第33話 四つの嘘
王宮の廊下。帳簿を脇に抱えたオットー財務卿が小走りで歩いていた。
「オットー財務卿」ナディールが声をかける。財務卿が立ち止まった。
「これは宰相殿。聖シュタインへのご出発、準備は整いましたか」
「ああ。その件なんだが」ナディールが少し声を落とす。「向こうに行ったら恐らく——グラリキス街道の第二期工事を迫られるだろう」
財務卿が少し驚いた顔をする。しかし頷く。
「それはあり得ますな」
「聖シュタインの高官たちに強く迫られたら——私は断れないよ」
「そこは堪えていただかないと」慌てるオットー。
「最近は財政も少し余裕があるだろう。どの程度なら譲歩して良いかな」
「いやいや、安請け合いすると国家財政が破綻します」
「出来るだけ頑張るつもりだが——最悪の場合、計画を一・五倍までは許容するというつもりで頼む」
ナディールの弱腰に財務卿が呆れた顔をした。それから——ポン、と手を打つ。
「それはそうと——良い話があります。国立銀行の噂を聞きつけて、さる外国の貴族から大口融資の申し出がありました」
「大口って?」
「一億リル。金貨百万枚です」
「それはありがたいな」ナディールが素直に驚く。「あるところには——あるものだ」
「お身内に財産を隠しておきたいようです」
「相続争いかな? 分かった。進めてくれ」
「それはそうと」財務卿が話題を変えるように言う。「先日——遍歴の騎士の入国を禁止するおふれを出されましたね。何かご心配ごとがおありなのでしょうか」
間があった。
「単に——治安上の問題だ。気にするな」
「そうですか」財務卿が会釈して去っていく。
ナディールはその後ろ姿を見送った。廊下に——一人残される。
治安の問題は、財務卿の管轄ではない。なぜ——この男が聞く。
◇
夜。王女の部屋。ナディールが渡した瓶が、机の上に置いてある。暖炉に火が入っているが、王宮でも冬は寒い。
エリザベートが、花の飾りのほどこされたティーカップにブランデーを注いだ。ポットのお湯を足す。ティーカップから——湯気が立ち上る。
口元に運んで、一口飲む。
「あら」
「……これ、美味しい」
飲み干すと——頬がほんのり赤く、からだがポカポカする。ベッドに入る。毛布をかぶる。蝋燭を消す。
……。
しばらく経って。むくり、と起き出した。机に戻ると——今度はカップに注いだブランデーをストレートで飲む。
それで満足したのか。ベッドに戻ると——パタン、と横になった。
◇
『金色の麦』二階。アルヴィン、リーナ、フェルディナントが話しているところへ——ナディールがやって来た。
「いよいよ明日が出発だが——早くも反応があった」
「リミニが、借換えを断ってきた」
「大変です!」フェルディナントが叫ぶように言う。「先王の残した借金は、ずっと利息だけ払って借換えをしてきたのに。急な返済となれば——」
「借換えを断れば財政が苦しくなる。街道整備の余裕はなくなるということか」アルヴィンが鋭い目で言う。「やはり——財務卿が自由都市と内通しているな」
「間違いないだろう」ナディールが断言する。
「それなら——目的は達した」アルヴィンが続ける。「追加の街道整備は取り下げればいい。借金返済を優先すると言えば——奴らだって金利は欲しい。多分、借換えに合意するさ」
ナディールが頷いた。
「一方で——良い話もある。ある貴族が国立銀行に大口融資したいそうだ。その額、金貨百万枚」
「百万枚!」フェルディナントが叫んだ。
アルヴィンが——唐突に笑い出す。
「美味しい話は——疑え、だよ。その融資話を持ってきたのも、財務卿だろ」
「ああ」
「財務卿がリミニの手先であることは証明済みだ。自由都市は経済による支配を狙っている。そのリミニが融資話を持ってくるなら——裏がある」
「突然、預金を引き揚げて——銀行を破綻させる!」フェルディナントがはっとした。
「断るか?」
「いや」アルヴィンが首を横に振る。「気づかない振りをして——ありがたく預かろう。契約書は俺が用意するよ」
楽しそうな顔だ。
「大口預金者優遇条項を——ふんだんに盛り込んでね」
「優遇条項?」フェルディナントが怪訝な顔をする。
「大金の引き出しには、申請書類が必要で、申請書の証明書が必要で、頭取のヒアリングが必要で——そういうのを、長い契約書のあちこちに紛れ込ます。それぞれは合理的な手続きだ。全部足すと、どのくらいかかるかな」
紙にそれぞれの手続きに必要な日数を書き込んでいく。
アルヴィンがリーナを見る。リーナが指を折りながら計算する。
「……九十日くらいでしょうか」
「引き揚げようとした時には——三ヶ月、身動きが取れない」アルヴィンが言う。「しかも、気づいた時には文句のつけようがない。全部——契約書に書いてあるんだから」
ニヤリ、と。
三人がしばらく黙って顔を見合わせた。それから——フェルディナントが眼鏡を押さえながら言った。
「……その契約書、私も手伝って良いですか」




