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第57話 最後の別れと名誉の価値


 オットーの告白は、続いていた。


「フリードリヒ様が亡くなる三日前に——ロレンツォが随行の者を連れて、フリードリヒ様を訪れています」


 ナディールの目が、わずかに動いた。


「翌日、フリードリヒ様は突然お出かけになり——次の日にお戻りになると床に伏せられ、そのままお亡くなりに」


 部屋の空気が、変わった。


「随行の者とは?」


「ファブリツィオです。そのころはまだ遍歴の騎士とは呼ばれていませんでした」


 オットーが少し間を置いた。


「少し前に——ルートヴィヒ様がファブリツィオを入国禁止にするお触れを出されたので、驚いたものです」


「やつは本当に騎士なのか」


「武芸者としての腕は確かです。そして——昔からロレンツォの汚れ仕事を引き受けてきた。それは間違いありません」


 フェルディナントのペンが止まった。


「証拠はありませんが…」


 オットーが首を垂れた。目を閉じ、顔をしかめながら言う。


「私は——あの二人がフリードリヒ様に何かをしたと思います」


「死の直前にロレンツォが会いに来たという話は——聞いたことがない」


 ナディールが静かに言った。


「はい」


 オットーが顔をしかめた。長い沈黙。


「私が手引きし——記録は、残しませんでした」


 ◇


 ナディールの顔が険しくなった。


 父は死期を察して蒸留所へ向かい——完成していたアルカーナムのすべてを、召喚魔法に使った。


 その直前に、ロレンツォとファブリツィオに会っているなら。


「——遅効性の毒か」


 声が、低かった。


 毒蜘蛛アラクネ。


 その異名は、網を張って獲物を捕食する比喩だとばかり思っていた。しかし——実際に毒殺を繰り返していたのだとしたら。


 ファブリツィオがその実行犯だとしたら。


 それまでエアルに経済的な圧力をかけ続けてきた自由都市リミニが——別のものに見え始めた。聖シュタインを挑発し、その精鋭を罠に陥れて、千の命を奪った。そして父を——何らかの理由で、毒殺した。


 彼らは父の仇。


 そして、明らかな敵だ。


 ナディールの眼に——新しい決意が満ちていた。


 ◇


 蒸留所の廊下を、エルネストが歩いてきた。


「忙しいところを呼び出してすまないな」


 アルヴィンが部屋の外で出迎えた。


「今は、ヴィトゥスが手伝ってくれますから何とか」


「彼、ちゃんとやれていますか?」


 リーナが廊下に顔を出して聞いた。


「私はタイパが悪いと怒られてばかりです」


「タイパ……あんたの方が指導されているのか?」


 アルヴィンが苦笑した。


 エルネストが部屋に入り、ベッドに横になっているマルタを見た。大きな手を前に出して、静かに感じ取る。


「確かに強い魔法だ」


「フリードリヒ先王の記録に——アルカーナムは、過度な魔法を使った者の副作用を解消すると書いてあります」


 リーナが羊皮紙を広げた。


「これからそれを試すのですが——何が起こるか分からないので」


「分かりました。先に守護魔法をかけておきましょう」


 エルネストがマルタの額に手のひらを向けた。静かに、丁寧に。


 しばらくして——頷いた。


「出来ました」


 リーナが小さな蝋の塊を取り出した。


 アルカーナムが不用意に触れないよう、蝋で絶縁されている。針で蝋に穴を開け、その針の先端に——一粒のアルカーナムをそっとのせる。


 白い粒が、光を帯びた。


 慎重に、マルタの口元へ運ぶ。


 次の瞬間——アルカーナムは一瞬で蒸発した。


 ケホッ、ケホッ、とマルタが咳をした。


 アルヴィン、リーナ、エルネストの三人が顔を見合わせる。


 マルタの顔が——みるみる血色を取り戻していく。頬に色が戻る。まるで霜が溶けていくように。


 マルタの口が開いた。


「ありがとう……」


 声が出た。


 かすれてはいたが、確かに声だった。


「もう——大丈夫」


 リーナがマルタの手を握った。体温が戻っている。


「魔法の副作用が——消えています!」


 三人が小さく歓声をあげた。リーナは目を潤ませていた。エルネストは照れくさそうに頭を掻いた。アルヴィンだけが、静かに笑っている。


「よく頑張ったな」


「まだ無理はいけません。体力を回復させなければ」


 エルネストが柔らかく言った。


 マルタが少し迷ってから、聞いた。


「コンラート様たちは?」


「大丈夫だ。少なくとも捕まったとは聞いていない」


 アルヴィンが答えた。コンラートとヴォルフは無事にゴールデンフィールドの輸送隊から離脱していた。その後、無事に山を越えたかは分からないが、最悪の報せは来ていない。


 マルタがそれを聞くと、目を閉じた。


「すいません——少し、眠らせてください」


 すぐに寝息が聞こえ始めた。


 体の中で魔法の副作用と戦い続けてきた。あの戦闘の日から、初めて訪れた安息だった。


 ◇


 オットーの告白は、終わりに近づいていた。


 夫人の寝室は静かだった。オットーの声だけが響く。


「フリードリヒ様が亡くなり——魔法の研究は止まってしまいました。自由都市へ借金を返す手段もなくなり、毎年ただ利子を払い続けることになりました」


「十余年で払った利子は、元本の約二倍です」


「それでも私は——蓄財のことしか頭になかった。国の財政が傾くのが分かりながら、横領とその偽装工作を繰り返していた」


 フェルディナントのペンが動き続ける。


「自由都市でも動きがありました。当時の議長が資金運営で大きな損失を出し——ロレンツォが新議長に選出されました」


「ロレンツォからは、フリードリヒ様が魔導物質を残していないか探すように指示がありました。城の隅から隅まで探しましたが——そんなものは出てきません。そもそも魔導物質がどのようなものか、私には分からないのですが」


