第12話 魔法学院のアラムナイ
アルカディア公国は、山々が連なる国だ。農業に向かない小国が魔法の研究を選び、複数の魔法学校が国の根幹をなしている。国外からも多くの留学生を受け入れ、学問と魔法が街の空気に溶け込んでいる。
アルヴィンとリーナが、首周りに毛のついた外套を着て坂道を歩いていた。石段が続いている。
「寒いな」
アルヴィンが外套の襟を立てた。
斜面に張り付く白い建物が連なり、窓から青白い光が漏れている。熱を持たない灯りだ。火事の心配がない。魔法使いが多いこの街では、それが普通のことになっている。
リーナが足を止めた。
「……久しぶりのアルカディアの空気です」
小さく呟く。懐かしそうな目だった。
石畳の道を、胸に刺繍をつけた男が歩いていく。次に女性。またひとり、刺繍。
「……みんな、魔法使いか」
「魔法使いも見習いもたくさんいます。でも、ほとんどが私みたいな」リーナは答えた。「小さな魔法しか使えない人たちです」
アルヴィンは街を見渡した。一番高い場所に、大きな建物が見える。ひと際明るい魔法の灯りがともっていた。
「魔法が、日常なんだな」
「ここでは」
リーナは頷いた。
◇
魔法学院の門の前で、リーナが手の指輪を見せた。卒業の証だ。門番が頷き、二人でくぐる。
中庭に出ると、学生たちが練習をしていた。一人が手を上げると、小さな炎が宙に浮かぶ。すぐに消える。また浮かぶ。また消える。別の学生が水を出し、別の学生が風を起こしている。
「みんな、何をしている?」アルヴィンが眺めながら言った。
「練習です。自分の魔法がどんな魔法か確かめながら、育てていく」
炎がまた消えた。
「……続かないな」
「最初は、そんなものです」
リーナは中庭を見渡した。懐かしい目だ。
「私はここで、自分が染みしか消せないと知ったんです」
「落ち込んだか」
「かなり」少し笑う。「でも、こんな魔法でも使い方次第だと先生は言ってくれました」
◇
廊下を進み、一番奥の扉をリーナがノックした。
「入りなさい」
大きな執務室だった。天井が高く、本棚が壁を埋めている。魔法書、論文、羊皮紙の束——どれも長い年月を経た重さがある。
窓際に、男が立っていた。長身。真っ白なコートに身を包み、胸の刺繍が複雑で大きい。遠目からでも分かるほど丁寧に施された、長い年月を感じさせる刺繍だ。
男は二人を見た。
「リーナ・ヴァイス・フローラ!」
穏やかな声。
「三年ぶりかな?」
「パラケルスス教授」
リーナが頭を下げた。
「ご無沙汰しております」
教授はリーナの目を見た。しばらく、見ていた。
「生きている目だ。生活が充実しているね」
「はい、教授」
「今日のご用は?」
「ウィス・クストーディアについて聞きたいんです」
パラケルススが、おや、という顔をした。
「実は——人を陥れるような契約書に、守護魔法がかかっていたんです。どうして、そんな魔法が成立するのでしょう」
「なるほど」
教授は長い指を組んだ。
「守護魔法は相手を思いやる気持ちがなければ破綻する。それに例外はないよ」
「魔法は、誰かの意思でできているのですよね」
アルヴィンが口を挟んだ。
「ええ」
「農民の土地を奪うために作られた消費貸借契約です。借主に守りたいという積極的な意思はない。貸主の一方的な思いを成立させるには、魔法使いの強い意思が必要なのでは?」
「そうなります」
アルヴィンは静かに呟いた。
「魔法使いは、契約書を読んでいない……。そして恐らく——契約の改ざんから農民を守るためと、騙されている」
パラケルススが頷いた。
「守護魔法を得意とし」アルヴィンは続けた。「商売が下手で、騙されやすい。そんな卒業生がいませんか」
リーナが驚いた顔をした。
パラケルススはため息をついた。
「残念ながら——すぐに頭に浮かんだ顔があります。本来、守護魔法は生業にしやすいのですが」
◇
お礼を言って部屋を出ようとした時、パラケルススがリーナを手招きした。アルヴィンは廊下で待つ。
室内で、教授がリーナの耳元に何かを言っている。リーナの顔が、少し変わった。
リーナが出てくると、アルヴィンを見た。
「……どうした?」
「なんでもありません」
リーナは笑った。でも——何かを考える目をしていた。
◇
アルカディアの街の裏通り。小さな借家の窓に、白い花が飾ってある。
リーナがノックした。しばらく間があってから、低い男の声がした。
「……どなたですか」
「パラケルスス教授に紹介していただきました。エルネスト・ソラリスさんですか」
また間があった。鍵の音。扉が細く開き、目が覗く。澄んだ目だ。だが——警戒している
