第97話 証言者たち
アルヴィンは傍聴席から、法廷を見渡していた。
高窓から差し込む光が、時間とともに少しずつ角度を変えている。石の床に走る光の筋が、ゆっくりと動いていた。
証人席の椅子が、一つ、前に引かれた。
エルネストが立ち上がった。大きな手を、前で組んでいた。緊張した顔で、しかし目は揺れていなかった。
証言台に向かう後ろ姿を、アルヴィンは見ていた。
◇
エルネスト・ソラリスが証言席に座った。
大きな手を膝の上に置いた。きちんと揃えようとしたが、指が少し動いてしまった。照れているのか、緊張しているのか、よく分からない顔をしている。
セバスティアヌスが静かに言った。
「あなたは守護魔法の使い手と聞いています」
「はい。守護魔法——ウィス・クストーディアを専門としております。エルネスト・ソラリスと申します」
「では伺います。魔法は——嘘をつきますか」
広間が静まった。
エルネストが少し考えた。考えながら、大きな手が膝の上で一度だけ握られた。
「嘘は、つきません」
落ち着いた声だった。
「魔法は、術者の意図を忠実に実行します。守護魔法であれば——守りたいという思いがなければ、発動しない。強い思いがなければ、強い魔法にならない。術者が嘘をついていれば、魔法にそれが出ます」
「染み抜きの魔法についても、同じですか」
「同じです」
エルネストが頷いた。
「染み抜きの魔法は、染みを消します。染みでないものは——消えません。それが原理です。いくら消そうとしても、消えないものは消えない。魔法が嘘をつかないとは、そういうことです」
セバスティアヌスが書記に目配せした。ペンが走った。
「リミニの大金庫において、染み抜きの魔法が行使されました。その結果について、あなたはどう見ますか」
「現場を見ておりませんが、」
エルネストの声が、少し変わった。
「大量の文書が宙に浮き、不正な契約書と権利書が白紙になったという多数の証言があります。しかし——一冊の帳面は、残りました。暗殺の記録が書かれた帳面です」
「消えなかった理由は」
「染みではなかったからです」
エルネストが、大きな手を少し広げた。
「消えなかったということは——あれは染みではなかった。本物の記録だったということです。魔法が、そう言っています」
広間が静まった。
ロレンツォが、前を向いたまま動かなかった。片眼鏡を、指先で持っていた。
「以上です」
セバスティアヌスが言った。「ありがとうございました」
エルネストが立ち上がった。傍聴席に戻る途中、大きな手が一度だけ、自分の膝をそっと叩いた。
◇
次に証言席に座ったのは、四十代の女だった。
質素な服を着ている。手が荒れていた。魔法使いの刺繍が胸にある。目の下に、疲れの影があった。しかし目そのものは、今日は光っていた。
「お名前と、ご職業をお聞かせください」
「ヘドウィク・マイヤーと申します。守護魔法使いです。エアルの国立銀行に勤めています」
「以前はリミニの商会に雇われていたと聞いています」
「はい」
女が頷いた。
「三年前から最近まで。リミニの十人委員会の委員方の身辺を守る仕事をしておりました」
「子供さんがいらっしゃいますか」
女の手が、膝の上で一度動いた。
「娘が一人おります。七歳です」
「預り所に、入れられていたと聞きました」
広間が静まった。
「はい」
声が、少し小さくなった。しかし続けた。
「良い寄宿学校があると言われました。衣食住の面倒を全部見てもらえると。私は一人親でしたから——ありがたいと思って娘を預けました」
「その後は」
「会えませんでした」
一息、置いた。
「手紙も届きませんでした。ただ——生きているとだけは分かっていました。月に一度、担当者が『元気にしている』と教えてくれました。だから——信じるしかなかった」
セバスティアヌスが静かに聞いた。
「その間、守護魔法の仕事は」
「続けました」
女が、まっすぐ前を向いた。