「その後は——しばらく忘れていました。しかし最近になって、アルカディアから独占契約の話があり、驚いたものです」


「ロレンツォからの指示は——手紙か?」


「はい。私にしか読めない、不思議な手紙が来ます」


「不思議な手紙?」


「執務室の金庫に入っています」


 ナディールは頷いた。


「分かった。続きは王宮で聞こう」


 立ち上がる前に、一言付け加えた。


「最後のお別れを」


 オットーが頷いた。


 夫人のベッドの傍らに立った。もう寝息は聞こえない。橙色の光の中で、穏やかな顔が静かにある。


「今まで——ありがとう」


 低い声だった。


「私のわがままで——長いこと引き留めてしまって。すまなかった」


 額に、そっと口づけをした。


 そして——振り返った。


 三人が部屋を出ると、廊下で待ち構えていた役人たちがオットーの腕に縄をかけた。


 ナディールは静かな決意を胸に、廊下を歩き始めた。


 ◇


 酒場「金色の麦」の二階には久しぶりに、六人が揃っていた。


 ナディール、アルヴィン、フェルディナント、エルネスト、カッシオ、ルカ。ランプの明かりが六つの顔を照らしている。マルタに付き添っているリーナだけがいない。


「私が動けないところ——コンラート等の件は助かった」


 ナディールがアルヴィンに言った。


「危ない橋を渡らせてしまったな」


「何をいまさら。鉄剣聖を荷役夫に化けさせるくらい、簡単な仕事さ」


 アルヴィンが肩をすくめた。


「コンラート殿とヴォルフは無事に輸送隊を離脱した。まだ消息の情報はないが…。もう一人の魔法使いの娘は回復している。今はリーナが蒸留所で面倒を見ている」


「アルカーナムの新しい使い方も分かった。魔法の副作用に苦しむ魔法使いに使えば——その負債を消し去れる」


「なるほど」


 ナディールが頷く。


「それですが」


 エルネストが、全員を見回してから言った。


「そうであれば——ルカの年を、元に戻せるのでは?」


 全員がルカを見た。


 老化魔法を人に使い、二十五歳なのに十五歳の外観になってしまった魔法使い。少年の体に、落ち着いた目が宿っている。


「元の姿に戻りたいかい?」


 カッシオが聞いた。


 ルカが少し考えた。


「いえ」


 静かな声だった。


「オットーがあれ程手に入れたかった時間。」


「これは——あの夫婦からもらった時間でもある。それを副作用として消すことは出来ません」


 部屋に、少し沈黙が落ちた。


 ナディールが頷いた。誰も余分なことを言わなかった。


 ◇


「オットーを尋問した結果——いくつか分かったことがある」


 ナディールが表情を変えた。フェルディナントだけが頷く。


「自由都市のロレンツォは——父に貸し付けをした張本人だ。アルカーナムについても、ある程度理解していた」


「そして——父が亡くなる三日前に、ファブリツィオを伴って父と面談している」


 全員が黙って聞いている。


「恐らく交渉は決裂し——ファブリツィオが父に遅効性の毒を盛った」


「父は死期を察して蒸留所へ向かい——アルカーナムのすべてを使って召喚魔法を発動したのだと思う」


 だから——間に合わなかった、なのだ。


 心の中で付け加える。


 アルヴィンが暗い目をした。詐欺師の目で、情報を整理している。


「今度の戦でも、自由都市は毒を使ったと——コンラートたちが言っていた。食事に毒を入れられ、苦しんでいるコンラートの部隊を急襲した」


「ファブリツィオが俺を誘拐しようとした時も——水に毒を盛ったとブラフをかましたら、すぐに信じた。カッシオの魔法があったとはいえ、ほとんど疑いも持たなかった」


「自分たちが普段から毒を使っているなら——当然か」


「経済で支配し、都合の悪い者は毒で消す」


 ナディールが言った。


「ロレンツォは——我々の敵だ」


 全員が頷いた。


「それじゃあ」


 アルヴィンが、テーブルの上で指を組んだ。


「毒蜘蛛退治の作戦を立てていこう」


 会議は続いた。


 ◇


 蒸留所の部屋。


 窓から午後の光が差し込んでいる。


 マルタが上半身を起こして、窓の外を見ていた。リーナが向かいに腰かけ、お茶とクッキーを持っている。


 木々に若葉が茂り、生命力に満ちていた。ひと雨ごとに緑が深くなる、一年で一番勢いのある季節だ。


「ここは——穏やかですね」


 マルタが言った。


「ええ。春が終わってこれから夏——今が一番良い気候かも」


「人も、優しい方ばかり」


「そうねぇ」


 リーナがお茶を一口飲んだ。


「口の悪い人はいるけれど」


 くすり、と二人で笑った。


「今度——魔法使いの仲間を紹介しますね」


 リーナが言った。


「エルネストの守護魔法が一番実用的かな。あとは私の染み抜き、お腹を痛くする魔法、老化の魔法、新しく入ったヴィトゥスという子のタイパの守護魔法——変な魔法ばかりだけど」


 マルタが少し、うらやましそうな顔をした。


「聖シュタインの魔法部隊とは——全然違いますね」


 少し間があった。


「私の家は軍人の家系で——私も軍隊に入って戦うのが名誉だと思っていました」


「でも」


 マルタが窓の外を見た。緑が揺れている。


「本当にそうなのか——今は、自信がありません」


 リーナは少し考えてから、言った。


「まだ十九じゃない」


「一緒に——ゆっくり考えましょう」


 風が吹いて、窓の外の若葉が揺れた。


 マルタがクッキーを口に運んだ。

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