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第6話 詐欺師、仲間を見つける

 その夜、アルヴィンは王宮近くの広場を歩いていた。


 夜でも人通りが多い通りに、三階建ての風格ある宿がある。王宮に近いだけあって、なかなかの造りだ。


 阿久津の目で、その宿の外観をじっくりと眺めた。


「それらしい場所は、決まりだな」


 口元に浮かんだのは、我ながら悪い笑顔だった。


 そのまま足を向けたのは、酒場『金色の麦』だ。扉を開けると、まだ早い時間帯で客はまばらだった。カウンター近くのテーブルに見覚えのある背中がある。


 ナディールだ。一人でワインを飲んでいる。


「ナディール閣下」


「あんたか」


 向かいの席に座ると、ナディールは機嫌よさそうにグラスを傾けた。


「畑は、高く売れたかい?」


 昨夜教えた、オプション取引を応用できただろうか。


「あんな大嘘はつけないが……お前の話は参考にはなったよ。交渉がうまく進んだ」


「じゃあ、あなたも共犯だな」


「何を言う。私にはやましいところなど一つもない。ただ参考にしただけだ。詐欺はしていない」


 真面目な顔で言い張るナディールに、アルヴィンはつい笑ってしまった。この男は根っからの善人だ。


 そこへ、明るい声が聞こえた。


「いらっしゃいませー」


 リーナがグラスを置きにきた。アルヴィンと目が合うと、小さく微笑む。アルヴィンも軽く頷いた。


 リーナが去った後、ナディールが意味ありげな顔をした。

「……何か、あったのかい?」


「彼女が店に買い物に来ただけだよ」


「ふーん。若者は、いいなぁ」


 放っておいてくれ。


 ナディールがぼんやりと壁を見上げた。そこには若い女性の肖像画が掛かっている。華やかなドレスに王冠。気品のある顔立ちだ。


「この国の王女様だな。謁見したことはあるかい?」


「ある」


「どんな人だ?」


 ナディールはしばらく黙ってから、一言だけ言った。


「……天然」


「天然?」


「天性のものを持っておられる。なかなか他にああいう方はいない」


「それは褒め言葉なのかね」


「さあな。でも、不思議な方だ。会うと、元気が出る」


 そんな話をしていた時だった。


 酒場の扉が開いて、身なりの良い太った男と、その夫人が入ってきた。高級そうな服に金の鎖、指輪。裕福な商人と見て間違いない。夫人もシルクのシャツに宝石のネックレスという出で立ちだ。


 太った男が席に着こうとした時——大きな尻を振り回して、後ろを通りかかったリーナにぶつかった。


「きゃっ!」


 リーナがよろけて、手に持っていたワインの瓶とグラスが宙を舞った。


 ガシャン、と派手な音が響く。瓶が床に落ち、グラスも割れ、赤いワインが飛び散った。太った男の服にワインがかかり、夫人のシルクのシャツにも赤い染みが跳ねた。


「なんてことをしてくれるんだ! この服は高級品だぞ!」


 太った男が怒鳴る。リーナは真っ青な顔で何度も頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! すみません、すみません!」


