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第36話 エクソシストと回る首

 

 自由都市リミニ。


 ロレンツォの屋敷では、主の留守を守るマルティーノが、庭の手入れをしていた。晴れた冬の午後。剪定した枝を束ねなていると、その水場に一羽の鳥が飛んできた。マルティーノは静かに手を伸ばした。鳥が、その手に降り立つ。マルティーノは足に縛られた細い紙を、丁寧にほどいた。


 通信文が現れた。マルティーノはそれを読んでいく。静かないつもの——穏やかな目で。


 ◇


「大変です!」


 フェルディナントが、『金色の麦』二階に駆け込んできた。息が切れている。


「セルヴィアから——悪魔祓い(エクソシスト)が来ます」


 一同が顔を見合わせた。エルネストが椅子から腰を浮かせた。カッシオが天井を仰いだ。リーナがアルヴィンを見た。


 アルヴィンは——にやりと笑う。


「瓢箪から駒だな。エクソシストが来るのはいつだ」


「三日後です」


「よーし」アルヴィンが立ち上がった。「俺は、蒸留窯を直してもらった技師に連絡をとって——回転台を作る」


「回転台?」リーナが静かに聞いた。


「説明するよ」


 アルヴィンが羊皮紙を取り出した。ごそごそと絵を描いていく。大きめのベッド。ベッドの下はくりぬかれている。回転台に乗った男が、首だけベッドから突き出す構造だ。


「えー」エルネストが困った顔で言った。「そんなの……上手くいくんですか?」


「それで」アルヴィンが続ける。「悪魔憑きの役は——カッシオに頼みたい」


「何で! 何で私がそんな役を!」カッシオが即座に立ち上がった。


「バレた時には逃げないといけない。あんたなら追手のお腹を痛くして逃げられるだろ」


「そんな……」


「あと、フェルディナントは役人仲間からエクソシストの案内係を選んでくれ。ナディールの密命ということで」


 リーナが——呆れたように言った。


「ナディール様がいないと——やりたい放題ですね……」


「手伝ってくれるか?」


 リーナは返事をしなかった。ただ、針と糸を取り出して——何かを縫い始めた。


 ◇


 翌日から、準備が始まった。蒸留所の技師が呼ばれ、小さな回転台が作られた。部屋のベッドが加工された。小道具が揃っていく。


 稽古場。回転台の上に、正座したカッシオが乗っている。つま先で台を押して、ゆっくりと回る。


「もう少しゆっくり」アルヴィンが言った。「そこで笑う」


「……」カッシオが、うんざりした顔で笑う。作り笑いだ。


「そうだな——歌を歌うのも良いな」


「何を歌えばいいんですか」


「何が歌えるんだ?」


「讃美歌くらいでしょうか」


「それで良い」


 カッシオが天井を見た。


「首を回しながら讃美歌を歌うんですか……私が……」


「頼むよ。あんた以外に誰がいる」


 カッシオがもう一度天井を見た。


「……分かりました」


 その横で——リーナが黙って針仕事をしていた。手元を見ている。冷ややかな顔だが、作業は止めない。


 ◇


 三日が経った。雲の立ち込める、薄暗い朝だった。


 フェルディナントと役人に案内されて、セルヴィアのエクソシストが道を歩いている。黒い修道服。天秤のペンダント。顔をこわばらせている。遠くから見ても——緊張が伝わってきた。


