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第96話 国際法廷

 

 法王国セルヴィアの総本山は、丘の上にあった。


 石造りの壁が、秋の空を背にして立っている。高窓から差し込む光が、回廊の石畳に長い影を落としていた。天秤の紋章が、どの扉にも、どの壁にも彫られている。正義と信仰。長い歴史の中でこの国が守り続けてきたものだ。


 各国の代表団が、順々に到着していた。


 最初に来たのはアルカディア公国の一行だった。赤いコートが、回廊の石畳に映える。評議会の男女がそれに続いていた。次いでリミニの新しい代表が馬車を降りた。十人委員会の紋章ではなく、暫定政府の簡素な印章を掲げていた。エアルの馬車が続き、ナディールが石段を上った。最後に聖シュタインの金と黒の紋章を掲げた馬車が止まり、ハインリヒ皇太子とコンラートが降り立った。


 アルヴィンは馬車を降りた後、ハインリヒたちとは別の方向に歩いた。彼に正式な代表席はない。案内の修道士に「傍聴を」と申し出ると、修道士は顔を上げて静かに頷いた。


 ◇


 法廷は、総本山の中央にある大広間だった。


 天井が高い。石の柱が左右に並び、その間に高窓が連なっている。秋の光が斜めに差し込み、床の石畳に幾本もの光の筋を作っていた。正面の壁に、大きな天秤の浮き彫りがあった。左の皿には記憶。右の皿には水。古い寓意だ。嘘や罪が多いほど、記憶のしずくは泥のように重く沈みその魂は転生出来ないという。


 広間の中央に、長い机が置かれていた。


 各国の代表がそれを囲んで着席する。


 正面の最も奥の席にセバスティアヌス枢機卿が座った。今日は穏やかな老人の顔ではなかった。白い法衣に、金の帯。天秤の紋章の胸飾り。この裁判の主催者として、法王インノケンティウス5世から全権を委ねられていた。


 その左右に、書記の修道士が二人座った。羽根ペンと羊皮紙が、机の上に並んでいる。ここで語られる全ての言葉が、記録される。


 机の向かって右側に、各国の代表席が並んだ。


 最初の席に、ハインリヒ皇太子が座った。聖シュタイン帝国の代表だ。カール皇帝の名代として、帝国の全権を預かってここにいる。コンラートがその後方に控えた。証人として召喚されているため、代表席ではなく証人用の椅子に座る。


 続いてナディールが着席した。エアル王国宰相、ルートヴィヒ・フォン・エーレンベルク。エドゥアルト国王の名代として座っている。


 その隣に、アリアドネ・テミスが座った。赤いコートが、石造りの広間の中で際立った。アルカディア公国の元魔法評議会議長が現役の評議員と共に座る。


 リミニの暫定政府代表が、最後の席に着いた。まだ形の定まらない政府の男だ。緊張した顔で、机の上に手を置いた。


 机の向かって左側——証人と、被告の場所だった。


 長椅子が並んでいる。そこにロレンツォ、ファブリツィオ、オットー、アゴスティーノが座っていた。警護の兵士が左右に立っている。


 証人席は、被告席とは別に設けられている。広間の右手、窓に近い場所に一脚の椅子が置いてある。ここに順番に証人が座り、証言を行う。


 広間の後方には傍聴のための椅子が並んでいた。


 アルヴィンは、その一番端に座った。


 リーナが隣に座ろうとしたが、アルヴィンが小声で「お前は証人席に近い方がいい」と言った。リーナが頷いて、少し前の席に移った。エルネストも傍聴席の別の場所に座った。カッシオが入口の近くで壁に背を預けた。「えらいところに来てしまった」という顔をしていた。


 広間が、静まっていく。


 人の動きが止まり、咳払いも消え、光の筋だけが床を走っていた。


 ◇


 セバスティアヌスが立った。


 背筋が伸びていた。穏やかな老人がいつも持っている、あの柔らかさが、今日は無かった。静かで、重い空気をまとっている。


 広間の全員が、その老枢機卿を見た。


「開廷いたします」


 声が、石の天井に吸い込まれていった。


「この裁判は——」


 少し間を置いた。


「罪を裁くとともに、新たる秩序の礎を築くものであります」


 書記のペンが動き始めた。


「まず、この法廷が何を成すものなのか申し上げます」


 セバスティアヌスが、代表席の面々を見渡した。ハインリヒ。ナディール。アリアドネ。リミニの代表。


「本法廷は、法王インノケンティウス5世の全権委任のもと、セルヴィア法王国が主催いたします。歴史

的に教会は世界における紛争の最終的な仲裁者として機能してきた。その伝統に従い、今回の事案——エアル先王の暗殺、国際的な経済詐欺、魔法使いへの強制、そして連鎖した武力衝突——を一括して審理いたします」


 ロレンツォが、前を向いたまま動かなかった。


「証拠の判断基準について、申し上げます」


 セバスティアヌスが、机の上の羊皮紙に目を落とした。


「先般、自由都市リミニの大金庫において、魔法使いリーナ・ヴァイス・フローラが染み抜きの魔法を行使いたしました。その結果、多数の文書が白紙となり、一部の文書——例えば暗殺の記録——は消えずに残りました」


 広間が、静まり返った。


「神の力を借りた魔法が、不正な文書を消し、正当な記録を残した。これは人の判断ではなく、魔法の原理——すなわち神の摂理が示した裁きであります」


 セバスティアヌスが顔を上げた。


「消えなかった文書を、本法廷は証拠として採用いたします。消えた文書の内容については、別途証言により補います。この判断基準に、異議はありますか」


 代表席の面々が、順に首を横に振った。リミニの代表が一瞬だけ迷ったが、やがて頷いた。


「異議なし、と認めます」


 書記のペンが走った。


「次に、本法廷の議題についてお伝えいたします」


 セバスティアヌスが、また羊皮紙に目を落とした。


「第一に、エアル先王フリードリヒ・フォン・エーレンベルクの暗殺に関わる罪。第二に、自由都市リミニによる国際的経済詐欺および強制。第三に、魔法使いの子女を人質とした魔法の強制使役。第四に、リミニ戦勝バザールにおける聖シュタイン魔法部隊による民間人への攻撃。第五に、エアル王国による陽動外交および情報戦の是非」


 五つ目の項目を聞いた時、アルヴィンが傍聴席で小さく口を尖らせ、そして、確認するように、一度だけ息を吐いた。


「以上の五点を審理いたします」


 セバスティアヌスが、机の上に手を置いた。


「そして——もう一点」


 声のトーンが、わずかに変わった。


「本法廷の結果として、各国代表に署名をお願いしたい文書があります」


 代表席の面々が、互いに顔を見合わせた。


「エアル王国の永世中立に関する宣言書であります」


 広間がざわめいた。小さく、しかし確かなざわめきが、石の壁に反響した。


 ナディールは、表情を変えなかった。しかし机の下で、指が一度だけ握られた。


「審理の終了後、各国代表に署名をいただく予定であります。詳細は追ってお示しします」

 セバスティアヌスが、広間全体を見渡した。


「では——証人を呼びます」

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