 涙目になりながら謝り続けるリーナの横で、夫人が自分のシャツを見ていた。白いシルクの裾に、赤いワインの染みが広がっている。


「これ、高かったのに……」


 その声を聞いたリーナが、はっとした顔で夫人の前にしゃがみ込んだ。そして——手のひらをシャツの裾にそっと当てた。


 アルヴィンは息を呑んだ。


 赤いワインの染みが、ゆっくりと薄くなっていく。まるで液体が吸い取られるように、シルクのシャツから色が消えていき、代わりにリーナの手のひらが赤く染まっていった。


 これが——魔法か。


 染み抜きの魔法。こうして目の前で見ると、小さな魔法でも十分に幻想的な光景だった。だが太った男は、シャツが綺麗になったことなど目にも入っていないようだった。


「シミだけ取っても、どうにもならん! 服は濡れたままじゃないか! これを着てどう帰れと言うんだ!」


 店主が飛んできて、何度も頭を下げる。


「大変申し訳ありません! 弁償いたします!」


「弁償すれば済む問題か!」


 そして店主は、リーナを睨みつけた。


「本当に、この娘は役立たずで——もういい。クビだ。出ていけ」


 リーナが凍りついた。


「え……」


「クビだと言っている。もう来なくていい」


 リーナは涙を浮かべながらエプロンを外し、カウンターに置いた。そして、泣きながら店を出ていった。


 扉が閉まる。店内が一瞬、静まり返った。


 ナディールが、低い声で呟いた。


「……大人げない」


 アルヴィンは立ち上がった。


「クビなら、うちにもらっても問題はないな」


 ナディールが目を上げて、ふっと笑った。


「そうだな」


 ◇


 店を出ると、夜の石畳の道を月明かりが照らしていた。


 少し先に、リーナの後ろ姿が見えた。とぼとぼと歩いている。アルヴィンは走って追いかけた。


「リーナ」


 振り向いた顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。


「ア、アルヴィンさん……」


「あんたのせいじゃないだろう。あのでかい尻にぶつかられたら、誰だって転ぶさ」


 リーナは涙を拭いたが、まだ声が震えていた。


「でも……私がうまくなだめられたら良かったんですけど。接客も下手で……役立たずで……」


 アルヴィンはリーナの手を見た。手のひらにワインの赤い染みがまだ残っている。さっき魔法で吸い取った染みだ。


「魔法を、初めて見た。すごいものだな」


「魔法は大体が等価交換です。消えた染みは、私に移るんです」


 赤く染まった手のひらを見せながら、リーナは言った。


「だんだん薄くなって消えていきますけど……いくらでも使えるものじゃないんです」


 等価交換。ナディールが言っていた「魔法は扱いが難しい」「大きな魔法を使うと自分の命を削る」という言葉が、頭の中で繋がった。魔法はただじゃない。代償がある。


 アルヴィンは一呼吸置いてから、言った。


「酒場を追い出されたなら——俺の雑貨屋で、働かないか?」


 リーナが、ぽかんとした顔になった。


「えっ?」


「俺はあちこち出かけることが多いから、店番が必要なんだ。そんなに繁盛してないから、楽な仕事だ」


 そこで少し間を置いて、付け加える。


「昼食、昼寝付き。給金は『金色の麦』と同じでいい」


 リーナはしばらく呆然としていた。そして——笑い出した。


「ふふっ……あはは。昼寝付きって、何ですかそれ」


 涙がまだ頬に残っているのに、笑っている。声が酒場で聞いた時の明るさを取り戻していた。


 だが、笑いが収まると、真剣な目でアルヴィンを見つめた。


「……本当に、いいんですか? 私、役立たずですよ。染み抜きしかできないし、接客も下手だし」


 アルヴィンは首を横に振った。


「お前は、役立たずなんかじゃない」


 はっきりと言った。


「俺が、保証する」


 リーナは黙った。長い沈黙だった。月明かりの下で、風が吹いて、遠くの麦畑がさらさらと音を立てていた。


 やがてリーナは、小さな声で——でも力強く答えた。


「……はい。お願いします。私、雑貨屋を頑張ります」


 深く頭を下げる。アルヴィンは手を差し出した。


「じゃあ、明日から」


 リーナがその手を取った。涙はもう止まっていた。


 二人で月明かりの下を歩き始める。雑貨屋へ。リーナの、新しい職場へ。


「そういえば、酒場の荷物とか大丈夫か?」


「あ……明日、取りに行かないと」


「じゃあ、一緒に行こう。店主に文句言っといてやる」


「や、やめてください! 問題起こさないでください!」


「はいはい」


 二人の笑い声が、夜の街に響いた。月が優しく照らす石畳の道を、新しい仲間と歩いていく。


 詐欺師と、「役立たず」の魔法使い。


 物語は、まだ始まったばかりだ。

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