「続けるしかありませんでした。仕事をやめれば、娘に何かあると思っていました。だから続けました。言われた通りに。どんな命令でも」
「魔法の強さについて、お聞きします。守護魔法は、強い思いがなければ強くならないと聞きました。あなたの魔法は——」
「強かったと思います」
女の声が、少し震えた。
「娘のことを思えば——どんな魔法でも強くなります。それが——利用されていたのだと、分かっていてもなお」
広間に、沈黙が落ちた。
「娘さんは今」
「エアルにいます。元気にしています」
女が、初めて目に優しい光を宿した。
「子供が返ってきた瞬間——体中の魔法が、抜けていくような感覚がありました。三年間張り続けていた何かが、ほどけるような」
そこで声が途切れた。それ以上は続けられなかった。
セバスティアヌスが静かに言った。
「ありがとうございます。以上です」
女が立ち上がった。証言席から傍聴席に戻る間、アリアドネに何度も頭を下げた。
◇
アリアドネ・テミスが証言席に座った。
赤いコートが、石造りの広間に映えた。背筋が伸びている。感情を表に出さない女が、その目の奥に、何かを宿していた。語ることへの、静かな決意のようなものが。
「アルカディア公国魔法評議会の元議長、アリアドネ・テミスです」
セバスティアヌスが頷いた。
「自由都市リミニの預り所を、直接ご覧になったと聞きました」
「はい」
「ご証言をお願いします」
アリアドネが、一呼吸置いた。
「リミニに潜入した夜、私は部下たちとともに预り所と呼ばれる施設に入りました。外観は寄宿学校のようでした。しかし窓がなかった」
書記のペンが走った。
「中庭から建物に入ると、廊下が暗かった。子供の声はしませんでしたが気配はありました。息を殺した、小さな気配が。扉を開けると——子供たちがいました」
広間が静まった。
「怯えた目をしていました」
アリアドネが続けた。声は変わらなかった。
「子供というものは、安全な場所にいれば好奇心で大人を見ます。しかしあの子たちは——怯えていた。知らない人間が来ると、壁際に身を寄せて動かない。あの子たちは泣くことも、忘れていた」
「子供たちを見た時どう思いましたか」
アリアドネが少し迷ってから答えた。
「純粋に良かったと思いました。議長の座を退いても、これをなしえて良かったと」
セバスティアヌスが立ち上がった。広間全体に向けて言った。
「魔法使いの子を人質とし、その愛情を利用して魔法を強制した。これは制度の犯罪であります」
声が、石の天井に響いた。
「神は——そのような使役を、認めていない」
広間が静まった。長い沈黙だった。
アリアドネが証言席を立った。代表席に戻る途中、アルカディアの評議会員が、静かに立ち上がった。アリアドネの傍らを通り過ぎる時に、小声で言った。
「お帰りを、お待ちしておりました」
アリアドネが、わずかに足を緩めた。
「少し——遠回りをしましたね」
それだけ言って、席に戻った。赤いコートが、石の床に影を落とした。
◇
広間の入口で、コンラートは剣を預けた。剣のないまま、証言席に座った。
「コンラート・フォン・アイゼン。聖シュタイン帝国騎士団長であります」
「アイゼンガルト戦役について、証言をお願いします」
コンラートは戦いの経緯を証言した。騎馬隊二百騎、総勢約千名を率いて出撃したこと。食料を焼かれたこと。周辺の食料が既に全て買い占められていたこと。そして、村人から受け取った食料に毒がいれらており、襲撃を受けたこと。脱出できたのは三人だけだったこと。
広間が、長い沈黙に包まれた。
セバスティアヌスが静かに聞いた。
「脱出後は、どのように」
「エアル王国に助けられました。匿っていただき、帰路を教えていただきました」
「エアルに、感謝していますか」
コンラートが、初めてナディールの方を見た。
「はい」
短く言った。それだけだった。しかしナディールは、その二文字の重さを知っていた。
「以上です」
