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第14話 蒸留所


 翌朝。アルヴィンとリーナは馬車でイサッコの屋敷へ向かった。


 イサッコの応接室は豪華だった。絨毯が敷かれ、壁に絵画、家具はすべて高級品。それだけの金が、エアルの農民から吸い上げられてきた。


 イサッコが入ってきた。丸い眼鏡に品の良い服。だが目は笑っていない。椅子に腰を下ろし、余裕のある声で言った。


「やあ。また、利子のお支払いですか」


 アルヴィンは答えなかった。ただ——鞄から羊皮紙の束を取り出し、テーブルに置いた。


「八件の債務、契約ごと引き受けてきた」


 低い声。詐欺師の声だ。


「今日は、全部一括返済する」


 イサッコの顔が変わった。


「……何?」


「八件、全部だ」


 イサッコが使用人から羊皮紙を受け取ろうとした、その瞬間。


 リーナが身を乗り出し、契約書の束を上からぎゅっと掴んだ。


「何をする」


 イサッコがリーナを振り払う。リーナが倒れ込んだ。


「リーナ」アルヴィンが駆け寄る。


「大丈夫です」


 リーナは笑って、床から立ち上がりイサッコを見上げた。


 イサッコは恐る恐る契約書を広げた。一枚、読む。顔色が変わる。もう一枚、読む。さらに青ざめる。


「これは……」


 声が震えている。すべての契約書の利率が、三パーセントになっていた。守護の魔法が、消えている。


「守護魔法が……」


 呆然と呟いてから、リーナを睨んだ。


「お前だな」目が鋭い。「守護魔法さえも無効にする魔法使いが。契約書の改ざんに加担するのか」


 リーナはひるまなかった。まっすぐにイサッコを見る。


「魔法は」


 静かな声。


「道具では、ありません」


 イサッコの手が震えた。契約書を握りしめる。だが——何も言えない。契約書は正当だ。改ざんの証拠もない。


 沈黙が、部屋を満たした。


 アルヴィンが袋を開け、金貨と銀貨を積み上げ始めた。一つずつ、数えていく。リーナも手伝う。


「……合っています」


「では」アルヴィンが立ち上がり、イサッコを見た。「八件の債務は、全て清算された。間違いないな」


 イサッコは答えなかった。ただ、じっと二人を見ている。その目が冷たかった。


 ◇


 帰りの馬車の中、リーナは嬉しそうだった。


「やりましたね。八件、全部解決です」


「ああ、君のおかげだ」


 だが——アルヴィンの顔は浮かない。窓の外を見ている。


「どうしたんですか? これで解決ですよね」


「土地は、守った。でも、イサッコは何も失っていない」アルヴィンは首を横に振った。「貸した金を無事に回収しただけだ。……利息付きで」


 額に皺が寄る。


「いや——俺のことも、リーナの魔法も知られた。今度は向こうが何か仕掛けてくる」


「……そうか、そうですよね」


「八人には低利で金を貸した。もう金貸しの口車には乗らないだろうが」拳が握られる。「同じような被害者を出さないためには、どうすれば……」


 アルヴィンは鞄から地図を取り出した。広げると、印がいくつか打ってある。ヤコブ、ブルーノ、そして今日守った八件の土地。


 じっと見つめた。


「……バラバラな場所だが」呟く。「一定の距離で、広がっているな」


 リーナが覗き込んだ。確かに、八つの印が散らばっている。そして——何かを囲んでいるように見える。


「規則性があるのだとすると」アルヴィンが指で示す。「この辺りも、狙われそうだ」


 空白の場所。囲みの、一部。


「確かに」リーナが頷く。


「悪いが、ちょっと寄り道してくれ」アルヴィンは御者に声をかけた。「せっかく借りた馬車だ。行ってみよう」


 ◇


 馬車が街道を外れ、畑道に入った。少し進んで止まる。二人が降りると、広い畑が広がっていた。


 だが——何かが違う。


 違和感の正体が掴めぬまま、アルヴィンが畑の端を歩き続ける。リーナもついていく。そして——立ち止まった。


 畑の隅に、新しい杭が立っていた。アルヴィンが膝をついて杭の泥をよける。そこに——焼印。見覚えのある紋章だ。


「一足、遅かった……!」


 声が低くなった。拳が握られる。


「くそ……」


