表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/96

第12話 魔法学院のアラムナイ


 アルカディア公国は、山々が連なる国だ。農業に向かない小国が魔法の研究を選び、複数の魔法学校が国の根幹をなしている。国外からも多くの留学生を受け入れ、学問と魔法が街の空気に溶け込んでいる。


 アルヴィンとリーナが、首周りに毛のついた外套を着て坂道を歩いていた。石段が続いている。


「寒いな」


 アルヴィンが外套の襟を立てた。


 斜面に張り付く白い建物が連なり、窓から青白い光が漏れている。熱を持たない灯りだ。火事の心配がない。魔法使いが多いこの街では、それが普通のことになっている。


 リーナが足を止めた。


「……久しぶりのアルカディアの空気です」


 小さく呟く。懐かしそうな目だった。


 石畳の道を、胸に刺繍をつけた男が歩いていく。次に女性。またひとり、刺繍。


「……みんな、魔法使いか」


「魔法使いも見習いもたくさんいます。でも、ほとんどが私みたいな」リーナは答えた。「小さな魔法しか使えない人たちです」


 アルヴィンは街を見渡した。一番高い場所に、大きな建物が見える。ひと際明るい魔法の灯りがともっていた。


「魔法が、日常なんだな」


「ここでは」


 リーナは頷いた。


 ◇


 魔法学院の門の前で、リーナが手の指輪を見せた。卒業の証だ。門番が頷き、二人でくぐる。


 中庭に出ると、学生たちが練習をしていた。一人が手を上げると、小さな炎が宙に浮かぶ。すぐに消える。また浮かぶ。また消える。別の学生が水を出し、別の学生が風を起こしている。


「みんな、何をしている?」アルヴィンが眺めながら言った。


「練習です。自分の魔法がどんな魔法か確かめながら、育てていく」


 炎がまた消えた。


「……続かないな」


「最初は、そんなものです」


 リーナは中庭を見渡した。懐かしい目だ。


「私はここで、自分が染みしか消せないと知ったんです」


「落ち込んだか」


「かなり」少し笑う。「でも、こんな魔法でも使い方次第だと先生は言ってくれました」


 ◇


 廊下を進み、一番奥の扉をリーナがノックした。


「入りなさい」


 大きな執務室だった。天井が高く、本棚が壁を埋めている。魔法書、論文、羊皮紙の束——どれも長い年月を経た重さがある。


 窓際に、男が立っていた。長身。真っ白なコートに身を包み、胸の刺繍が複雑で大きい。遠目からでも分かるほど丁寧に施された、長い年月を感じさせる刺繍だ。


 男は二人を見た。


「リーナ・ヴァイス・フローラ!」


 穏やかな声。


「三年ぶりかな?」


「パラケルスス教授」


 リーナが頭を下げた。


「ご無沙汰しております」


 教授はリーナの目を見た。しばらく、見ていた。


「生きている目だ。生活が充実しているね」


「はい、教授」


「今日のご用は?」


「ウィス・クストーディアについて聞きたいんです」


 パラケルススが、おや、という顔をした。


「実は——人を陥れるような契約書に、守護魔法がかかっていたんです。どうして、そんな魔法が成立するのでしょう」


「なるほど」


 教授は長い指を組んだ。


「守護魔法は相手を思いやる気持ちがなければ破綻する。それに例外はないよ」


「魔法は、誰かの意思でできているのですよね」


 アルヴィンが口を挟んだ。


「ええ」


「農民の土地を奪うために作られた消費貸借契約です。借主に守りたいという積極的な意思はない。貸主の一方的な思いを成立させるには、魔法使いの強い意思が必要なのでは?」


「そうなります」


 アルヴィンは静かに呟いた。


「魔法使いは、契約書を読んでいない……。そして恐らく——契約の改ざんから農民を守るためと、騙されている」


 パラケルススが頷いた。


「守護魔法を得意とし」アルヴィンは続けた。「商売が下手で、騙されやすい。そんな卒業生がいませんか」


 リーナが驚いた顔をした。


 パラケルススはため息をついた。


「残念ながら——すぐに頭に浮かんだ顔があります。本来、守護魔法は生業にしやすいのですが」


 ◇


 お礼を言って部屋を出ようとした時、パラケルススがリーナを手招きした。アルヴィンは廊下で待つ。


 室内で、教授がリーナの耳元に何かを言っている。リーナの顔が、少し変わった。


 リーナが出てくると、アルヴィンを見た。


「……どうした?」


「なんでもありません」


 リーナは笑った。でも——何かを考える目をしていた。


 ◇


 アルカディアの街の裏通り。小さな借家の窓に、白い花が飾ってある。


 リーナがノックした。しばらく間があってから、低い男の声がした。


「……どなたですか」


「パラケルスス教授に紹介していただきました。エルネスト・ソラリスさんですか」


 また間があった。鍵の音。扉が細く開き、目が覗く。澄んだ目だ。だが——警戒している


「……守護魔法の、依頼ですか」


「見ていただきたいものがあるんです」


 扉が、開いた。


 少し猫背の男が二人を招き入れた。三十代後半。茶色の長い髪はぼさぼさで、服は清潔だが擦り切れている。でも——胸の刺繍だけが、丁寧に施されていた。魔法使いとしての矜持だろう。大きな手が扉を押さえている。魔法を使い込んだ手だ。


