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第13話 八つの土地


 夜明けの光が、まだ薄い。


 雑貨屋の扉が開いた。アルヴィンが出てくる。手には小さな鞄。脇に、ナタのホルダーを縛り付けている。エルネストから受け取った八件分の借主メモを懐に押し込んで、石畳の道を歩き始めた。


 ◇


 収穫が終わった畑は殺風景だった。刈り取られた麦の株だけが残り、風が吹くとかさかさと音を立てる。農夫が一人、土を耕していた。


「こんにちは」


 アルヴィンが声をかけると、農夫が顔を上げた。


「おお、雑貨屋か。行商か?」


「ええ、まぁ」


 アルヴィンは鞄から羊皮紙を取り出した。


「イサッコさんから、借金をされていますね」


 農夫の顔が曇る。鍬を握る手が、少し強くなった。


「……ああ。騙された。証拠は無いが、契約書をすり替えられたとしか思えない」


「それを——私が肩代わりしようと思いまして」


「は?」


「私が、あなたの借金を引き受けます。その代わり」羊皮紙を見せる。「こちらの契約に、署名していただきたい」


 農夫が疑わしそうな目を向ける。


「……お前も、俺を騙そうってのか」


「いえ」アルヴィンは笑った。「利息は、月利三パーセントです」


「三パーセント?」農夫の目が見開かれた。「本当か」


「本当です。読んでください」


 農夫は羊皮紙を受け取り、一行ずつ丁寧に読んだ。指が文字をたどる。しばらくして、静かに呟いた。


「……本当に、三パーセントだ」


「でも、なぜ?こんなことをして、あんたに何の得がある」


「イサッコが、エアルの土地を手に入れるのを止めたいんです。それだけですよ」


 農夫は黙っていた。風が吹いて、刈り株が揺れた。それから——羊皮紙に署名し、親指にインクをつけて拇印を押した。


「ありがとう、雑貨屋」


 声が、少し震えていた。


 ◇


 街道沿いの宿屋。農家の林の奥の一軒家。村はずれの鍛冶屋。アルヴィンは一件また一件、訪ね歩いた。


 宿屋の主人は「三パーセント? 嘘だろう」と何度も契約書を読み返した。木こりは目を輝かせてナタを眺めながら「また、騙そうってんじゃ」と警戒したが、アルヴィンが「余裕が出来たら、ナタも買ってください」と言い添えると吹き出して契約書を受け取った。


 ナタは売れなかった。それでもいい、とアルヴィンは思った。


 七件目を終えた時、額に汗をかいていた。エルネストのメモがなければとても一日では回り切れない。「七件は、厳しいな」と呟きながら、懐を確認する。羊皮紙の束が揃っていた。


 ◇


 一方、アルヴィンの雑貨屋では。


 リーナがカウンターに座って店番をしていた。客は一人も来ない。窓から入る陽の光の角度だけが変わっていく。


 昼になって、用意された昼食を食べた。パンとチーズ。質素な食事だが、リーナは満足そうだった。食べ終わると頬杖をついて、窓の外の青い空を眺める。雲が流れていく。


 頭の中に、アルカディアでの記憶が戻ってきた。


 ◇


 パラケルスス教授が、扉を出ようとするリーナを手招きした。アルヴィンを廊下に待たせて、教授は切り出した。


「リーナ・ヴァイス・フローラ」


 フルネームで呼ばれた。教授が近づいてきて、小さな声で囁く。


「彼は——何者だろうか?」


「アルヴィンさん、ですか?」


「ええ」教授が頷く。「もちろん、魔法の資質はない。でも」


 少し間があった。


「感じませんか。微かな、魔法の残り香がある」


 リーナは目を見開いた。


「残り香、ですか?」


「不思議な人であるのは確かです」とリーナは答えた。「でも、魔法は気づきませんでした」


「そうですか」教授は頷いた。「もう一つ」


「はい?」


「数カ月前に——エアルの東で、魔法の光があった」


 教授は窓の外を見た。


「天から、すっと光が落ちて消えた」


 手で動きを示す。すうっと、上から下へ。


「エアルに居て、何か気づきませんでしたか」


 リーナは首を横に振った。


「すいません。それも、気づけませんでした」


「一瞬でしたからね」と教授は優しく言った。「無理も、ありません」


 それからしばらく間を置いて、続けた。


「実は、十年前にも、エアルで魔法の光がありました。地から天を衝いた、電のような光。大きな、魔法です。でも結局正体は分かりませんでした」


 執務室の空気が、少し重くなった。


「今回のは、その逆。天から地へ——静かな、一条の……」


 教授は、そこで言葉を切った。


 ◇


 記憶の旅から戻ったリーナは、ため息をついた。


「私には、何も見えていないんだなぁ」


 窓の外を見る。空は青い。雲が流れている。


 魔法の残り香。天から落ちた光。アルヴィンのことを考える。でも——考えれば考えるほど、何かが胸の奥につかえる。言葉にできない、何か。アルヴィンの本当の正体。それに踏み込むのが、怖い。


 リーナは頭を振った。


「考えすぎ、ですね」


 立ち上がって、店内の片付けを始める。


 ◇


 夕暮れ時、扉が開いた。


「ただいま」


 アルヴィンの声。リーナが顔を上げた。


「お帰りなさい。お疲れ様です。どうでした?」


「ナタは売れなかったが」


 アルヴィンは鞄を置き、羊皮紙の束を取り出してテーブルに並べた。


「これは、集まった」


 リーナの目が輝いた。


「揃ったんですね!」


 駆け寄って数え始める。


「一、二、三……七つ、です」顔を上げる。「これで、七つ!」


「ブルーノの分と合わせて、八件全部だ」アルヴィンが頷く。「しかし、イサッコも色々な手口を使うな。字が読めない農夫、疑わない男、契約書のすり替え、強要、泥酔詐欺——」ため息をついてから「明日にでも、返済に行こう。何しろ」と苦笑いした。「一日で、約一パーセントずつ利子が増えていく」


「それは、急がないと」


 リーナも笑った。

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