第8話 天然のひらめき
エリザベートの成人式から数年。マックスは完全に王女の犬になった。どこへ行くにも一緒で、誰よりも王女を守っている。聖シュタイン帝国が送り込んだ戦闘犬が、今やこの国で一番忠実な護衛犬だ。
王女はいつもこうだ。どこか抜けているのに、不思議と周囲を和ませる。
「色々、ございまして」
閣議のことを聞かれて、ナディールは曖昧に答えた。
「あら、お悩みの種は?」
無邪気に聞いてくる。ナディールは少し考えてから、簡単に説明した。
「財政が厳しいのに、道路を作らなければならない、とか」
すると王女は——目を輝かせた。
「良いですね!」
「え?」
「道路、良いですわ。私もグラリキスの見事なあたりに街道を開くと素敵だなと考えていたの。あそこ、景色が綺麗でしょう? 旅人が増えたら、素敵ですわ」
花を見るような目で言う。ナディールは口を開きかけた。いや、それは軍用道路とは——。
だが言葉が止まった。
待て。グラリキス。確かにあそこは景色が良い。そして——麦の産地だ。街道が整備されれば流通が良くなり、経済が発展する。
聖シュタイン帝国は国境から首都への道を求めている。だが端から作る必要はない。発展する地域を優先すれば、経済効果がある。税収が増える。そうすれば財政負担が減る。そして聖シュタイン帝国には「建設している」と報告できる。時間を稼げる。
ナディールは膝を打った。
「名案です! 王女殿下、ありがとうございます!」
立ち上がって、執務室に向かって走り出した。書類を書かなければ。計画を立てなければ。
王女はその背中を見て、首を傾げていた。
「あら。喜んでくれたのかしら」
マックスを撫でながら、無邪気に笑う。
「ルートヴィヒ、元気になったわね。良かった、良かった」
◇
執務室に戻ったナディールは、机に向かって羽ペンを走らせた。
「グラリキス地方、優先整備。経済効果、試算。税収増加、見込み」
書きながら考える。だが資金が足りない。グラリキス地方だけでも金貨二百万枚は必要だ。国庫にそんな余裕はない。
ペンが止まった。
その時——ある顔が浮かんだ。
あの若者。アルヴィン。酒場で語っていた言葉。「オプション」「買う権利を売る」。
ナディールは、はっとした。
街道ができれば旅人が増える。商売が発展する。宿屋が必要になる。食堂も、雑貨屋も。つまり——街道沿いに店を開く権利。それを先に売ればいい。
「街道沿いで商売ができる権利を金貨一万枚で売る。街道が完成するのは五年後。でも権利は今買える」
商人たちは飛びつくだろう。街道が完成すればその場所は一等地になる。金貨一万枚が金貨十万枚の価値になる。二百の権利を売れば金貨二百万枚。これでグラリキス地方の街道が作れる。そして街道ができれば税収が増え、商売が発展し、経済が回る。
「これなら……いける」
羽ペンが再び走り始めた。
「街道沿い商業権の事前販売。金貨一万枚、二百口。街道完成予定、五年後。購入者には優先的に土地を斡旋」
書きながら、ナディールは呟いた。
「あの若者……とんでもない男だ。酒場で聞いた話が、国の財政を救うとは」
笑みが浮かぶ。
「会わねばならんな。もっと話を聞かねば。あの男の知識は——この国を、救えるかもしれない」
計画書が完成していく。「グラリキス街道整備計画」「資金調達法:商業権オプション販売」「予想税収増加:年間金貨五十万枚」。
満足そうに頷いた。
「これで、明日の閣議は通る」
◇
夕方。
ナディールは執務室を出て、王宮の廊下を歩いた。足取りが軽い。今日も『金色の麦』に行こう。あの若者に会えるかもしれない。また面白い話が聞けるかもしれない。
王宮を出ると、夕焼けが綺麗だった。オレンジ色の空に紫色の雲。馬車に乗り込み、「『金色の麦』へ」と告げる。
窓の外を眺めた。石造りの建物、石畳の道、行き交う人々。平和な風景だ。
「この景色を守る。それが俺の仕事だ」
馬車が街を抜けると、金色の麦畑が見えてきた。夕日に照らされて輝いている。
「……美しいな」
ナディールは微笑んだ。この国はまだ大丈夫だ。王女殿下がいる。あの若者がいる。俺もまだ戦える。小さな希望だが、確かな希望だ。
馬車が『金色の麦』の前で止まった。降りて扉を開ける。まだ客は少ない。カウンターにバーテンダー。そしてテーブルには——いた。あの若者、アルヴィン。一人で水を飲んでいる。
ナディールは笑みを浮かべて、歩み寄った。
「やあ」