コンラートが立ち上がった。入口に戻り、護衛から剣を受け取った。腰に差した。その背中を、ハイン
リヒが静かに見ていた。
傍聴席で、アルヴィンが頷きながら聞いていた。
◇
警護の者に両脇を挟まれて、ファブリツィオが入ってきた。
証言席に座った。
セバスティアヌスが向かい合った。
「ファブリツィオ。あなたは、エアル先王フリードリヒ・フォン・エーレンベルクの暗殺を実行したと、自白書に署名しています。間違いありませんか」
「間違いない」
短く言った。
「手段は?」
「遅効性の毒だ。謁見の場で、杖に仕込んだ注射器を使った」
ナディールが、机の下で拳を握った。しかし顔には出さなかった。
「指示は、ロレンツォ・ディ・ヴァザーリ議長からでしたか」
「そうだ」
「暗殺帳について、確認します。リミニの大金庫に、あなたが携わった暗殺の記録が保管されていました。これは、あなたが作成したものですか」
「そうだ」
ファブリツィオが、前を向いたまま言った。
「仕事の記録は必ずつける。後で踏み倒されないために」
「その記録が、染み抜きの魔法で消えずに残りました。これについて意見は?」
「知ったことではない」
ファブリツィオが、初めてセバスティアヌスを見た。
「消えないのなら——消えないのだろう。俺がやったことに間違いはない」
広間が静まった。
セバスティアヌスが、少しの間ファブリツィオを見た。それから静かに言った。
「以上です」
ファブリツィオが立ち上がった。護衛が両脇に立った。連れていかれる時、ファブリツィオが一度だけ振り返った。
広間の傍聴席の方を見た。
じっとアルヴィンを見つめていた。
◇
オットーが証言席に座った。
眼鏡をかけている。痩せた顔。手に、帳簿と持っていないオットーは、何か手持無沙汰だった。
「オットー。あなたはエアル王国財務卿として、リミニとの内通、横領、そして先王暗殺への加担を認めています」
「はい」
声が、小さかった。
「経緯をお聞かせください」
オットーが、膝の上に手を置いた。
「妻が病に倒れました。長い眠りが続く病でした。医師には手の施しようがないと言われました」
一息、置いた。
「その頃、ロレンツォ議長から紹介がありました。時間を薄める魔法で、延命できると。その費用のために——横領を始めました」
「横領の発覚後は」
「ロレンツォに握られました。情報を提供し続けなければ、横領を公表すると。それで——閣議の内容を流し続けました。先王のご訪問の日時も、知らせてしまいました」
広間が静まった。
「夫人は?」
「今年、亡くなりました」
オットーが、静かに言った。声が揺れなかった。揺れないように、堪えていた。
「十余年、眠り続けていました。すり減った椅子で——毎晩、寝息を聞いていました」
セバスティアヌスが、少しの間だけ目を伏せた。
「先王への、言葉はありますか」
オットーが、長い沈黙の後に言った。
「申し訳ない、という言葉しか——ありません」
顔が歪んだ。眼鏡の奥の目が、濡れていた。しかし声は続いた。
「世間では悪く言う人も多いが、あの方は——良い王でした。それだけは、言わせてください」
広間が、静かだった。
セバスティアヌスが言った。「ありがとうございました。以上です」
オットーが立ち上がった。戻る時の歩き方が、来た時より少し軽かった。長い間抱えてきたものを、ここに置いてきた人間の歩き方だった。
◇
証言が終わると、広間に短い休憩が入った。
修道士たちが水を運んだ。代表席の面々が小声で言葉を交わした。書記が羊皮紙を整理した。セバスティアヌスは席を立たず、手元の文書を静かに読んでいた。
リーナが傍聴席でアルヴィンの隣に来た。
「……緊張します」
「するな」
「します」
アルヴィンが前を向いたまま言った。
「結果は変わらない。緊張しても、しなくても」
「それは分かっています」
リーナが膝の上で手を組んだ。
「分かっていても、緊張します」
アルヴィンが、少しだけ口の端を動かした。




