第15話 一つの誓い
夜。酒場『金色の麦』は賑わっていた。笑い声、音楽、グラスが触れ合う音。
アルヴィンが入ってきて、店内を見渡した。
「ナディールは、来てないか?」
「いや、まだだな」とバーテンダーが答える。
アルヴィンは部屋全体を見渡せる奥の席に座り、ワインを注文した。深い色をした液体が運ばれてくる。一口飲んで、考え込む。
奪われた土地。蒸留所の廃墟。壁の紋章。そして——あの粉。
何かが、引っかかる。
その時。誰かがアルヴィンの前に座った。
「失礼」
低い声。
アルヴィンが顔を上げた。反射的に目の奥に何かが宿る。阿久津の目だ。
男は遍歴騎士だった。剣を腰に下げ、胸に紋章がある。馬車から見た、あの騎士——自由都市の紋章だ。
「わが主が」騎士は言った。「貴方に、興味を持っている」
「あんたの主人が、どなたか知らないが」アルヴィンは答えた。「雑貨屋なんかに、興味があるのか」
「貴方が集めた債権を——言い値で、買うそうだ」
「本当かい」アルヴィンが笑う。「それなら金貨五十万枚では?」
騎士の目が険しくなった。寡黙な男だ。必要なことだけを話す。
「戯言は、やめろ」一呼吸置いて、続ける。「聞き入れれば——イサッコに与えていた権益を、貴方に渡しても良いとおっしゃっている」
間があった。
「断った時のために」
騎士が剣に手をかけた。
「私が、来ている」
「なるほど」アルヴィンが呟く。「あんたの雇い主はイサッコの黒幕って、わけだ」
沈黙。
アルヴィンはワインを一口飲んだ。そしてグラスを置く。
「雇い主に」低い声。詐欺師の、声だ。「聞いてみな」
騎士を見る。
「どうして俺が——自分の金と、魔法まで使って——あの土地を横取りしたか」
間があった。
「知りたくないか、と」
騎士が目を細め、アルヴィンを見つめる。
「人を買収するには」アルヴィンはグラスを指で弾いた。「相手の価値を分かってから、値をつけるべきじゃないか」
騎士は少し考える顔をした。それから「分かった。伝えよう」と立ち上がった。
その時——どたばたと男が間に入ってきた。ナディールだ。千鳥足で、呂律が回っていない。
「おお、アルヴィン。一杯、おごってくれ」
アルヴィンのテーブルにどっかりと座る。だが——目は笑っていない。騎士を、見ている。
騎士は立ち上がり、ナディールを一瞥した。それから懐から金貨を取り出し、カウンターに置く。
「この男ではなく、私がおごろう」
新しい酒瓶をアルヴィンのテーブルに置いた。そして——右手が剣の柄にかかる。一瞬。誰も気づかない速さで。
パチン。
鞘に剣が収まる音が響いた。
騎士は扉へ向かった。静かな足音。扉が閉まる。
アルヴィンはテーブルを見た。酒瓶の首が落ちている。切り口が、鏡のように滑らかだった。中の酒が静かに流れ出している。
「——」
ナディールも見ていた。
「群衆の中でも気づかれずに」呟く。「殺せるぞ、ということだな」
アルヴィンは答えなかった。ただ——首の落ちた瓶を手に取り、阿久津のふてぶてしさで残った酒をグラスに注いだ。一口、飲む。
◇
「随分、物騒な連中と関わっているじゃないか」
ナディールが口を開いた。
「ああ」アルヴィンは答えた。「人助けをしすぎた。自分が偉いと思っている奴を、怒らせたようだ」
「その自信は、どこから来るんだろうなぁ」ナディールが呆れたように言う。
「いやいや」アルヴィンは首を横に振った。「自分に限界を感じてね。今日はあんたにすがりに来た」
「どうした」ナディールが身を乗り出す。
「農民たちが、安心して金を借りられる場所が必要だ」アルヴィンは続けた。「彼らの生活は不安定だ。収穫までのつなぎ資金——不作の年には金が足りなくなる。僅かな融資があれば来年も耕作できる。でも」
