2. 遊び人のチャラ王弟
このブルーディア王国で知らない人などいないだろう。ましてや貴族であるならなおさらだ。
エクトル様は近衛騎士団長——国王直属軍のトップである。
白髪が少し混じる金髪はくたびれて見えるが、それが逆に大人の色気を醸し出していた。
長身で逞しい身体は、三十九歳とは思えないほど完璧に引き締まっている。
そのエメラルドグリーンの瞳に見つめられ、形のいい唇で囁かれれば、どんな女性でも腰を抜かすとか。
「せっかく可愛らしい格好をしているのに、怒っていたら台無しですよ」
「ふあっ……」
噂通り、エクトル様に囁かれた令嬢が腰を抜かした。
「おっと、大丈夫ですか?」
「は、はい……」
(チャラいな)
すかさず受け止めたエクトル様にご令嬢は目をハートにしているが、わたしはときめかない。
「君は大丈夫ですか?」
「は、はい! 庇っていただきありがとうございました……あ!?」
こちらを振り返ったエクトル様にお礼を言うと同時に、わたしは青ざめた。
彼の白い騎士服がワインで赤く染まっていたからだ。
(わたしのせい……にはならないよね?)
王弟が身に着ける騎士服なんていったいいくらするのか!
ダラダラと背中を冷汗が伝う。
わたしの様子に気づいたエクトル様はにこりと笑った。
「ああ。替えならいくらでもあるから気にしなくていいですよ。もしどうしても気になるというなら、私と——」
「それならよかったです! 本当にありがとうございました!」
わたしはエクトル様の言葉を遮ると、慌ててその場を離れた。
(気にするなと言われたし……そもそもワインをかけたのはわたしじゃないしね!)
早足で進めば、ダンスの約束をしていた令息たちが群がってくる。
「アニエス嬢! 大丈夫だったかい!?」
「まさか君の美しさに嫉妬してワインをかけるなんてな」
エクトル様が出てきたことで注目を浴びていたらしい。
これを利用する手はないと、わたしは瞳を潤ませた。
「怖かったです……でも、王弟殿下が庇ってくださいましたので」
「ああ……かわいそうに。みんな君に嫉妬しているんだ。さあ、ここに座って」
「おれ、飲み物取ってくるよ!」
「アニエス嬢、今日のダンスはやめておいたほうがいいね。落ち着いたら送っていくから」
「あ、ずるいぞ」
うーん、ちょろい。肩と声を震わせただけで令息たちの庇護欲を刺激できたらしい。
「でも、どうして王弟殿下がここに?」
「王弟殿下は近衛の仕事で巡回されていたらしいぞ」
「本当にお仕事か~」
「適当なご令嬢をお持ち帰りするんじゃないのか」
令息たちの会話に耳を澄ませる。
今日は二十五歳以下の貴族令息・令嬢たちが集まるパーティー。いわゆる婚活パーティーだ。
貴族の長子には早い段階で婚約者が決められるが、それ以外は自分で結婚相手を見つけなければいけない。
わたしは三年前にいきなり伯爵令嬢になったから、余計に焦っているのだ。
一年の教育を経て社交界デビューしたはいいものの、高物件の令息はすぐに相手が決まっていく。婚活二年目にして、今日ようやくジェレミー様を捕まえられそうなのである。
「アニエス嬢が殿下の毒牙にかからなくて良かったよ」
王族に対してその物言いはどうかと思うが、わたしはにこりと微笑んだ。
「わたしみたいな元平民の女なんて、殿下の目にも入らないですわ」
「何言ってるの! アニエス嬢はこの会場一綺麗だよ!」
「そうそう、君以外に目がいく男なんていないよ!」
「まあ皆様、嬉しいことを言ってくださいますのね」
大げさに驚いてみせれば、「なんて謙虚なんだ」と令息たちの頬が緩む。本当にちょろい。
(ちょろいのはいいけど……彼は騎士の息子で、彼は……)
参加者リストの情報と照らし合わせていくも、ジェレミー様以上の人はいない。
(より良い条件の人がいたらと思ってキープしていたけど……長居は無用ね)
わたしはすくりと立ち上がると、令息たちに頭を下げた。
「今日は本当にごめんなさい。お会いできて楽しかったです。この辺でお暇しますわ」
「え!? 送っていくよ、アニエス嬢」
立ち去ろうとすれば令息たちが道を塞ぐ。
わたしはにっこり笑うと、遠回しに引導を渡した。
「家の迎えがあるから大丈夫ですわ。皆様に素敵な出会いがありますことをお祈りいたします」
その言葉で全員がぴしりと固まった。
(さすが貴族のお坊ちゃんたちね。振られたのだと察したようだわ)
これが下町の男だとこうはいかない。はっきりと「あんたに興味はない。付き合う気もない」と言わなければいけないのだ。
令息たちが引き下がったところで、わたしは綺麗にお辞儀をして会場を後にした。
(そういえば、ジェレミー様は来なかったわね)
ふと、送りたいと群がった令息たちの中にジェレミー様がいなかったことを思い返す。
本当はあそこで「僕が送っていくから」と、ジェレミー様に独占欲を出してほしかったのだけど。
(まあ、彼はそういうタイプじゃないか)
ジェレミー様は文官というお仕事にふさわしい、超がつくほどの真面目な人だ。
だからこそ、わたしにダンスの約束を反故にさせるようなことはしなかった。
今日は結婚相手を探すパーティーだが、貴族が集まる以上付き合いもある。彼がこの場にいないのならば、別室で他の令息たちと会話でも楽しんでいるのだろう。それはつまり、もうわたしという相手を見つけたから、他のご令嬢と交流する必要がないということだ。
(ふふふ。これはやっぱり、明日にでも結婚の申し込みがくるわね)
真面目なジェレミー様は、きちんと手続きを踏んでくるはず。だからこそ、この場で「結婚してほしい」とは言わずに、「待っていてほしい」と言ったのだ。
(あ~! 最高の相手を見つけられて良かった!!)
「やめてください!」
ルンルンで外に出たわたしは、庭から聞こえてきた悲鳴に足を止めた。




