10. 恋……ではない!
「お義姉様、今日の食事も運んできますね!」
お義姉様の部屋に顔を出すと、アンリ様と仕事をされていた。
「アニエス、最近毎日のように養護院へ行ってるんだな。前はブリジットにべったりだったのに」
アンリ様の言葉にわたしは「うっ」と言葉を詰まらせる。
そう、わたしはいつもお義姉様の部屋で針仕事や雑用をしていた。理由はお義姉様といたいから。
養護院へは子どもたちと遊ぶために通っていたが、わたしができることはそれだけ。婚活で忙しいこともあったので、通うのは週に一度だけだった。食事を運ぶのも使用人にお願いしていた。
「ほ、ほら、わたし、今時間あるし! 使用人もまた減っちゃったし、それに、手伝ってくれる人が……いるから」
最後はごにょごにょと言葉を濁してしまった。
ジェレミー様に振られてから、二人はわたしをそっとしておいてくれている。
本当はすぐにでも婚活するべきなのだけど、そんな気分にはなれなかった。
「最近のアニエスは楽しそうだからいいじゃない」
お義姉様がアンリ様に笑みを向ける。
「た、楽しい……? のかな」
認めるのが嫌で唇を尖らせた。でもお義姉様の言葉を否定するのも嫌で、ちらりとお義姉様を見る。
「どんなアニエスも素敵だけど、本当のアニエスでいられる場所が一番大切よ」
「本当のわたし……」
お義姉様の言葉にエクトル様の顔が浮かんでしまったのは内緒だ。
隣のアンリ様は黙ってしまい、なぜか難しい顔をしている。
どうしたんだろうと首を傾げていると、お義姉様から笑みを向けられる。
「アニエス、約束があるんでしょう?」
「そうだ! 行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
慌てて部屋から出るわたしをお姉さまが笑顔で送り出してくれる。
アンリ様は最後まで黙ったままだった。明るくていつも気さくな彼がめずらしい。
疑問に思ったけど、今はそれどころじゃない!
わたしは慌てて外に向かった。
「エクトル様っ! お待たせしました!」
玄関ホールを抜ければ、外ではエクトル様が待っていた。
側には荷車があり、そこに使用人たちが鍋を積んでいっている。
「やあ、アニエス。まだ準備中だから慌てなくていいよ」
近衛騎士の制服ではないけど、仕立てのいいシャツとパンツ姿のエクトル様は相変わらず色気が漏れ出ている。
鍋を積んでいるメイドの目がハートだ。
エクトル様は、なぜかあれからも養護院に顔を出してくれている。仕事の合間を縫って、食事を運ぶ手伝いまで申し出てくれるようになった。
「手伝います」
「ありがとう」
使用人たちに混ざって鍋を荷車に積むエクトル様に声をかければ、笑顔が返ってきた。
最初に会ったときのようなエセ紳士スマイルではない。やわらかい笑顔だ。
それが嬉しくて、苦しくて。わたしは感情を持て余してしまう。
「お忙しいのにいつもすみません……お疲れじゃないですか?」
「君に会えれば疲れも吹っ飛ぶよ」
「チャラ……」
チャラい態度も健在で、わたしはいつも通り返すだけで精一杯だ。
だって、エクトル様の表情が甘い。わたしを見つめる瞳が優しい。おじさんのくせに、本当にわたしを好きなんじゃないかと錯覚してしまうくらいに。
(やばい……この悪い大人に本気になったら泣くわよ!!)
自分にこう言い聞かせないと歯止めが効かないくらい、わたしはエクトル様を気にしてしまっている。
名前を呼ぶのだって、「養護院で殿下はちょっと……」ということから許されただけのこと。
(わたしが特別なわけではない。勘違いするな!)
そうしてまた、自分に言い聞かせている自分がいる。
「アニエス? 用意できたぞ」
「は、はい!」
荷車を両手で引きながらエクトル様がわたしを呼ぶ。
わたしは急いで彼の後ろをついていった。
一緒に養護院へ行くようになって一か月。彼はいつの間にかわたしを呼び捨てするようになった。
それで仲が縮まったと勘違いさせるのだから、危ない。
(さすが遊び人と噂されるほどの手練れね)
エクトル様は遊び人ではなく、仕事で情報収集するためにわざと噂をそのままにしていると言っていたけど。
(あれ……)
そこでふと思い至る。むしろ今までなぜ思い至らなかったのか。
(わたしも、そういう対象?)
でもわたしなんかに近付いても、何も情報を得られない。
気のせいかと思う。いや、思いたかったんだと思う。
(調べられたら困ること、あるものね)
それが明らかになれば、わたしはすべてを失うに違いない。
「アニエス!!」
ぼんやりと歩いていたわたしは、エクトル様の声でハッとした。目の前には馬車を引く馬が。
(ひかれる!!)
身を縮こませれば、ふわりと身体が宙を浮いた。
わたしはひかれずに、馬車は真横を通り過ぎていく。
「大丈夫か!?」
焦り顔のエクトル様が覗き込んできて、わたしは彼の腕の中にいるのだと理解した。
逞しい腕がガッチリとわたしを支え、現役の騎士として衰えを感じさせない。
「だ、大丈夫です。ありがとうございました」
うるさい心臓は、ヒヤリとした恐怖からだ。けしてときめきなどではない。
「今日はめずらしくぼんやりしているな。いつもの威勢はどうした?」
大人の笑みを浮かべるエクトル様に、急に恥ずかしくなる。
「ど、どうせいつも令嬢らしいつつましさがないですよ!」
「そういうところが可愛らしいんじゃないか」
「——っ、っ……チャラ……!」
サラッとそんなことが言えてしまうくらい、彼は女性の扱いに慣れている。
可愛くないことを言うわたしを受け流して笑うエクトル様は大人だ。だからこそ、わたしなんかを本気で相手にするはずないのだ。……ないはずなのに。
(どうして頻繁に会いにきてくれるんですか?)
令息たちと駆け引きをしていたときは簡単に出た言葉が、今はこんなにも躊躇ってしまう。
(エクトル様は王族としての義務を果たしているだけ……)
それなら、他の養護院だって行くのでは?
否定しては甘い期待が顔をのぞかせてしまう。
(わたし……ちょろすぎない?)
婚活する気がおきないのは、きっとエクトル様のせいだ。
わたしの理想からすべてがかけ離れた人。それなのに、最近のわたしの頭の中はエクトル様のことばかり。
「落ち着いたか? さあ、行こう」
エクトル様の腕から解放され、名残惜しく思ってしまう。
「今日の君は危なっかしいから」
そう言ってエクトル様から手を差し出された。その手を取りそうになり、踏みとどまる。
「こ、子ども扱いしないでください!」
ぷいっと顔を背けた瞬間、まずいと思った。
これでは、わたしがエクトル様に女性扱いしてほしいみたいではないか。
慌てて取り繕おうとすれば、エクトル様は柔らかい笑みを浮かべていた。
「それは失礼しました」
久しぶりに聞いたエクトル様の丁寧な言葉遣いに、胸が抉れる感覚がした。
彼は二十も年上で、わたしのことなんて相手にしていない。
だから、わたしの気持ちは恋にもならないのだ。
わたしは再び、そっと心に蓋をした。