拳が握られる。
「僅かな借金で、彼らは土地を取り上げられる。それは、国にとっても損害だろ」
「確かに、そうだ。だが——貧乏貴族に、貸す金はないぞ」
アルヴィンがぐいと近寄った。目が鋭い。
「あんたが、ただの貧乏貴族じゃないことは——分かるよ。国政に、関わっているだろう」
ナディールが睨み返す。
「お前は、詐欺師だと言ったな。飲み友達なら良いが」声が低くなる。「本当に私が為政者なら——犯罪者は、捕縛しなくてはならない」
「俺は」アルヴィンが答えた。まっすぐに、ナディールを見る。「私腹を、肥やすことは無い」
沈黙。長い、沈黙。
そして——ナディールが立ち上がった。
「上の部屋で、話そう」
◇
酒場の二階の個室は質素だった。テーブルと椅子だけ。窓から月明かりが差し込んでいる。
ナディールとアルヴィンが向かい合って座る。テーブルにワインの瓶。グラスが二つ。
ナディールが口を開いた。
「まず私が名乗ろう」
真剣な顔だ。
「ルートヴィヒ・フォン・エーレンベルク。ここにはお忍びで来ているが——この国の、宰相だ」
アルヴィンの目が見開かれた。
「こりゃぁ、凄い」呟く。「高官どころか——この国の、トップか」
「私が名乗ったのだ」ナディールが続ける。「お前も、正体を明かせ」
目が、鋭い。
「天性の詐欺師が、これまでおとなしい雑貨屋のふりをして生きていた。そんな話は、誰も信じない」
アルヴィンはワインを一口飲んだ。
「俺が詐欺師というのは、間違いない。以前は欲の皮が突っ張った奴らから金を奪うことに夢中になっていた」
間があった。
「だが——この世界で、じゃない」
「どういう意味だ」ナディールが眉をひそめる。
「もっと煮詰まった社会。金にまみれたところから来た。別世界だ」アルヴィンは続けた。「気が付いた時には——アルヴィンという、お人よしの体に入り込んでいた」
「そんな、馬鹿な!」
「あんたに話した、数々の経済知識——あんなものが、この世界にあるか?二十代の若者が、考え付くか?他に、どんな説明がつく」
ナディールは黙っていた。確かに。アルヴィンの知識は異常だ。オプション取引、債権譲渡——どれも、この世界にはなかった。
「本当の名前は」ナディールが聞く。
「阿久津…アクツだ」
「この国で——お前は、何がしたいんだ」
アルヴィンはグラスを見つめた。
「元の世界で、俺は金持ちしかターゲットにしなかった。でも——俺がまいた種で、たくさんの人が死んだ。たくさんの貧しい人を、苦しめた」
顔を上げる。
「だから。俺は、この世界で——人を救うために、俺の知識を使う」
ナディールの目が見開かれた。
「——」
しばらく、黙り込んだ。
そして——ナディールが立ち上がった。アルヴィンの前に立ち、手を差し出す。
「分かった。協力しよう」
「こんな話を、信じるのか?」
「お前の——人を救いたいという意思に、嘘は、ないだろう」
アルヴィンは手を取った。二人の手が、しっかりと握られる。
ナディールが座った。
「この国は、四つの列強に囲まれ——もはや、風前の灯だ」ワインを注ぎ、グラスを持ち上げる。「正直に言おう。お前の知識が、必要だ。お前の教えてくれたオプション販売で、街道の整備が進んでいる。もっと、教えてくれ——どうすれば、民を守れるか。王と王女を、守り通せるか」
「宰相殿が、頭を下げちゃいけないな」
アルヴィンが笑った。グラスを持ち上げる。
「何が出来るか——見てみようじゃないか」
二人はグラスを合わせた。
カチン、と。澄んだ、音。
窓の外で月が昇っている。静かな夜だった。だが——この部屋では、詐欺師と宰相が、国の未来を語り合っていた。
異世界から来た男と、この国を守る男。二つの運命が、今、交わった。