 自分たちの動き出す前に土地を取り上げられた農夫がいたのだ。虚偽に満ちた契約を盾に、所有権を移転されたに違いない。


——もう、手遅れだった。土地はイサッコの手に落ちた。


 リーナは畑の中を歩いていた。ゆっくりと、何かを探すように。


「リーナ? どうした。ここに居ても、どうしようもない。作戦を練り直そう」


 だがリーナは立ち止まらない。


「それが……」不思議そうな声で言う。「ここは、土に何かがあるような気がします」


「何か?」


「胸騒ぎとは違って」リーナは考えながら言う。「夏の、ワクワクするような気持ち」


「ワクワク?興奮するということか」アルヴィンが眉をひそめる。


「そういうのでは、ありませんが」リーナは首を横に振った。それから地図を広げる。「土地を守れた木こりの林は比較的近いですね。寄ってみても、良いですか?」


「分かった。行ってみよう」


 ◇


 木こりの家に人の気配はなかった。仕事に出ているのだろう。


 リーナが林の中を歩き始めた。不思議そうな顔で、ゆっくりと、まるで何かに引き寄せられるように奥へ進んでいく。


「おい」アルヴィンが声をかける。「どこへ」


 だがリーナは答えない。黙って歩き続ける。アルヴィンは仕方なくついていった。


 木が密集し、足元が暗くなる。枝が頭上を覆い、空が細くなっていく。そして——突然、林が開けた。


「……これは」


 アルヴィンが立ち止まった。


 廃墟だった。


 石造りの建物が草に飲まれていた。天井が落ち、壁も崩れ、放置されてから長い時間が経っていることを示している。窓の枠から蔦が垂れている。


「リーナ、待て」


 リーナはすでに中に踏み込んでいた。アルヴィンも続く。


 天井が落ちているため、日光が差し込んでいる。建物の中央に、大きな器具があった。銅製の装置だ。複雑な形で、管が何本も伸びている。時間を経ても、その造りの精巧さは失われていない。


「こいつは……」アルヴィンが目を見開いた。「蒸留窯だ」


「蒸留窯って?」リーナが聞く。


「素材の成分を抽出して、濃度を高めるんだ」


 アルヴィンは装置の外壁に手を当てた。表面に凹凸がある。懐から手拭いを取り出してこすると、汚れが落ちていく。そして——精巧な刻印が現れた。


「……これは」


 凝視する。複雑な意匠。見慣れない、だが確かに格のある紋章だ。


 ◇


 リーナは装置の奥へ進んでいた。何かに引き寄せられるように、小さな部屋に入っていく。実験室の跡だ。棚が並び、器具が置かれている。先ほどの蒸留窯の、ミニチュアのような実験器具。


 リーナは小さな窯の底を覗き込んだ。


 砂糖一粒ほどの、粉があった。透明な粉だ。


 心臓が速くなる。なぜだろう。理由が分からない。でも——何かがある。


 リーナは指先でそれを取った。じっと見つめる。


 その瞬間——


「あ!」


 粉が消えた。消滅した。と同時に、壁から大きな影が動いた。汚れがリーナの指に吸い込まれていく。音はしない。ゴォッ、と何かが流れ込む感覚。壁に白い部分がぽっかりと浮かび上がり——そこだけ、塗りたてのように綺麗になった。


 リーナは呆然としていた。


「リーナ、どこだ」


 アルヴィンが部屋に入ってきて、壁を見つめて呆然としているリーナを見つける。


「一体、どうした」


 リーナが振り向いた。顔が、青い。


「魔法の、暴走です」


「暴走?」


「でも」リーナは壁を指す。「あんなに大きい汚れが、無くなったのに」


 そして腕をまくった。


「私には何も、起こりません」


 白い肌に、汚れが移っていない。


 アルヴィンは壁を見た。確かに白い部分がある。そこだけ、古い建物の中で浮いている。


「リーナ。何を触った」


「粉が、ありました。砂糖一粒ほどの。それを指で取ったら——消えて、そして汚れが」


 アルヴィンは考えた。粉。蒸留窯。実験室。そして——壁の紋章。


 何かが、引っかかる。でも——まだ、分からない。


「帰ろう」アルヴィンが言った。「ここは、危険だ」


 リーナが頷く。二人は廃墟を出た。傾きかけた建物が、夕光の中で静かに揺れていた。

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