7. 詰めが甘かったようです
ジェレミー様のことだから、慎重に事を運んでいるに違いない。
そう思ったわたしは待った。
待って、待って、三日目にはしびれを切らした。
「どうしてジェレミー様から音沙汰がないの!?」
パーティーへの参加をやめたわたしの格好は質素なワンピース。
屋敷の繕い物をお姉さまの部屋でしていたところだった。
「ねえ、アニエス……ジェレミー様は、待っていてほしいとおっしゃったのよね?」
書類をさばく手を止め、お義姉様がわたしに目を向ける。
「はい! 確かにおっしゃいました!」
だからこそ、わたしは待っていたのだ。真面目なジェレミー様が約束を反故にするはずがない。
「結婚は家同士のことだから……まだ時間がかかっているのではないかしら? オフレ家は規律を重んじる家柄だもの」
「そう……ですね」
確かに、ジェレミー様の心一つで簡単に動かせるものではない。
(もしかしたら、ご両親を説得しているところなのかも?)
そう思っていると、部屋の扉がノックされた。
「アンリだわ」
お義姉様が立ち上がり、扉を開けにいく。
(今日はアンリ様がいらっしゃる日だったのね。わたしは退散しないとね)
アンリ様はセリエール伯爵家に婿入りするため、よく屋敷に出入りしている。
お義姉様の仕事を早くから手伝い、支えてくれているのだ。わたしの婚活事情も知ってくれている。
「お義兄様、こんにちは」
繕い物をまとめて立ち上がる。アンリ様に挨拶すれば、屈託ない笑顔が返ってきた。
「よう、アニエス。あいかわらずブリジットのことが大好きだな~。またここで仕事してんのか」
黒髪黒目で少し冷たい印象の彼だが、仲のいい相手には砕けた話し方をしてくれる。
わたしのことをお義姉様の妹として扱ってくれるアンリ様をわたしも慕っていた。
「でもお義兄様が来られたなら、退散します」
「別にいいのに」
お義姉様は笑って言ってくれるが、二人の邪魔はしたくない。それに、二人はこれから経営の話をするのだ。部外者になるわたしがいてはいけない。
立ち去ろうとするわたしを横目に、アンリ様が話を始める。
「ブリジット、来週オフレ子爵家の婚約パーティーに参加するから同伴してくれ」
ぴたりと足を止める。
「オフレ家?」
お義姉様の表情もこわばる。
それもそのはず。オフレ子爵家には、ジェレミー様しか子どもがいない。
(わたし、まだ求婚されてないよね??)
お義姉様と顔を見合わせれば、アンリ様は首を傾げながら答える。ジェレミー様と上手くいきそうなことはまだ伝えていなかったからだ。
「ん? そうそう。そこの息子のジェレミーの婚約が決まったみたいで、招待状が届いていたからさ」
「お、お相手は……?」
お義姉様が恐る恐る訊ねる。
「ああ。ガルリア男爵家のご令嬢らしいぞ。そういえば、来る途中三番街のサロンで二人を見たけど、仲睦まじげだったなあ」
「何それ!?」
わたしが知らない間に、ジェレミー様は他の女性と婚約をしていた。
「アニエス!? 待って!」
お義姉様が止めるのも聞かずに、気づけばわたしは走りだしていた。
(なんで!? どうして? 待っていてほしいって……)
やっと理想の人と巡り会えたと思ったのに。こんな裏切り、酷い。
我が家がある五番街から三番街までは、走っていけば十五分で着く。
我が家に御者を雇う余裕なんてないから、わたしはいつも徒歩だ。夜遅くでもなければ、この王都の街を出歩くのは危なくない。自慢の足腰でわたしはサロンまで十分で辿り着いた。
ちょうど女性を伴ったジェレミー様が出てきたところだった。
「ジェレミー様!」
「……アニエス嬢」
呼ばれたジェレミー様がすぐに気づいて顔を青くする。
「どうして……待っていてほしいって言ってくれたじゃないですか」
ジェレミー様が目を泳がせていると、隣の女性がわたしを睨んだ。
「わたくしの婚約者にいきなりなんですの?」
「なんですのって……わたしはジェレミー様に話をしているのですが」
「すまない!!」
負けじと睨み返せば、ジェレミー様がたまらずといった様子で叫んだ。
「僕はこの女性と結婚する! どうか僕のことは忘れてくれ!!」
(…………は?)
内心毒づきながらも、わたしはうるると瞳を潤ませた。
「そんな……ジェレミー様、わたし、ずっとあなたを待っていたんですよ? わたしはあなたしか考えられなくて」
約束を反故にして、他の女性と婚約するなんてありえない。
撤回してもらうべくわたしは最大限猫を被った。
「……嘘だ」
「え?」
ふるふると震えたジェレミー様がわたしを指さす。
「あの日、君が中庭で騎士と言い争っていたのを僕は見ていたんだ!!」
あちゃー……と心の中で嘆息する。まさかあれを見られていたなんて。
「……あれ? でも、見ていただけ……ですか?」
エクトル様は最低な理由で助けに入ってきたわけだが、ジェレミー様も見ていたなら、もっと早く助けに入れたはず。
わたしの指摘にジェレミー様はカッと顔を赤く染めると、眉を吊り上げた。
「あああ、あんな剣を持っている相手に立ち向かえるはずがないだろう! そもそも、女性があんな危険に自ら飛び込むなんて! しかも君は最初、助けなんていらなそうなほど強そうに見えたし……そしたら王弟殿下が出てくるし……」
言い訳がましく視線を漂わせるジェレミー様がこんな女々しい人だったなんて。
ぽかんと固まっていると、女性がジェレミー様の腕に手を回した。
「ジェレミー様、もう行きましょう? あの欲しがり妹さんも遊びであなたに声をかけただけですわ」
「ちょっと——」
今、あの噂をジェレミー様に聞かせるのか。怒ったわたしをジェレミー様が遮る。
「……そうだな。わざとそんな格好で僕に会いに来るなんて、僕のことは遊びだったという意思表示か」
ジェレミー様の言葉に、自分が質素なワンピースのまま飛び出してきてしまったことを思い出す。
「ジェレミー様、待ってくださ」
「僕は守ってあげたくなる君だから惹かれたんだ。君は僕なんかいなくても、一人で生きていけそうだ!!」
ジェレミー様はそう言い捨てると、女性と馬車に乗り込んでさっさと立ち去ってしまった。
その場に一人残されたわたしを、通行人が見ないように避けていく。こんな格好では貴族令嬢と気づく人はいないだろう。いや、気づかれても叫ばずにはいられなかっただろう。
「いや、生きていけねえわ!!」
「ぶっ」
心からの突っ込みに笑いを漏らす人がいた。
その声に振り返れば、わたしは心底嫌な表情を顔に張り付けた。
「あのアニエス・セリエールが盛大に振られましたね?」
どうやらわたしは、またエクトル様に変な所を見られたらしい。




