかせてきたエクトルの心臓がうるさい。
アニエスを捜査対象ではなく、一人の女性として見てしまっているのだから手遅れなことは確かだ。
(まいった……どうしたものか)
エクトルは味わったことのない局面に頭を抱えた。