 フェルディナントが道の脇に立つ村人を示した。


「案内してくれる近所の村人です」


 粗末な服装の村人が帽子を脱いで頭を下げた。変装したアルヴィンだ。


「悪魔に憑かれたのは、私が昔から知っている——本当に良い男でございます。司祭様、どうぞお助けください」


 エクソシストが神妙な顔で頷いた。「何時から悪魔憑きに」


「二カ月ほど前からでしょうか」アルヴィンがしおらしく答えた。「ある日、まるで変わってしまいまして……」


 一行が向かったのは郊外の小さな家だった。


「こちらでございます」


 荒れた外観。草が伸びっぱなし。窓が薄汚れている。演出は、完璧だった。


 一行が中に入る。廊下を進み、二階の扉の前に立つ。全員が息をのんだ。役人が——意を決したように、扉を開けた。エクソシストが続いて部屋に入る。


 薄暗い部屋。壁を背に、大きめのベッドがある。男が横たわっていた。顔に——皮膚がひび割れたような不気味なメイクが施されている。カッシオだ。


 エクソシストを見ると——カッと目を見開いた。


「法王の手先が——何の用だ」


 野太い声が部屋に響いた。エクソシストが天秤の紋章と聖水を掲げた。


「穢れた者よ——その体から出て、持ち主に返しなさい」


 後方に立っていたアルヴィンが——一瞬、固まった。その言葉が、奇妙に胸に刺さった。しかし——


「神の権威など、私には通じない」カッシオが叫ぶ。「ワハハハハ」


 笑い出した。寝たままだが——その首が、ゆっくりと動き出す。一同が——目を疑った。首が笑いながら一回転して、元に戻る。エクソシストがガムシャラに聖水をかけた。


「ハハハハ、そんなものが効くものか」


 男の首が——グルグル回りながら、歌い始めた。讃美歌だ。野太い声が調子はずれな讃美歌を奏でる。


「神を冒涜しおって」エクソシストの言葉は強気だったが、声が弱くなっていた。


 更に激しく回る首。大きくなる讃美歌。


 その時——突然、稲妻が光った。部屋の窓から、白い閃光が走った。偶然だった。誰も仕掛けていない、ただの稲妻だ。


 全員が体を引きつらせた。カッシオも——思わず回転を止めた。エクソシストの顔が蒼白になる。


 カッシオが気を取り直した。再び首を回し——讃美歌を歌い始める。


「ちょっと待て」アルヴィンが言った。「卒倒してる」


 見れば——可哀そうなエクソシストが、泡を吹いて床に倒れていた。


 ◇


 一階に運ばれたエクソシストが、長椅子に横たわっていた。静かな顔をしていた。リーナが覗き込んだ。しばらくして——うっすらと目が開いた。


「お気づきになりましたか」


「ここは……」


「一階です」


 見回すと、先ほどの家の一階だった。エクソシストが——がばっと起き上がった。


「悪魔憑きの男は!」


「ありがとうございました」アルヴィンが駆け寄った。「司祭様のおかげで——悪魔は去りました」


 その時、階段からドスドスと足音が聞こえた。降りてきたのは——メイクを落としたカッシオだ。いつもの、健康そうな顔。


 エクソシストが一瞬だけ身を引いた。が、顔色を見て——咳払いをした。


「と、とにかく——良かった」


 そして、おずおずと聞く。


「その……首も、大丈夫ですな」


 カッシオが、首をゆっくりと左右に振って見せた。


「問題ありません」


 ◇


 帰途につくエクソシストに、フェルディナントが近づいた。


「大変なお役目、お疲れ様でございました」


 エクソシストが小声で言った。


「悪魔祓いは、無事に終わりましたので。法王様には——穏便な処理になるよう報告させていただきます」


「ありがとうございます。何よりです」


 エクソシストがもう一度小声になった。


「それで……私が卒倒したことは、お内密に願えますか」


「心得ました」


「私の名誉は些少なことです。しかし——神の権威に傷がついてはいけませんので」


 去っていくエクソシストの背中を。フェルディナント、アルヴィン、リーナ、カッシオが見送った。


「お互い様ですね」リーナが静かに言った。


「ああ」アルヴィンが、ふっと笑った。「カッシオ、最高の演技だったぞ!」


 カッシオが遠くの空を見た。


「本当にえらいところに来てしまった……」


 ◇


 その夜。『金色の麦』二階。


 フェルディナントが帳簿を広げていた。エルネストが温かい湯を飲んでいた。カッシオが腕を組んで壁に背をもたせていた。


「セルヴィアが反応したな」アルヴィンが言った。


「ええ」フェルディナントが頷く。


「財務卿が、リミニだけでなくセルヴィアにも情報を流しているか——あるいはリミニの傍らに神が居るのか」


 アルヴィンはランプの炎を見ていた。


 まだ、全部は見えていない。でも——少しずつ形を取り始めている。


 ◇


 聖シュタイン帝国。


 ナディールはパーティーの喧騒から少し離れた廊下を歩いていた。今日一日の出来事が、頭の中を整理されていく。


 ロレンツォが——自分を正面から見た。あの目。


 気をつけないといけない。静かに——ナディールは思った。


 窓の外に夜の帝国が広がっていた。遠くに——灯りが見える。エアルは、もっと遠い。でも。あそこで今夜も——誰かが働いている。誰かが、この国のために動いている。


 ナディールは窓の外を見ながら——静かに、微笑んだ。

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