表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/97

第94話 誰がために

 

 大金庫へ兵士たちが走っていた。


 しかし、別の一団が彼らを遮った。


 赤いコートが、先頭に立っていた。五つの黒い仮面がその後ろに続いていた。廊下をくぐり、金庫の中に足を踏み入れる。


 倒れた兵士たちが、廊下の両端に並んでいた。誰も血を流していない。ただ眠っているように、気を失っている。


「遅くなりました」


 アリアドネが言った。


「アリアドネ議長!」


 マルタが声を上げた。


 カッシオが倒れた兵士とアリアドネを交互に見た。アリアドネが兵士たちを一瞥した。


「眠らせただけです」


 それだけ言った。


「暗殺帳は?」


「見つかりました」


 リーナが暗殺帳を掲げた。アリアドネは頷くと、


「行きましょう」


 全員が走り始めた。


 守護魔法が消えた以上、アリアドネたちの行く先を拒めるものはいなかった。兵士たちを無害化しながら、一行は最上階の会議室に向かった。


 ◇


 扉が開いた瞬間、会議室の空気が固まった。


 リミニの十人委員会が、そこにいた。ナディールとアルヴィンが、テーブルを挟んでロレンツォと向き合っていた。そのテーブルに——白紙になった先王の借入金契約書があった。


 ロレンツォが入り口を見た。赤いコート。黒い仮面。そして——泥のついた靴を履いた若い女が、一冊の台帳を胸に抱えている。


 片眼鏡が、かすかに動いた。


 アルヴィンとナディールが顔をほころばせた。


「リーナ。やってくれたな」


 リーナが静かに頷くと、暗殺帳を差し出す。満面の笑みをたたえて。


 アルヴィンは、それをしっかりと受け取ると、ロレンツォたちに向かって口を開いた。声は穏やかだった。


「ファブリツィオから場所を聞きました。大金庫の古い出生記録の中に——紛れ込ませたと」


 テーブルの上に暗殺帳を置いた。


 しばらく、誰も触れなかった。


 最初に手を伸ばしたのは——バルトロメオだった。数字の男らしく、事実から目を背けない。ページをめくる。指が止まる。また、めくる。


 名前が並んでいた。日付。方法。依頼者の名前。そして印章。


 委員たちが覗き込んだ。顔色が変わっていく。一人ずつ、順番に。


「これは……」


 誰かが呟いた。


 様々な名前がある。セルヴィアの使節、聖シュタインの貴族、アルカディアの魔法使い。フィリッポが一つの名前で止まった。病死した筈の十人委員会の名前までもが書かれていた。


 そして——ページの古い層に、一つの名前があった。


 フリードリヒ・フォン・エーレンベルク。


 日付。毒の種類。実行者の名。依頼者——ロレンツォ・ディ・ヴァザーリ。印章が押されている。


 アゴスティーノが台帳から顔を上げた。目に別の何かを宿していた。


 ナディールとアルヴィンが視線を交わし、静かに頷いた。ナディールは動かず、真っすぐに正面を向く。テーブルの端を、静かに握って。


 ◇


 椅子を引く音がした。


 アゴスティーノが立ち上がった。ゆっくりと、ロレンツォの方を向いた。


「議長」


 声は低かった。


「ちょっと良いか」


 ロレンツォが視線を向けた。片眼鏡の奥の目が、次の質問を待っていた。


「あなたは——何を守るために、戦っているんだ」


 間があった。


 ロレンツォが答えた。迷わなかった。


「知れたこと。国と、国民のためだ」


 嘘ではなかった。六十年、そう信じてきた言葉だった。


 アゴスティーノが首を傾げた。ゆっくりと。


「私の息子は——あなたの国民だったのか」


 ロレンツォが黙った。


「嫁も。キアラも」


 アゴスティーノが台帳を見た。それからロレンツォを見た。


「ここに書かれた人たちは——あなたの国民ではなかったのか」


 声が揺れた。揺れてはいるが、その芯は強い。


「私は国のためと思って聖シュタインとの戦争を指導した。しかし、戦争の狂気が子供と孫を奪った。議長は先ほど、長期戦ならリミニが勝つとおっしゃった。そうかもしれん。でも——その長期戦でどれだけの国民が死に、苦しむことか」


 アゴスティーノはそこまで一息に言うと、悲し気な表情でロレンツォを見た。


「私にはあなたが守っているのが国や国民だとは、思えない。あなたが守っているのは——体制と、地位だけだ」


 部屋が、静まり返った。


 ロレンツォは答えなかった。


 答えを、探していた。これまで積み上げてきた論理で、この問いに応じようとして——言葉が、見つからなかった。


 六十年。一度も詰まることは無かった。今夜、初めて、言葉が出なかった。


 ◇

 

 議場の建物に群衆が群がっていた。全員が手に天秤の首飾りをしている。アリアドネたちに無力化された衛兵たちは、その群衆を押しとどめることは出来なかった。群衆たちの先頭に白い法衣を纏った老人がいた。議場への階段を上り始める。


 議場の扉が静かにノックされた。


 扉は開いていたが、もう一度ノックしてから、老人が入って来た。穏やかな目をしている。


 セバスティアヌス枢機卿だった。


 突然の、場違いな訪問者に、ロレンツォまでも意表をつかれていた。


 枢機卿が部屋の中を見渡した。テーブルの上の白紙の契約書。開かれた台帳。立ち尽くす委員たち。


「……遅くなりました」


 老枢機卿が言った。


「法王聖下より、書状を預かって参りました」


 白い封書を取り出した。重厚な印章。


「この問題の解決は——セルヴィアの国際法廷で、と」


 ランプの炎が、静かに揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