「狭いところですが、どうぞ」


 部屋は狭かった。だが整然としている。窓辺に小さな花。質素な暮らしだが、丁寧に生きている気配がある。


「守護魔法は人気があるのでしょう」


 アルヴィンが言った。


「いやぁ」エルネストは困った顔をした。「色々うまくいかなくて」


「実は」リーナが前に出た。「守護魔法をかけられた契約書があるのですが、内容に問題があります」


「契約書……見せてもらえますか」


 アルヴィンがブルーノの契約書を出した。エルネストの澄んだ瞳がそれを見た。大きな指が、文字をたどっていく。


 顔色が変わった。


「……これじゃない」


 大きな手が、震え始めた。


「え?」


「これは、私の魔法です。でも、私が守護魔法をかけたのは」


 棚から羊皮紙を出す。


「これは写しですが……」


 二人が覗き込んだ。


「……年利、三パーセント」


 リーナが呟いた。


「はい」エルネストは頷いた。「収穫までの農民がお金を借りる契約だと、守ってあげてほしいと言われました。だから——人助けと思って……」


 目が伏せられる。


 沈黙が、部屋に落ちた。


「契約書は、すり替えられた」


 アルヴィンが静かに言った。


「このイサッコは、たくさんの人たちから土地を奪おうとしています」


 エルネストが二枚の契約書を見た。年利三パーセント。月利三十三パーセント。


「大変だ」


 掠れた声。


「何とかしなきゃ。私は、八つの契約書に魔法をかけました」


「そんなに?」アルヴィンが眉をひそめる。


「安心してください」リーナが穏やかに言った。「私たちが何とかします」


「なんてことだ……謝りたい」エルネストが首を垂れた。「その農夫の方たちに、直接、謝りたい」


「その気持ちで十分です」


 アルヴィンが言った。


「……守護魔法を、解いていただけますね」


「解くも何も」エルネストは首を横に振った。「こんなことが分かれば、魔法は崩壊しています」


 リーナが、契約書の前で目を閉じた。少し間があった。


「……感じません」


 目を開ける。


「守護魔法が、消えています」


 エルネストは頷いた。


「魔法は、嘘をつかない」


「魔法って純粋ですね」アルヴィンが呟いた。「でも——それを道具にする者がいる」


 大きな手が、震えている。エルネストは何度も首を縦に振った。


 ◇


 外に出ると、馬車が待っていた。エルネストが見送りに出てきて、白い花が風に揺れている。


 馬車が動き出した。石畳の音。エルネストの姿が、遠くなっていく。


 しばらくして、アルヴィンが窓を開けた。


「エルネストさん!」


 エルネストが振り向く。


「イサッコの手下は、守護魔法にいくら積んだんですか!」


 エルネストは歩きながら答えた。


「人助けですから!」声が少し遠い。「全部で、百リルです!」


 アルヴィンは窓を閉めた。


「——」


 リーナがアルヴィンを見た。


「どうしました」


「人が良すぎて、頭が痛い」


 ◇


 アルカディアの山々が遠くなっていく。帰りの馬車の中。


「あの人、魔法は完璧なのにそれ以外はからっきしだな」


「ええ」リーナが頷いた。「八つの契約書にさらっと魔法をかけて、片方しか望まない契約があの強度に——あまり聞いたことがありません」


「よっぽど思う気持ちが強いんだな……」


 アルヴィンは外を見た。


「しかし。ブルーノさん以外にも、七人が騙されている」


「ブルーノさんの契約はどうします?」


「魔法が消えた。後は時間の問題だ。残り七人を探し出さないと」


 少し間があった。


「しかし——イサッコは、どうしてそこまで土地を手に入れたがる?」


 景色が流れていく。アルヴィンは考えながら外を眺めた。


 街道沿いに、騎士が一人、馬を進めていく。


 盾の紋章が、エアル王国のものではない。アルヴィンは目を細めた。


「……どこの騎士だろう」


 リーナが目を向ける。青い旗紋。見慣れない装飾。


「あれは——自由都市の、紋章か」


「この辺りに、何の用があるのでしょう……」


 アルヴィンは答えなかった。ただ——その背中を、見送った。


 騎士が街道の向こうに消えた。


「……イサッコが、土地を欲しがる理由」


 低い声。


「少し、見えてきた気がする」


 馬車は走り続けた。金色の麦畑が、窓の外を流れていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