12. 落ち着く場所
(まさか、こんな所にまで押しかけてくるなんて!)
洗濯物を洗い終え、わたしは庭にある干場に場所を移していた。
シーツを垂れ下がったロープに広げていっていると、反対側に人の影が映る。
エクトル様だと油断したわたしは、シーツの隙間から顔を出した。
「やあ……アニエス。久しぶりだね」
そう言って笑ったのは、エクトル様ではなかった。
掴まれた腕が痛い。
わたしは目の前の男を睨み上げ、もう一度声を張り上げた。
「離してよ! わたしは、あんたが思うような女じゃないわよ!」
わたしの言葉をにたりと聞く気味悪い男は、男爵家の長男だ。
ジェレミー様の前に目をつけた令息で、良い感じにもなった。だけどこの男、将来を誓い合う女性がいながら、婚活パーティーに参加していたのだ。
わたしは即刻関係を断ち切り、こいつと顔を合わせないよう参加者リストを駆使して再び結婚相手を探していたわけで。
「俺、気づいたんだ! やっぱり俺にはアニエスしかいないって」
「勝手に呼び捨てすんな!」
気持ち悪さから乱暴に言葉を吐いてしまう。それでもこの男はわたしの腕を離さない。
「はは……オフレ子爵令息と破局したのは聞いたよ。やっぱり君も、俺しかいないって気づいたんだね」
「どうしてそうなるのよ!?」
本当に男運がない。どうしてこうも思い込みの激しい男が絡んでくるのか。
力いっぱい抵抗すれば、男も負けじとわたしを引っ張った。そのタイミングでわたしは力を抜く。かくんと男がバランスを崩したので足を振り上げる。股間を狙ったわたしの足は、男の手によって拘束されてしまった。
「きゃあ!」
今度はわたしがバランスを崩して地面に尻もちをついた。
「アニエス……君は本当に愚かだね。俺はずーっと君を見ていたんだよ? 君の行動パターンくらいわかっているよ」
(こいつ……ストーカー!?)
養護院にこいつがいたのも納得だ。
「さあ、俺と結婚しよう?」
「キモイ!! 離せ!!」
足を拘束されたままのわたしは、逃れようと身体をよじる。瞬間、頬に痛みが走った。
男に叩かれたのだと理解するころには、顎を掴まれていた。
「生意気なところも可愛いけど、男爵夫人になるなら、そんな言葉遣いはダメだよ?」
「わたし、あなたと結婚なんて……」
「うん?」
バシッとまた頬を叩かれる。
(何、こいつ……)
わたしを服従させようと気味悪い笑みを向けてくる男に震えが止まらない。
「結婚、するよなあ?」
「あ——」
右手を振り上げた男に再び叩かれる。
そう思ったとき、男の後ろに影が落ちた。
「するわけないでしょう」
「うあ!?」
冷ややかな声で男の頭を掴んだエクトル様は、そのまま男を立たせた。すごい力だ。
「このエクトル・フォン・ブルーディアが保護する養護院で狼藉を働いて、タダで済むと思わないことです」
「お、王弟殿下!? なぜこんな所に!?」
今日のエクトル様は騎士服ではない。名乗られたことで顔を二度見した男は、素っ頓狂な声で慄いた。
「この養護院は私が保護していると聞こえなかったのですか?」
「ひっ……」
頭を掴まれたまま、ぎぎぎと横を向かされた男が縮み上がる。
「それと、アニエスはわたしの婚約者です。手を出したからには牢屋にぶちこみます」
「お、おおお王弟殿下の!? ぐふっ」
驚く男にエクトル様の腹パンがヒットし、男は気を失ってしまった。
「ちっ、アニエスが受けた痛みはこんなもんじゃないというのに」
男を地面に捨て置きながら舌打ちするエクトル様にホッと息を吐く。
「……エクトル様、ガラが悪いですよ。仮にも近衛騎士団長でしょう」
震える身体を奮い立たせ、わたしは立ち上がった。笑みを張り付け、エクトル様を見る。
「エクトル様に助けていただくのは、これで三度目ですね。ありがとうございました。あ、この男騎士団に引き渡しますよね? 騎士を呼びますか?」
「あ、ああ」
「あ、それと。助けるためとはいえ、婚約者だなんて嘘はダメですよ~。噂になって、結婚できなくなったらどうしてくれるんですか?」
あははと笑ってみせれば、エクトル様に腕を引き寄せられた。
「震えてる」
「……っ、」
強がりを暴かれて言葉を詰まらせる。逞しい身体にすっぽりと収められたわたしは、優しい手で頭を撫でられた。
「遅くなってすまない。怖かったよな? もしかして、あのパーティーの帰り道も震えながら帰ったのか?」
「……子ども扱いしないで。もとはといえば、わたしが悪いんだもの」
危ないことに首を突っ込んだのも、男爵令息に近付いたのもわたしだ。エクトル様はそれに巻きこまれただけ。
「アニエスは悪くない」
わたしの頭を撫でていた手に力を入れ、エクトル様は上を向かせた。
真剣なエメラルドグリーンの瞳がわたしを映している。
「君はいつも一生懸命なだけだ。何も悪くない」
「ふっ……」
ぽろぽろと涙があふれた。
こんなわたしをまっすぐに見て、受け止めてくれる人なんていなかった。
「うっ……うう~!」
わたしはエクトル様の胸に顔をうずめた。
子ども扱いするなと言った口で、子どものように嗚咽を漏らす。
「大丈夫、大丈夫だ、アニエス。俺が君を守るから」
そう言ってわたしを抱きしめてくれたエクトル様の身体は温かい。
「ほんとに? 絶対?」
子どものように甘えるわたしに、エクトル様はぎゅうぎゅうに抱きしめてくれた。
「ああ。絶対だ」
その言葉は信じられる。
わたしが泣き止むまで、エクトル様はずっと抱きしめてくれていた。




