第28話 土地を奪われた男
冬の野原。カラカス地方。枯れ草が風に揺れる。灰色の空。吐く息が、白い。
アルヴィンとリーナ、そして数人の作業員が、土を掘っていた。もう何日目だろうか。広大な土地に、小さな穴がいくつも空いている。
リーナが目を閉じて立っている。真剣な顔だ。足の裏から、何かを確かめるように。作業員たちが、その様子を黙って待っている。
「すいません」リーナが目を開けた。「もう少し深くまで、お願いします」
作業員の一人がスコップを地面に刺した。ざくっ、と音がする。体から——湯気が出ている。
「分かりましたー」
口ではそう言うが—— 一瞬だけ。恨みがましい目が、リーナに向けられた。
リーナが唇を噛んだ。気づいていないふりをする。でも——分かっていた。
「すいません」もう一度言う。「でも何かありそうなんです。お願いします」
アルヴィンが隣に立った。何も言わず、リーナの肩を——ポン、と叩く。
◇
その時。アルヴィンは気づいた。少し離れたところに——男がポツンと立っている。いつからいたのか。日焼けした顔。大きく変形した手。この寒空の下、外套も着ていない。薄い上着一枚だ。じっと——こちらを見ている。
アルヴィンが歩み寄った。
「どうかしましたか」
男は答えない。ただ——掘り返された土を見ている。
「こんなところを」低い声。「どうして掘っているんだ?」
「試掘です」アルヴィンが答える。「学術調査ですよ」
少し間があった。「近所の方ですか」
男の顔が動いた。
「昔はね……」呟く。悔しそうな顔だ。そして——
「ここは」地面を見ながら言う。「ヴェルダ様の棲む土地だ。天に顔向けできないようなことは——するなよ」
アルヴィンの目が、鋭くなった。
「あんた——ヴェルダを、見たことがあるのか」
男がアルヴィンを見た。
「見なくても分かるだろう。ヴェルダ様の気配を——感じないか」
アルヴィンは少し考えた。そして——
「もしかして——あんた、この土地の持ち主か」
男の顔が歪んだ。黙って踵を返す。
「イサッコなら——」アルヴィンが、背中に言った。「放火と詐欺の罪で、捕まったぞ」
男が——止まった。ゆっくりと振り返る。
「本当か」
「……本当か!」
声が、震えていた。何か言おうとする。でも——言葉が出てこない。胸が、詰まっている。
冬の風が枯れ草を揺らす。男は——胸を押さえ続けていた。
◇
エアル王宮の廊下を、フェルディナントが先導する。歩く。その後ろをアルヴィンがついていく。二人にはお馴染みの光景となっていた。
ナディールの部屋。書類の山。ランプの灯り。
「イサッコに取られた土地の持ち主が見つかった」アルヴィンが言う。
ナディールが顔を上げた。「一体——どこで」
「港の荷役をしていたらしい」アルヴィンは椅子に座った。「故郷を見たくなって——戻ってきたところに会うことが出来た」
「港の荷役か」ナディールが静かに言う。「辛い仕事だ」
「ああ」アルヴィンが目を伏せた。「彼の手は、農夫の手じゃなくなっていた」
自分がもう一歩早ければ。そう思う。でも——思っても、どうにもならない。アルヴィンは気持ちを飲み込んだ。
「彼は——クラウスと言うんだが。ヴェルダが存在することに確信を持っている。証人に——なってくれる」
ナディールがニヤリと笑った。
「物乞いの袋から——黄金の鍵が出てきたな」
「情けは人のためならず——と言ってくれ」アルヴィンが答えた。
「……どういう意味だ?」ナディールが考えるように眉をひそめる。
「泉に投げた銀貨は、渇きの水となって返る、だ。この世界の言い方がすぐに出てこなくてな」
ナディールが「ああ」と相槌を打つ。
「明日、牢屋に行って、イサッコの面通しをしたい。案内してくれる役人の手配を頼む」
「分かった」ナディールが立ち上がった。「もう期限まで時間が無い」
