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第83話 預り所


 満月の夜。


 『金色の麦』の二階に、ランプが灯っている。


 テーブルを囲んで、シャドーキャビネットの面々が座っている。ナディール、アルヴィン、リーナ、フェルディナント、エルネスト、カッシオ、ルカ。いつも通りの顔が、いつも通りの場所にある。


 ブラントが立って話していた。


「アルヴィン殿が調達した資金で、傭兵の雇い入れが進んでおります。カラカスは彼らで溢れており、正規兵による治安維持も強化しています」


 アルヴィンが頷く。


「全員が屯田兵契約です。害虫の駆除、水路の管理、施肥の徹底——今年の麦の収穫量は、例年にない規模になるでしょう」


 一息置いた。


「ただ——問題があります」


「どうした」


 ナディールが顔を上げた。


「労働力が余り気味です。割り振る農作業が不足し始めています」


「秋の収穫が終わったら、秋撒きの小麦のための畑の開拓をすれば——」


「それも進めた上で、です」


 ブラントが静かに言った。


 部屋に沈黙が落ちた。


 その時——アルヴィンが、ずいと前に出た。


「この時を待っていた」


 どさり、と音がした。


 厚い計算書が、机の上に置かれた。続いて、巻物が広げられた。大きな設計図だ。端に文字がある。


『第二蒸留所設立計画』


 ルカが設計図を見た。


「……何器の蒸留器を?」


「二器だ」


 アルヴィンが事もなげに言った。


「それを——私が一人で?」


「現在の蒸留所はアルカーナム専用にする。蒸留酒は別の場所でやるべきだ」


 ルカが計算書に目を走らせた。


「そして」


 アルヴィンが次のページをめくった。


『第二蒸留所第二期拡張計画』


「ここで蒸留器の改良と、倉庫の大幅増設を行う」


 更にめくった。


『第三期拡張計画』


「最終的な倉庫面積は——現在の十倍になる」


 ルカが絶句した。


 小さな手が、計算書の端を掴んでいる。


「……安心しろ」


 アルヴィンが言った。


「全部に老化魔法をかける必要はない。十分な倉庫を確保してある。じっくり熟成を待てばいいんだ」


「どうして途中で増設せず、最初から二器なのですか」


「ブランデーとウィスキーを一つで作ると——香りが移る。一緒にしてはいけないんだ」


 ルカが少し考えた。


「……なるほど」


 リーナが手を上げる。


「それなら製紙工場も増設した方が良くないですか」


「ああ、もちろん考えてある」


 アルヴィンが、もう一枚の計算書を机に置いた。


 全員の目が集まった。


 沈黙。


「……薄い」


 カッシオが言った。


 明らかに、蒸留所の計画書と分量が違った。


「明らかに私情が入っています」


 リーナが言った。


「確かに——これでは製紙工場で働く者のやる気を削ぎかねません」


 フェルディナントが眼鏡を押さえながら言った。


「いや、人にはモチベーションというものがあって、それは——」


 その時。


 扉を叩く音がした。


 全員が顔を上げた。


 扉が開いた。


 赤いコートの女が、静かに入ってきた。


 誰も足音を聞いていなかった。馬車の音も。階段を上がってくる音も。それでも——もう驚かなくなっていた。アリアドネ・テミスがどうやってこの部屋に現れるのか、シャドーキャビネットの誰も分からなかった。しかし、既に慣れていた。


