第38話 老化魔法
酒場『金色の麦』
その二階の部屋で、丸テーブルを囲んで六人が座っていた。ナディール、アルヴィン、リーナ、フェルディナント、エルネスト、カッシオ。ランプの灯りが六つの顔を照らしている。シャドーキャビネット——この国の本当の頭脳が、ここに集まっていた。
「おかえり」
アルヴィンがナディールに手を振る。
「お待ちしておりました」
フェルディナントが背筋を伸ばして言う。ナディールも嬉しそうに頷いて椅子に腰を下ろした。この部屋に戻ると、少しだけ肩の力を抜くことが出来る。何もかも自分一人で背負う必要がない。一緒に考えることが出来る。
「さっそく報告ですが」
リーナが口を開いた。
「アルカーナムを多く含んだ土を採掘できました。近いうちに蒸留をしてみるつもりです」
「そうか。寒い中——ご苦労だったな」
「銀行は順調です」
フェルディナントが帳簿を示しながら続ける。
「ただ、新規の口座開設が多くて——通帳の羊皮紙調達が負担になっています」
「それだが」
ナディールが言った。
「国と銀行の折半で、アルヴィンの言っていた製紙工場を作る。昨日の閣議で決まった」
フェルディナントの目が輝いた。紙の心配がなくなる——銀行の実務を担う者にとって、それは一番の朗報だった。
「ああ、そうだ」
アルヴィンがいつもの軽い口調で——でも目は笑わずに切り出した。
「オットー財務卿だが——セルヴィアとも繋がっていたぞ。悪魔憑きの噂を流したら、セルヴィアからエクソシストがやってきた」
「悪魔憑き?それで、どうなったんだ?」
ナディールが眉を寄せる。
「私が悪魔憑きの役をやらされました」
カッシオがうんざりした顔で説明した。
「司祭をひどい言葉で罵倒したり、ぐるぐる回りながら讃美歌を歌ったり……罰が当たらないか心配です」
「いんちきな仕掛けで脅かされて、最後には司祭様が卒倒されました」
フェルディナントが淡々と報告するが、口の端が少し上がっている。ナディールが顔をしかめたのを見て、リーナが笑い顔で言った。
「ナディール様がいないと——やりたい放題ですね」
「しかし」
ナディールは声のトーンを落とした。
「財務卿がリミニとセルヴィアに通じていたとなると——我が国の閣議はほとんどがダダ洩れだな」
「ああ」
アルヴィンが頷いた。
「昨日の閣議で、春にグラリキス街道へ各国から要人を招く計画を提案したが——すぐにリミニに伝わるはずだ」
「表向きは聖シュタインの軍用道路視察だが」
ナディールが言った。
「せっかくだから——花見外交といこう」
「花見と言ったら酒だな」
アルヴィンが腕を組んだ。
「ブランデーを出すか……。ウィスキーはまだ飲めないし」
少し残念そうな顔をする。
「聖シュタインで、アルカディアのアリアドネ議長にも会った」
ナディールが話題を変えた。
「アルカーナムを売るように迫られた」
「あの、全身真っ赤な方ですよね。少し怖い感じの」
リーナが言うと、カッシオがさらりと付け加えた。
「美人だけどね」
「春の視察には彼女も招くつもりだ」
ナディールはそう言ってから、全員の顔を見回した。
「しかし、アルカディアがアルカーナムを手に入れたがる——目的は何だと思う?」
沈黙が落ちた。
リーナが口を開いた。
「魔法学校のパラケルスス教授なら——純粋に研究の為でしょう。魔法の原理をもっと深く理解したい。アルカーナムがなぜ等価交換を超えるのか——その仕組みを解き明かす材料にすると思います」
「ではアリアドネは?」
アルヴィンが聞くと、リーナは少し黙った。言葉を選んでいる。
「……アルカディアの魔法使いは、全員が評議会に登録されています。どんな魔法を持っているか、どの程度の力か——全て管理されています」
「それは安全のためか。それとも——支配のためか」
ナディールが問うた。
「両方です」
リーナは静かに答えた。
「魔法使いがアルカーナムを手に入れば——管理される側の力が、管理する側を超えてしまうかもしれない」
「評議会が独占したい気持ちは分かるが…」
アルヴィンがテーブルの上を見つめた。
「独占した後に——どうするのか」
ナディールが腕を組んで目を閉じ、考え込んだ。
「そういえば」
リーナが声のトーンを変えた。
「そのパラケルスス教授から手紙が来ています。変わった魔法使いに——活躍の場を考えられないかと」
「変わった魔法使いって?」
エルネストが首をかしげた。
「老化魔法だそうです」
「何だそれ?」
カッシオが言った。
「そのままです。物や人を——老化させる」
「時間を進める……人に使ったら大変なことになりますよね」
エルネストが眉をひそめ、フェルディナントは顎に手を当てて「まぁ、建物の取り壊しとかには使えるかも」と呟いた。カッシオが首をひねっていると——。
ポン。
アルヴィンが膝を打った。全員の目が集まる。
「呼ぼう。すぐに」
目が光っている。ナディールが首をかしげた。
「使い道があるのか?」
「ある」
アルヴィンが断言して笑った。悪い笑みだ。
「大ありだ」
◇
エアルの町の入口。
冬の街道を馬車が進んできて、止まった。御者が扉を開ける。
リーナは外套の襟を立てて待っていた。白い息が空気に溶けていく。
馬車から下りてきたのは——少年だった。十五歳くらいだろうか。小柄な体に茶色い髪。大きなトランクを両手で抱えていて、持った瞬間にふらついている。体に対して荷物が大きすぎる。だが、服の胸元には魔法使いの刺繍がある。
「ルカ・メッツァーニさん……ですか?」
リーナは少し戸惑いながら聞いた。
「はい」
声変わり前の高い声だった。握手すると、リーナの手の方が大きい。
「あの……教授からの手紙には——二十五歳と書いてあったのですが…」
「二十五歳ですよ。老化魔法を使うと——若返ってしまうんです」
あっさりと答えるルカに、リーナは目をぱちくりさせた。
「……え?」
◇
トランクを二人で支えながら、エアルの街並みを歩く。石畳の道、冬枯れの木々、屋根から下がるつらら。
「老化魔法は——本来、人には使えないのですが」
ルカがトランクの取っ手を握り直しながら言った。
「一度だけ、年の差のご夫婦に頼まれまして…。一人だけ残されるのが嫌だ、と」
淡々とした声だった。何度も語った話なのだろう。
「懇願されて——最終的に聞き入れました。二人の年は近づいて、とても喜ばれたのですが…」
少し間があった。
「その魔法を使った結果、私が——こんな姿に」
リーナは思わず涙を潤ませた。
「奥様は……本当に旦那様を愛しているのですね」
「いえいえ」
ルカが振り向いた。
「年上だったのは——夫人の方ですよ」
「ああ……そうなんですね。てっきり——」
自分の早とちりに気づいて、リーナは少し赤くなった。ルカが小さく笑う。笑うと本当に少年に見える。でも目の奥には、二十五年分の時間が静かに潜んでいる。
宿屋に着いて、明日の朝迎えに行くことを伝えると、ルカは少しもじもじしてから聞いた。
「ところで——私の仕事ですが、どのようなものかご存じですか」
「すいません。私もよく知らなくて」
リーナは苦笑した。
「明日、蒸留所に来るようにとだけ——言われているんです」
「蒸留所?」
二人とも明日何が起こるのか分かっていなかった。アルヴィンの頭の中にだけ、答えがある。