羽ペンと羊皮紙を取る。
「私はセルヴィアへの回答書を書く。神聖なヴェルダの棲むカラカスは——すでに聖域だ。愚かな人間が改めて聖域化をするのは——神を汚す行為だと」
アルヴィンが頷いた。「それと——イサッコだが。黒幕も分かったことだし——もう用無しだよな」
ナディールが顔を上げた。「どうする気だ」
「釈放しても——良いかな?」
◇
牢屋。石造りの建物。暗い。じめじめしている。松明の灯りだけが廊下を照らしていた。
アルヴィンとフェルディナントがクラウスを連れて入ってくる。穏やかな顔の役人が前を歩く。
奥の房から——イサッコが出てきた。粗末な囚人服。痩せた。丸い眼鏡だけが、変わっていない。
アルヴィンを見た。その後にクラウスを見ると、驚いた表情を浮かべる。
役人が机の上に羊皮紙を広げた。
「イサッコ。そして、クラウス・ホーファー。この代物弁済契約——これは二人が交わしたものに、間違いありませんね」
「はい」イサッコが答えた。
「はい」クラウスが答えた。
二人が——同じ場所に立っている。奪われた者と。奪ったが破滅した者。
クラウスがイサッコの顔を見ようとした。イサッコは——視線を、外した。
沈黙。二人とも、何も言えない。
役人が咳払いをした。
「イサッコの違法行為は既に立証されています。従って、この代物弁済は——無効となります」
少しの間があった。
「ただ……」残念そうな顔で続ける。「元々——クラウス氏のした借金は、返済の義務があります。現状回復しなくてはなりませんので」
クラウスの顔から——血の気が引いた。
「そんな……」
「銀行から融資を取ります」フェルディナントが眼鏡を押さえながら言った。「審査次第では——」
「審査が通らなければ——俺が貸す」アルヴィンが言った。「安心しろ」
クラウスが——頭を下げた。深く。肩が震えている。
「ありがとう——ございます」掠れた声。「これで——農民に——戻れる」
役人がクラウスの肩を軽く叩いた。
「こちらへどうぞ」
クラウスが歩き始める。扉の向こうへ。
その背中を見送って。
アルヴィンが——イサッコへ、向き直った。
「さて、イサッコ」
低い声。詐欺師の声だ。
イサッコが——目を見開いた。まだ、いたのか。そういう顔でアルヴィンを見る。
「お前の黒幕が——ロレンツォだということは分かっている。ファブリツィオが吐いた」
「まさか……」イサッコが呟く。「あの遍歴の騎士が?」
アルヴィンがニヤリ、と悪い笑みを浮かべる。
「毒を盛ったら——解毒剤欲しさにペラペラ喋ったぞ」
「お前——そんな酷いことを……」恐怖の色がイサッコの目に広がった。
「黒幕がバレた以上、」アルヴィンが続ける。「あんたも義理立てする必要は——無いだろう。全部、話してしまえ」
少しの間があった。
「農民たちに無理やり借金させてまで——どうしてあの土地を取り上げようとした。利用価値など——無い土地だろう」
イサッコが——ため息をついた。諦めた顔だ。
「頼まれたんだ……ロレンツォから地図を貰った。その土地を手に入れろ——と」
目を細める。「そうでなければ——あんな気味の悪い土地、どうして欲しいものか」
「気味の悪い?」
「ああ」イサッコが腕を組んだ。「おかしな鳴き声が——聞こえるんだよ。住民たちは聖獣がいると——信じている。口々に——罰が当たる、罰が当たるって。杭を一本打つだけで——一苦労だった」
アルヴィンはしばらく黙っていた。
ケェケェーン。
あの声が——耳の奥で聞こえる気がした。カラカスで、焚き火の夜に、何かがいる気がした。あの夜の感覚が、戻ってくる。
「その話を——セルヴィアに証言してくれるなら。恩赦を——取ってやる」
イサッコが——目を丸くした。しばらく、アルヴィンを見た。
「……それだけで良いのか?」
二人目の証人が確保された瞬間だった。