「……守護魔法の、依頼ですか」
「見ていただきたいものがあるんです」
扉が、開いた。
少し猫背の男が二人を招き入れた。三十代後半。茶色の長い髪はぼさぼさで、服は清潔だが擦り切れている。でも——胸の刺繍だけが、丁寧に施されていた。魔法使いとしての矜持だろう。大きな手が扉を押さえている。魔法を使い込んだ手だ。
「狭いところですが、どうぞ」
部屋は狭かった。だが整然としている。窓辺に小さな花。質素な暮らしだが、丁寧に生きている気配がある。
「守護魔法は人気があるのでしょう」
アルヴィンが言った。
「いやぁ」エルネストは困った顔をした。「色々うまくいかなくて」
「実は」リーナが前に出た。「守護魔法をかけられた契約書があるのですが、内容に問題があります」
「契約書……見せてもらえますか」
アルヴィンがブルーノの契約書を出した。エルネストの澄んだ瞳がそれを見た。大きな指が、文字をたどっていく。
顔色が変わった。
「……これじゃない」
大きな手が、震え始めた。
「え?」
「これは、私の魔法です。でも、私が守護魔法をかけたのは」
棚から羊皮紙を出す。
「これは写しですが……」
二人が覗き込んだ。
「……年利、三パーセント」
リーナが呟いた。
「はい」エルネストは頷いた。「収穫までの農民がお金を借りる契約だと、守ってあげてほしいと言われました。だから——人助けと思って……」
目が伏せられる。
沈黙が、部屋に落ちた。
「契約書は、すり替えられた」
アルヴィンが静かに言った。
「このイサッコは、たくさんの人たちから土地を奪おうとしています」
エルネストが二枚の契約書を見た。年利三パーセント。月利三十三パーセント。
「大変だ」
掠れた声。
「何とかしなきゃ。私は、八つの契約書に魔法をかけました」
「そんなに?」アルヴィンが眉をひそめる。
「安心してください」リーナが穏やかに言った。「私たちが何とかします」
「なんてことだ……謝りたい」エルネストが首を垂れた。「その農夫の方たちに、直接、謝りたい」
「その気持ちで十分です」
アルヴィンが言った。
「……守護魔法を、解いていただけますね」
「解くも何も」エルネストは首を横に振った。「こんなことが分かれば、魔法は崩壊しています」
リーナが、契約書の前で目を閉じた。少し間があった。
「……感じません」
目を開ける。
「守護魔法が、消えています」
エルネストは頷いた。
「魔法は、嘘をつかない」
「魔法って純粋ですね」アルヴィンが呟いた。「でも——それを道具にする者がいる」
大きな手が、震えている。エルネストは何度も首を縦に振った。
◇
外に出ると、馬車が待っていた。エルネストが見送りに出てきて、白い花が風に揺れている。
馬車が動き出した。石畳の音。エルネストの姿が、遠くなっていく。
しばらくして、アルヴィンが窓を開けた。
「エルネストさん!」
エルネストが振り向く。
「イサッコの手下は、守護魔法にいくら積んだんですか!」
エルネストは歩きながら答えた。
「人助けですから!」声が少し遠い。「全部で、百リルです!」
アルヴィンは窓を閉めた。
「——」
リーナがアルヴィンを見た。
「どうしました」
「人が良すぎて、頭が痛い」
◇
アルカディアの山々が遠くなっていく。帰りの馬車の中。
「あの人、魔法は完璧なのにそれ以外はからっきしだな」
「ええ」リーナが頷いた。「八つの契約書にさらっと魔法をかけて、片方しか望まない契約があの強度に——あまり聞いたことがありません」
「よっぽど思う気持ちが強いんだな……」
アルヴィンは外を見た。
「しかし。ブルーノさん以外にも、七人が騙されている」
「ブルーノさんの契約はどうします?」
「魔法が消えた。後は時間の問題だ。残り七人を探し出さないと」
少し間があった。
「しかし——イサッコは、どうしてそこまで土地を手に入れたがる?」
景色が流れていく。アルヴィンは考えながら外を眺めた。
街道沿いに、騎士が一人、馬を進めていく。
盾の紋章が、エアル王国のものではない。アルヴィンは目を細めた。
「……どこの騎士だろう」
リーナが目を向ける。青い旗紋。見慣れない装飾。
「あれは——自由都市の、紋章か」
「この辺りに、何の用があるのでしょう……」
アルヴィンは答えなかった。ただ——その背中を、見送った。
騎士が街道の向こうに消えた。
「……イサッコが、土地を欲しがる理由」
低い声。
「少し、見えてきた気がする」
馬車は走り続けた。金色の麦畑が、窓の外を流れていく。




