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第20話 金貸しイサッコ


 イサッコが、村を歩いていた。いつものように——品の良い服に丸い眼鏡。


 だが——道ゆく村人たちの目が、違った。


「あれが金貸しのイサッコだよ」道の端で二人の農夫がこそこそと話している。「牧師さんが言っていた。借りたら平和な生活は終わりだって」「何でも契約書をすり替えるらしい」「ああ、聞いた聞いた」


 イサッコが食料品屋の前で立ち止まった。


「いつものチーズを」


 店員が目を逸らした。


「すいません。こちら、予約が入っていて」


「……何?」


「いやぁ、きちんと納品しないと三十三パーセントも違約金を払うことになるので」


 店員が頭を下げた。「すいませんね」


 イサッコは黙ったまま立っている。


 商人の客間でも同じだった。テーブルの上に金貨の山。商人がそれをイサッコに向けて押し出した。


「これで全額だ。数えたら、さっさと帰ってくれ」


「急に、どうされたので? 運転資金は必要でしょうに」


「銀行から借りたよ」


「どうして。利率は変わりませんよ」


「あんたは信用できん」商人が眼を細めた。「さんざんだまし討ちをしたそうじゃないか」


「それは——ただの噂ですよ」


「赤い雄鹿亭で、ブルーノという男に聞いたぞ」


 イサッコの顔から血の気が引いた。ブルーノ。あの男が——


「数え終わったから、出ていってくれ」


 街道では、立ち話をしていた農夫たちがイサッコを見た。視線が止まる。


「詐欺師!」


 声が飛んできた。次の瞬間——石が足元に落ちた。


「この人でなし!」「高利貸し!」


 次々と石が飛んでくる。イサッコが頭を抱えて走った。従者が盾になろうとするが石は止まらない。角を曲がり、路地に入り、息を切らして屋敷の前に着いた。


 門を見ると——落書きがある。


「詐欺師」「人でなし」「騙されないぞ」


 黒い塗料で、大きく書かれていた。


 屋敷の中でイサッコが椅子を蹴った。


「誰かが意図的に噂を流している!」


 従者が壁際で縮んでいる。あの雑貨屋の顔が、頭をかすめる。童顔の。目だけが笑っていない、あの男。


「やられたらやり返す」イサッコがぐるぐると部屋を歩き回る。「銀行がつぶれると噂を流せ。王様は預金を集めるだけ集めたら、銀行を倒産させるに違いない。そうなれば——通帳はただの紙切れだ」


