第4話 オプション取引
「そうすると、この国は兄弟ゲンカで生まれたのか」
アルヴィンはグラスを傾けながら言った。ナディールから聞き出した情報を、頭の中で整理している。
「そうさ。シュタイン帝国の兄弟ゲンカから始まって……我が国の王家は、周辺諸国の『捨て子』たちの集まりさ」
「捨て子?」
「ああ。あっちの皇帝とは従兄弟、こっちの法王とは義理の兄弟、そっちの大公とはまたいとこ」
ナディールは指を折りながら数えた。
「血が繋がりすぎていてね。誰も、この国を壊せない。でも、誰も助けようともしない。ただの気まずい親戚の集まりだよ」
声が少し沈んだ。アルヴィンはその言葉をじっと聞いていた。
そして——口元にニヤリと笑みが浮かんだ。悪い笑みだ。
「金持ちの親戚が、たくさんいるってわけだ」
ナディールはアルヴィンを見た。何か危険な匂いがする。
「馬鹿言ってやがる。そんなに良いものか。あいつらは皆、欲の皮が突っ張っていて、ひっきりなしに無理難題を押し付けてくる。金をよこせ、土地をよこせ、特権をよこせ、さもなくば戦争だ」
グラスを見つめる。
「……毎日、そんな要求が来る」
「欲深い相手ほど、つけいりやすい」
アルヴィンの声が低くなった。ナディールが顔を上げる。
「何?」
「あんたが売った畑だって、買主の欲をかければ、倍にも三倍にもなる」
ナディールは目を見開いた。
「どうやって?」
アルヴィンは、面白そうにナディールを眺めた。獲物を見るような目。でもどこか楽しそうでもある。
「明日の朝一番に、あんたは買主を訪ねる。そしてこう言うんだ——『金貨百枚で売った土地を、金貨百十枚で買い戻させてくれ』と」
「なぜ、そんなことを?」
「理由は……親が先祖代々の土地を売ったのを知って烈火のごとく怒った、とかそんなところで良いだろう。一日で一割の儲けになったと考えれば、喜んで売り戻してくれるんじゃないか」
「いや、実際に金は必要なんだ」
「まあ、聞けよ」
アルヴィンは手を上げて制した。
「それから、噂を流す」
「噂?」
「ああ。この畑のあたりに運河を通す計画がある、と」
ナディールが息を呑んだ。
「運河?」
「そうだ。買収が始まれば土地の値段は十倍に跳ね上がる。あんたの親はそれを知っているから土地を買い戻させた——そう噂を流すんだ」
「そんな大掛かりな嘘は、すぐにバレるぞ」
「もちろん、それらしい小細工は必要だ。測量の杭を立てたり、測量士を装った男を歩かせたり、役所に偽の文書を紛れ込ませたり。手間はかかるが、できないことじゃない」
ナディールは、この男が本気で言っていることを理解した。
「それで? 買主がやはり土地を買うと言ってきたら?」
アルヴィンは嬉しそうに笑った。まるでその質問を待っていたかのように。
「そこからが本番だ」
身を乗り出した。声が低くなる。詐欺師の声だ。
「あんたはこう言うんだ。『確かに生活に金は必要だ。でも親が生きているうちは売れない。親は一年ももたない。だから——一年後に土地を金貨百十枚で買う権利を、金貨百枚で売る』と」
ナディールは目を丸くした。
「土地を買う……権利を、売る?」
「そうだ。これをオプションと言う」
「オプション?」
「将来、何かを買う権利だ」
アルヴィンはグラスを回しながら説明した。買主は金貨百枚を払う。その代わり一年後に土地を金貨百十枚で買える。だが当然、一年待っても運河の計画は進まない。
ナディールは理解し始めた。
「つまり……」
「そうだ。買主は一年後に気づく。運河の話は嘘だったと。でもその時には——最初に土地を売って金貨百枚、土地を買い戻すのに百十枚を払う、オプションを売って百枚、一年後に土地を売って百十枚。差し引き、金貨二百枚」
手を広げた。
「元の土地の値段は金貨百枚だっただろう? 倍になった」
ナディールはしばらく黙って計算していた。
「……本当だ。倍になっている」
呆れたような声だった。
「しかも買主は一年間、運河の夢を見続ける。土地の価値が十倍になると信じて。実際には何も起きないのに」
「……何だか騙されたような気分だ」
「だから、騙しているんだ」
アルヴィンはさらに悪い笑みを浮かべた。
「本当は運河の話をどんどん盛り上げて、このオプション——買う権利を何度も転売させると、もっと面白いことになる。オプション自体が高騰して、最初の百枚が千枚にも一万枚にもなる」
ナディールは呆れたように天を仰いだ。
「どうやったら、そんなろくでもないことを考えつくのやら」
「才能さ。悪い才能だがね」
ナディールはアルヴィンを見つめた。雑貨屋。村で一番のお人よし。そう聞いていた。だが目の前にいるのは——生粋の詐欺師だ。それもとびきり優秀な。
「……君は、一体何者だ」
アルヴィンはグラスを置いた。
「さあね。俺もよくわからない」
曖昧に笑ってから、声を真剣にした。
「でも一つだけ確かなのは、俺はもう『お人よし』じゃない」
ナディールはその目を見た。冷たく、鋭い目。だがどこか悲しげでもある。何かを失った目だ。
「……そうか。なら、乾杯だ」
「何に?」
「お人よしの、死に」
アルヴィンもグラスを持ち上げた。
「そして——詐欺師の、誕生に」
カチン、とグラスが触れ合った。
◇
二人は飲み干した。
酒場はもうほとんど客がいない。蝋燭が消えかけて、バーテンダーがカウンターで片付けをしている。
「……君と出会えて良かった。久しぶりに、希望を感じた」
ナディールの声は静かだった。アルヴィンは何も言わず、ただナディールを見つめていた。
「また、飲もう」
「ああ。また」
二人は酒場を出た。外は満天の星空だった。都会では見られない景色だ。
「……綺麗だな」
アルヴィンが呟いた。
「ああ。この国の空だ」
ナディールも空を見上げた。
「守りたいな」
「ああ。守ろう」
ナディールは馬車で去っていき、アルヴィンは雑貨屋へ歩いていく。月明かりに照らされた石畳の道。
空を見上げた。
「新しい人生か。前世では人を騙した。今世では——人を救おう」
そして笑った。
「それも、詐欺で」
雑貨屋の扉を開ける。暗い部屋。だが、どこか温かい。
「……ただいま」
誰に言うでもなく、呟いた。