「今晩は、皆さん」


 アリアドネが言った。


 その顔が——少し、疲れていた。いつも感情を見せない顔が、今夜は少しだけ、疲労を隠しきれていなかった。


「どうぞ」


 ナディールが椅子を引いた。


「顔色がすぐれませんが。どうしました」


 アリアドネが座った。


「リミニが計算機を売れと言ってきました」


 静かな声だった。


「我々がそんなものは知らないと回答すると——禁輸の圧力をかけてきました。特産品百品目。絹と染料も含まれています」


 顔を見合わせるアルヴィンとフェルディナント。


 アルヴィンが頭を掻いた。


「申し訳ない。計算機はエアルで開発したものです」


 アリアドネが少し間を置いた。


「そうなのですか?」


「リミニには——アルカディアは素材を提供しただけで、完成品を持つのはエアルだと回答してください。それで圧力はこちらに向く」


「分かりました」


 アリアドネが頷いた。それから、続けた。


「ただ——魔法評議会は今回の圧力で、リミニと敵対することを避けるべきという意見が多数派を占めつつあります」


「なるほど。つらいお立場ですね」


 ナディールが静かに言った。


「リミニは各国への圧力を強めている。しかし——今日は一つ、良い話があります」


 アリアドネが顔を上げた。


「法王国セルヴィアが——カラカスを不可侵の聖地として宣言してくれることになりました」


 アリアドネが、意表を突かれた顔をした。


「セルヴィアが?」


「ええ。ヴェルダの棲む聖地を魔法使いが守るなら——それはヴェルダが選んだ守護者だ、と」


 アリアドネは少しの間、黙っていた。


「……あれほど、魔法を敵視していたのに」


「より大きな敵と戦うためです」


 アルヴィンが続いた。


「リミニ系の商会が寄付を通じて、セルヴィアの組織を根底から揺るがしています。ブラント、話してくれ」


 ブラントが前に出た。


「アルヴィン殿の通商ルートを利用し、我々は多くの者を自由都市に送り、内側をつぶさに見てきました。セルヴィアへの寄付ルートも、その過程で発見できました」


 一拍置いた。


「その過程で——ある施設を発見しました」


 声のトーンが変わった。


「预り所です」


 アリアドネが眉を動かした。


「预り所?」


「表向きは、子供たちが預けられている宿舎です。しかし——異常なまでの警備が施されていました。子供たちは、幽閉されています」


「誰の子供が?」


 リーナが口を開いた。


「グラリキスでお会いした時——十人委員会には強い守護魔法がかかっていましたよね」


「それは間違いない」


 アリアドネが答えた。


「守護魔法に、心を隠す魔法が何重にもかかっていた。強い魔法使いが——あそこに雇われているのだと思っていた」


「守護魔法には、強い思いが必要ですよね」


 リーナがゆっくりと言った。


「不思議だったんです。どうやってエルネストさん以上の強い魔法が生まれるのか」


 エルネストが、大きな手を組んだ。


「守護魔法が破られれば子供たちに危害が及ぶとしたら——魔法使いたちの思いは最大になる」


 低い声で言った。


「愛情を担保に取る。ひどい話です」


「リミニの商会で働く魔法使いたちに接触しました」


 ブラントが続けた。


「条件の良い寄宿学校という触れ込みで——子供たちを連れて行かれている。その後は会えない。手紙も届かない。しかし子供たちは生きている。生きていれば——逆らえない」


 部屋が、静まり返った。


「運営しているのは」


 ブラントがため息をついた。


「ロレンツォの商会です」


 アリアドネは、しばらく動かなかった。


 どこまで、と言おうとした。言葉が、出てこなかった。


「お気持ちは分かりますが——軽々には動かれませんよう、お願いします。我々も作戦を練っています」


 ナディールが静かに言った。


「ロレンツォから」


 アリアドネが口を開いた。


「以前——リミニに魔法学校を作ろうという提案がありました」


 拳が、膝の上で握られた。


「預り所と同じことをやろうとしていたに違いない。あの時、私にはそれが分からなかった。分からないまま断りました。正しい理由ではなく、感情で断ったのです」


 一息置いた。


「動くなと言われるのは分かります。しかし——評議会で、私に出来ることはあるのでしょうか」


 ナディールは答えなかった。


 その問いに答えを持っていなかったからではない。


 それは——今夜、ここで問われるべきものだと思ったから。


 灯りが揺れた。


 ◇


 同じ夜。


 自由都市リミニにも、満月が出ていた。


 石畳の街路を、月の光が白く照らしている。運河の水面がきらめく。港の船が、静かに揺れている。二百年かけて積み上げた富が、月の下で眠っていた。


 ロレンツォは、自室の大きな窓から、その街を見下ろしていた。


「議長」


 マルティーノが部屋の端から言った。穏やかな声。三十年、変わらない声だ。


「セルヴィアがカラカスに不可侵の聖地宣言をするようです」


 ロレンツォは振り返らなかった。


「アゴスティーノの工作に便乗して、異端審問の使者を消したのが——刺激したか」


 低い声だった。


「だが、我々の網は十分に張り巡らされている」


 窓の外に目を戻した。月が、運河の水面に揺れている。


「聖シュタインは揺らいでいる。セルヴィアはがんじがらめ。アルカディアも——圧力に屈しつつある」


 独り言のような声だった。


 計算だ。全て計算通りだ。この世界は計算で動く。経済で動く。軍事は経済の下僕で、感情は経済に敗ける。六十年かけて確かめてきたことだ。


 しかし——


 アルヴィンの顔が、頭に浮かんだ。


 グラリキスの花の下で見た目だ。藍色の上着。真っ直ぐな目。「収奪は一度だけです」と言った時の、揺れない声。


 その男は——どこかで見てきた目をしていた。


 六十年間、世界中の商人を見てきた。どの目も、分類できた。欲の目、怯えの目、野心の目、諦めの目。しかしあの目は——この世界のどこにもない目をしていた。


 どこで、見てきたのか。


 片眼鏡を外した。


 懐から布を取り出した。ゆっくりと、拭き始めた。


 いつもより——長く。


「……あの男と」


 呟いた。


「勝負をつけるか」


 月が、運河に揺れていた。


 白い光が、二百年の街を、静かに照らしていた。

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