「承知しました。すぐに」


 ◇


 エアル国立銀行に、アルヴィンとリーナが連れ立ってやって来た。扉を開けると中は賑やかだった。人々が列を作り、行員が対応し、帳簿が動き、通帳が生まれていく。


「こんな銀行を作るなんて」リーナが見回しながら言う。「ナディールさんって、結構偉いんですね」


「ああ。ただの酔っ払いじゃないよ」アルヴィンが笑った。


 フェルディナントが飛んできた。


「大盛況です!」額に汗をかいている。「エルネストさんも大忙しで——通帳をいくら作っても間に合いません!」


 リーナが外套の内側から何かを取り出した。ちょっと自慢気な顔。


「私も作ってもらいました」


 新しい通帳だ。革の表紙。触ると固い。普通の紙とは違う、確かな感触がある。


「忙しいなら、しばらく小口預金は断ったらどうだ」


 リーナがぷっと膨れた。


「小口預金者を馬鹿にしてはいけません」


 フェルディナントも頷く。「そうですよ。国営なんですから。来るものは拒まずで」


 アルヴィンが部屋の奥を見た。エルネストが、一人また一人と通帳に魔法をかけている。大きな手が、動き続けている。


「早めに——エルネストの助手を探さないといけないな」少し考えて。「リーナ。魔法学院に手紙を書いてくれないか」


「私が、ですか?」


「君の方が適任だろう。卒業生だから顔も利く」


 リーナが少し背筋を伸ばした。


「分かりました。パラケルスス教授に手紙を書きます」


 ◇


 町、村、街道。店、教会、酒場。イサッコの雇った男たちが、各地に散っていた。


 酒場の隅でさりげなく話しかける。「あの銀行ってやつは信用ならないよ。預金したが最後、金は帰ってこない」


 聞いていた男が首をかしげる。「どうしてそう思うんだ」


「紙切れ一枚じゃないか。破られてしまえば、それでおしまいだ」


 すると——隣にいた農夫が懐から通帳を取り出した。


「それなら、破ってみなよ」


 差し出す。雇われた男が引っ張った。びくともしない。折ろうとした。曲がらない。


「……何だこれ」


「家が燃えたって、この通帳は残るそうだ。私は信用しているさ」


 別の酒場、別の村。同じことが繰り返されていた。


 ◇


「通帳が破れなかったと?」


「は、はい。引っ張っても、折っても——」


 従者が縮んでいる。


「守護魔法か」


 イサッコが静かになった。それが——怖かった。怒鳴っている時より、静かな時の方が。


「もういい」立ち上がる。「燃やしてしまえ。銀行ごと」


 窓の外の闇を見る。瞳の奥に——狂気の火が灯った。


 ◇


 新月の夜。月のない、深い闇。銀行の周囲に黒い影が集まっていた。黒い頭巾、黒い外套。人数は十人あまり。


 一人が松明に火を点けた。小さな炎が揺れる。それが隣の松明へ。また隣へ。また隣へ。橙色の光がじわじわと広がっていく。


 先頭の男が頷いた——合図だ。


 全員が一斉に松明を投げた。銀行の壁に。屋根に。扉に。


 男たちが息を飲んで見守る。でも——松明だけが燃えている。建物には——燃え移らない。


「もう一本だ」


 全員が新たに松明を取り出して火をつける。また投げる。明るくなった。でも——銀行は燃えない。見えない何かが建物を包んでいる。エルネストの守護魔法が、静かに息づいていた。


「どうして燃えない?」「ええい、もう一本——」


 その時。


「お前たち、一体何をしているんだ」


 声がした。全員が振り返る。道の向こうに、一人の男。寝ぼけ眼の村人だ。夜中の明かりに気づいて出てきたのだろう。黒い頭巾の男たちを見る。投げ散らかされた松明を見る。燃えていない銀行を見る。


「……明るいんで何かと来てみれば」


 突然、叫んだ。


「火事だ! 火事だぞ!」


 村のあちこちから光が漏れ出した。扉が開く。人が出てくる。一人、二人、五人、十人。


「こいつら放火魔だ!」「やっつけろ!」


 黒い頭巾の男たちが逃げ出した。路地に入り、角を曲がり、村の隅に追い詰められて囲まれた。覆面が剥がれる。手首が締め上げられる。松明の明かりの中に——見知らぬ顔が並んでいた。


 ◇


 エアル王宮。翌朝。


 捕まった男たちが、縄で縛られて床に並んでいた。その前にナディールが立っている。静かな顔。だが——目が笑っていない。


「国民の預金を預かる銀行を焼くということが——どういうことか、分かっているか」


 男たちは黙っていた。


「これは——叛逆に準ずる大罪だ」


 男たちが互いに顔を見合わせた。叛逆が何を意味するか、知っている。


「命だけはお助けください」一人が言った。「命じられただけなのです」


「雇い主の名を言えば——命だけは許してやっても良い」


 男たちがまた顔を見合わせた。長い沈黙。やがて——一人が口を開いた。以前イサッコの屋敷でアルヴィンたちを出迎えた、あの使用人だ。震える声で。


「金貸しの——イサッコです」


 ◇


 兵士たちが街道を走り、村外れのイサッコの屋敷へ向かった。扉を叩き、開く前に蹴破った。廊下を走り、書斎へ。窓から逃げようとしていたイサッコの外套を掴み、床に引き戻す。役人が羊皮紙を広げた。


「金貸しイサッコ——国立銀行に対する根も葉もない流言、及び放火の教唆により逮捕。全財産を没収する」


「誰が——誰がこんなことを!」


 だが返事をする者は、いなかった。

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