第24話 シャドーキャビネット(影の内閣)
王宮の書類の山に囲まれた部屋に、アルヴィンがやってきた。フェルディナントの手引きだ。ナディールの書斎兼自室である。
「よく来たな、アルヴィン」ナディールが立ち上がって迎える。
「ひどい散らかりようだ」アルヴィンが辺りを見渡す。
「そう」ナディールがため息をついた。「片づける時間も無い。法王国セルヴィアからの書簡を見てもらいたくてな」
「教会の総本山かい?」
「ああ。神の法が支配する国さ」ナディールが大きな地図の前に立った。「元々、魔法に厳しいからな。国営銀行の魔法の通帳で睨まれたのかもしれない」
書簡を差し出す。アルヴィンが受け取って眺めた。
「……カラカス地方の、聖域化?」
「神聖なる地として聖域化されると、立ち入ることが出来なくなる。開発することも、税を取り立てることも出来ない。せっかくの蒸留所が使えなくなってしまうな」
「しかし、目的は何だ? セルヴィアにも利はないだろう」
「それこそ神のお告げかもな」ナディールが言う。「あの国には、理屈は通用しない。カラカス地方の聖域化は以前から要求していたことだが——今度は、二ヶ月以内と強硬だ。断れば今度は、異端審問がやって来る」
「いいがかりをつけて、裁判に引き出すやつか?」
「裁判になれば——これまでの実績で、九十七パーセントは処刑される。エルネストが標的になるぞ」
アルヴィンは書簡をテーブルに置いた。しばらく黙っていた。
「少し、頭を冷やしたい」
◇
中庭。初冬の風が木の葉を揺らしていた。ナディールがアルヴィンに小声で言う。
「あまり王宮の人間に顔を見られるなよ」
「分かった」
その時。ワン、と声がした。大きな犬が——アルヴィンに飛びかかってきた。
「うわ、大きな犬だな」
「マックス」ナディールが低い声で呼ぶ。
花壇の裏から人が現れた。若い女性。華やかなドレス。金色の髪。青い瞳。頭に小さな王冠。マックスを追いかけてきたようだった。
「あら、ルートヴィヒ。最近また難しい顔をしているのね」
「王女様……」ナディールが一歩前に出る。「実は、法王国から無理な要求があって」
「まあ」王女が少し目を丸くした。「一生神様にお仕えする人たちのおっしゃることですからねぇ。浮世離れしていて当然かも」
それから——ふと横を見た。マックスがアルヴィンにじゃれついている。
「あら。どちら様?」
「ああ——私の友人で、相談事をしておりました」ナディールが慌てた顔をした。
「王女様。アルヴィンと申します」アルヴィンが丁寧に頭を下げる。「お目にかかれて光栄です」
「お友達でしたか」王女がぱっと顔を明るくした。「ちょうどいいわ。四人で一緒にワインを飲みませんか?」
ナディールが顔をしかめた。
「王女様。人目、というものがあります。飲むなとは申しませんが——ご自分のお部屋で、こっそりお飲みください」
「もう、心配性なんだから」王女が小さくため息をついた。それからアルヴィンを振り向く。「アルヴィンさん、私はとっくに成人しているのに——いつまでもルートヴィヒは子供扱いなんですよ」
そのままさっさと自室へ向かっていく。マックスが後をついていった。
ナディールとアルヴィンが見送る。
「……天然か」アルヴィンが小さく言った。
「なかなかの、な」ナディールが答えた。
アルヴィンは去っていく王女の後ろ姿を見ながら呟いた。
「蒸留酒が完成したら——一番に献上しないといけないな」
ナディールがげんなりした顔をした。
「そっちか」
◇
翌朝、エアルへの街道を馬車が走っていた。リーナとカッシオが乗っている。
雑貨屋ではアルヴィンが、雇い入れた男に店の説明をしていた。
「この棚が石鹸と蝋燭。値札は——」
扉が開いた。リーナが入ってくる。見慣れない顔の若者が後ろについていた。
「おかえり」
「ただいま戻りました」
「その人が、エルネストの助手かい」
「違います」リーナがまっすぐに答えた。「いきさつを説明させてください。まず銀行へ行きましょう」
◇
エアル国立銀行では、エルネストとフェルディナントが窓口で作業をしていた。扉を開けて三人が入ってくる。
「お帰りなさい、リーナさん。で——」エルネストが若者を見た。「こちらが、候補の方ですか」
「紹介します。カッシオさんです」
「よろしくお願いしますよ、カッシオさん。通帳作りが忙しくて——」エルネストが頭を下げる。
「それなのですが」リーナが言いにくそうに続けた。「すいません。彼は守護魔法使いではありません」
沈黙。
「……銀行の守衛をお願いする、腹痛魔法使いです」
「え」
驚く一同。フェルディナントが眼鏡を押さえた。
「守護魔法の候補者は——エルネストさんと合わない人ばかりで」リーナが続ける。「でもカッシオさんは、必要だと思いました」
深々と頭を下げる。
「勝手に決めてごめんなさい」
間があった。
「謝る必要はないさ」アルヴィンが言う。「君が決めろと言っただろ」
「そうですよ」エルネストが頷いた。「通帳は、まだ私が頑張ります」それからカッシオを見る。「実際のところ、銀行は一度放火されそうになっていますしね」
「放火……」カッシオが目を丸くした。
「燃えませんでしたが」エルネストがあっさりと言う。
「さてと」アルヴィンが全員を見渡した。「今日はナディールが金色の麦に来る。みんなで報告に行くか」
