第18話 エアル国立銀行
エアル王国の王宮、閣議室。重厚な木製のテーブルの上座にエドゥアルト王が座り、オットー財務卿が帳簿を抱え、ブラント軍務卿が腕を組んでいる。
ナディールが立ち上がった。
「本日は、一つ提案がある——国立銀行の設立だ」
その横にフェルディナントが直立している。背筋が伸びていて、眼鏡の奥の目が真剣だ。
ナディールが意義を語る。フェルディナントが数字を語る。信用創造、預金と貸出、準備率——そして。
ナディールが通帳を取り出した。蝋燭の火を——近づけた。
燃えない。
閣議室が静まった。財務卿が目を白黒させている。エドゥアルト王が白い髭を撫でた。
「……ほう」
◇
「閣議を通ったぞ」
ナディールが興奮を抑えきれない声で、『金色の麦』にやってきた。二階の個室。アルヴィン、リーナ、フェルディナント、エルネストの四人が——湧いた。
フェルディナントがガッツポーズをしている。リーナが手を叩いている。エルネストが困った顔で笑っている。
アルヴィンがちょっと悪い顔になった。
「次に必要なのは宣伝だな。銀行設立を伝えるついでに、イサッコの悪事を宣伝しよう」
目が光る。
「おひれもつけて……」
◇
日曜日の朝、礼拝堂に村人たちが集まっていた。木のベンチに老人も子供も農夫も商人もずらりと座る。正面に神父が立った。
「今日は」穏やかだが、重い声。「金貸しの甘言に乗って——土地を失いかけた人の話をします……」
村人たちが、顔を見合わせた。
◇
夜。『金色の麦』のカウンターに農夫たちが並んでいる。ブルーノがグラスを置いた。
「実はな」豪快な声。「この間イサッコという金貸しから金を借りた」
隣の男が振り向く。
「口では金利は三パーセント。しかし契約書を見たら三十三パーセントだ」
どっ、と周りが騒いだ。
「そんな高利」「詐欺だ」
ブルーノが腕を組む。「俺は何とか助かったが、土地を取られた農家もいる。あいつからは借りたらいかん」
「イサッコだな。分かった」「よく教えてくれた」
一人の男が下を向いた。
「だけどよ——金が必要な時に他の誰から借りられるんだ……」
ブルーノが、にやりと笑った。
「それだよ。今度、銀行が出来た。年利三パーセントで貸してくれる」
「俺たちにもかい?」
「そうだ。金に余裕がある奴は預けることも出来る。預けて寝ているだけで年利二パーセントがもらえる。そして——」
懐から何かを取り出した。
「こいつだ」
通帳。ブルーノがろうそくの火を近づけた。
燃えない。
一同が目を見開いた。
「なんだそりゃあ!」「魔法か!」「すげえ!」
ブルーノが胸を張る。「銀行にいけば、これがもらえる」
◇
噂は——広がっていく。
王宮近くの酒場『赤い雄鹿亭』では、商人たちが声をひそめて話していた。「月利三十三パーセントといったら、年で五十倍か」「イサッコとの取引は危ないらしい」「うちも取引を見直した方がいいかもな」。
街道沿いの酒場『鉄の樽』では旅人たちが「イサッコに家を奪われた農家は百を下らないそうだ」「借金を返せないと殴る蹴るの取り立てらしい」「そんな金貸し、かかわったら終わりだ」とこそこそと語り合っていた。
隣村の小さな酒場『眠り猫』では、老人たちが嬉々として囁いていた。「銀行ができたらしい」「魔法の通帳がもらえるそうだ。燃えないんだと」「本当かい」「本当だとも。隣の村のブルーノが見せびらかしてたぞ」。
◇
国立銀行——と言っても、普通の商店ほどの規模だ。石造りの小さな建物に「エアル国立銀行」の看板。フェルディナントの几帳面な字だ。
エルネストが建物の周りを歩いていた。壁に手を当て、目を閉じて念じる守護魔法を、建物にかけて回っている。
「これで泥棒も強盗も——銀行のお金に手は出せません」
アルヴィンとリーナが、それを眺めていた。リーナが感心している。
「すごいですね。建物全体に……」
「エルネスト」
アルヴィンが不意に言った。
「エアルに住んでくれないか」
エルネストが手を止めた。振り向く。困った顔。
「いやぁ……でも」頭を掻く。「アルカディアの家賃も払えてなくて」
「報酬は出す」アルヴィンが言う。「贅沢は出来ないが、生活には困らない程度に」
遠くを見ながら言う。
「……それに預金者が増えれば、あんた一人じゃいずれ回らなくなる。若い守護魔法使いを育ててほしい」
エルネストの目が——変わった。
「育てる……。私が、ですか」
「アルカディアでもあなたのような強い守護魔法使いは見たことがありません」リーナが言った。「エルネストさんの魔法は、本物です」
エルネストが大きな手を見つめた。
あの手で——イサッコの契約書に魔法をかけた。騙されて。知らずに。人の土地を奪う道具を、守ってしまった。
でも——今日。
同じ手で——人の財産を、守っている。
「……ずっと、一人でやってきました。誰かに教えるなんて——おこがましいのですが」
エルネストは長い間、自分の手のひらを見ていた。
そして——
「……分かりました」
猫背が、少しだけ伸びた。
「やらせてください」
◇
夜。『金色の麦』の一階カウンター。窓から月明かりが差し込んでいる。ナディールとアルヴィンが肩を並べて座っていた。グラスが二つ。
「銀行、出来たな」ナディールが言う。ふふ、と思い出し笑い。「閣議で提案したら財務卿は目を白黒させていた。しかし、良い仕組みが出来た」
アルヴィンがグラスを傾ける。
「預金者は銀行に預けた金を持ち逃げされるのが心配だ。だが銀行がそんなことをすれば守護魔法は崩壊する。だから通帳が守られていることは、銀行が預かった金を守るという証になる——最高の保証だ」
カチン、と二人がグラスをぶつけた。澄んだ、音。飲む。ワインが喉を通る。
「……リーナもよく思いついたね。守護魔法の通帳」
「ああ」アルヴィンがグラスを見つめた。深い赤の液体が揺れている。「あの子はイサッコに負けた時から、ずっと考えていたんだろう。敵の武器を、味方の武器に変えたわけだ」
少し、笑った。
詐欺師より詐欺師らしいな」
二人で、笑った。静かな、笑い声。
◇
窓の外、月が昇っている。街の向こうに——小さな建物が見える。エアル国立銀行。ランプの灯りが、まだ点いていた。
フェルディナントが帳簿に向かっている。新しい帳簿。新しいやり方。
夜が更けていく。でも——灯りは、消えない。