◇
夕暮れ。五人が金色の麦へ向かって歩いていた。アルヴィン、リーナ、カッシオ、エルネスト、フェルディナント。街の石畳が夕日に染まっている。
アルヴィンが前方に気づいた。道の先に、男たちが六人ほど立っている。目に——阿久津の色が浮かんだ。
「おやおや、お客さんだ」
小声で言いながら後ろのカッシオに振り返る。
「俺がこういう合図をしたら」頭の上で指を鳴らす。パチン、と。「あの男たちに魔法をかけられるか」
「出来ます」
張り詰めた空気の中で、カッシオが真剣な顔で答えた。
「真ん中の人」リーナが静かに言う。「変装していますけど——遍歴の騎士ですよね」
平民の服を着ている。でも——目が違う。あの静かな目。ファブリツィオだ。
「心配するな。俺一人で行く」アルヴィンが足早に男たちへ向かった。
「おやおや——あんた程の人がどうした、徒党を組んで」
ファブリツィオが笑う。
「お前の命をとるだけなら私一人で十分だが。主はお前を連れてこいという」
誘拐を示唆されているのに、アルヴィンの顔は楽しそうだ。
「こんな商売をやっていると、ガラを押さえられそうになったことは何度もある」阿久津の目だ。
「強がりを」
「強がりかな」アルヴィンが言う。「エアルに入ってから、お前たちの動きはずっと監視されていた」
頭の上で——パチン、と指を鳴らす。
「う」
男たちが異変に気づく。腹を抱えてうずくまり始める。
「な、何をした」ファブリツィオ自身も脇腹を手で押さえながら言う。
「お前たちの飲み水に、毒を入れておいた」
「毒だと」
「ああ」アルヴィンがギラリとした目でファブリツィオを睨んだ。「放っておけば、今日中にあの世へ行く。お前の主の名前を言え。そうすれば、解毒剤をやる」
しばらく間があった。
「卑劣な……」
ファブリツィオが腹をかかえながらも、腰のナイフを引き出した。
「これでも——お前の命を取ることは出来る」
「俺を殺せば、お前も道連れになるぞ」
アルヴィンがもう一度——頭の上でパチン、と指を鳴らした。遠くからアルヴィンの一挙手一投足を見つめていたカッシオが「二度目?」と驚きながら、魔法をかけた。
ドクン。
ファブリツィオたちに再び衝撃が走る。がくっ、と膝が落ちる。
「そもそも——俺の提案は、『取引をしよう』だ」アルヴィンが落ち着いた声で言う。「お互いに相手を知らなきゃ、話が出来ないだろう。自分の頭で考えて選びな——死ぬか、改めて交渉の場を持つか」
体を折りながら——ファブリツィオが顔を上げた。
「……分かった」絞り出すような声。「言う」
「ロレンツォ——ロレンツォ・ディ・ヴァザーリだ」
「名前は構わん」吐き捨てるように言う。「どうせお前には、何も出来ない」
「聞き分けが良くて助かるよ」
アルヴィンが水筒を差し出した。
「これが、解毒剤だ」
◇
夜の『金色の麦』二階。新たに用意された丸テーブルに六人が座っていた。ナディール、アルヴィン、リーナ、エルネスト、フェルディナント、そしてカッシオ。ランプの灯りが揺れている。
ナディールが腕を組んで聞いていた。全員から今日のいきさつを聞き終えて。
「そうか。さっそくカッシオが助けてくれたわけだ。しかし——大物の名前が出たな」
「ロレンツォって?」リーナが聞く。
「絹商人イル・セタイオと呼ばれる男。自由都市リミニの十人委員会、現在の議長だ」ナディールが答える。
「リミニの議長が——あのイサッコの黒幕か」アルヴィンが考える顔をした。
「そして、法王国セルヴィアも動いている。アルカディアで異端審問をちらつかせられました」リーナが言う。「カッシオさんが助けてくれましたが」
ナディールはしばらく黙っていた。やがて——決心したように顔を上げた。
「ことがここまで切迫した以上——今後も、危険が伴う。きちんと説明しよう」
全員がナディールを見た。
「私の本当の名は——ルートヴィヒ・フォン・エーレンベルク。この国の、宰相だ」
リーナが目を見開いた。エルネストが手を止めた。カッシオが絶句した。
「宰……相、様?」
「私には——王宮とは別に、動ける機関が必要だ」ナディールが続ける。「そこで五人にお願いしたい。影の内閣に、入ってくれ」
「影の内閣?」
「表の内閣とは別に——国の政策を検証し、調査する、陰の内閣だ」
エルネストが大きな手を見た。「そんなことが——私に?」
リーナが真剣な顔で考えている。「少し、理解が追い付きません」
「えらいところに、就職してしまった」カッシオが小さな声で呟いた。
アルヴィンが笑った。
「心配することはない。今まで通りさ」
ナディールも、かすかに笑う。
「そう。みんな——既に、この国を支えている」
ランプの灯りが揺れた。六人の顔が、その中に浮かんでいた。
◇
夜が更けていく。話が一段落した後、カッシオが手を挙げた。
「一つ——聞いても良いですか」
「どうぞ」
「さっきの毒の解毒剤は——本物ですか」
間があった。アルヴィンがカッシオを見た。
「そんなわけがないだろ。ただの水だよ」
カッシオはしばらく何も言わなかった。それから——
「……私の魔法が、本物で良かった」
小さく、言った。
窓の外、月が昇っている。街の向こうに——エアル国立銀行の灯りが、まだ点いていた。




