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第11話 守護魔法と、嘘の値段


 自由都市リミニ。


 石畳の道が白い建物の間を縫い、港の向こうに青い海が広がっている。エアル王国とは違う空気の活気がある街だ。港に金が集まり、金が人を集め、人がまた金を呼ぶ。二百年かけて作り上げてきた繁栄の匂いがする。


 街を一望できる高い窓のある部屋に、ロレンツォ・ディ・ヴァザーリは座っていた。


 六十代。王族の衣装のような派手さはない。だが服の生地が違う。仕立てが違う。纏うだけで場の質量が変わるような、重厚な存在感がある。部屋の調度品は金ではなく格——というものが漂っていて、訪れた者はその空気に飲まれることになる。


 ロレンツォが手紙に目を落としていた。


 傍らに、背筋をピンと伸ばした執事が立っている。マルティーノ。五十代後半だろうか。伏せがちな目が静かに主を見ている。三十年間、ほとんど表情を変えたことがない男だ。


「こちらの件、いかがされますか」


 ロレンツォは装飾の施されたティーカップを口に運んだ。湯気が立ち、香りが漂う。一口含んでから、短く答えた。


「その男の人生は無かったことにしよう」


「承知いたしました」


 マルティーノが頭を下げた。主人の非情な言葉に、声の質量がいつもと変わらない。


「先ほどからイサッコ殿がお待ちですが」


「通しなさい」


 ◇


 イサッコが書類を手にロレンツォの前に立った。立派な服を着ている男だが、ロレンツォの隣に置くと、どうしても輝きが落ちる。


「エアルの土地買収は順調かね」


「ええ」イサッコは丁寧に頷いた。「契約数は順調に伸びておりまして、土地の接収もぼちぼち始めております」


「ただ」


 一拍置いてから、続けた。


「一件だけ、不可解なことがありまして」


「ほぅ?」


 ロレンツォの目が、少しだけ動いた。穏やかな顔のまま、しかし目だけがイサッコに向けられる。


「金を貸した農夫の代理人という男女が現れまして。借金を返済したのですが、その時に——契約書の利率が変わっていたのです」


 イサッコが返済済みの契約書を差し出した。ロレンツォは片眼鏡を取り出し、静かに覗き込む。


 しばらく、黙っていた。


「……これはちゃちな手品ではないな」


「改ざんの魔法でしょうか」


「恐らく」


 片眼鏡を外す。


「二人の内のどちらかが、魔法使いだろう」


 イサッコの顔が緊張した。


「契約書を自由に書き換えられたら、金貸しが成り立ちません」


 ふん、とロレンツォが鼻で笑った。


「世の中、金で買えないものは無い。魔法もまたしかりだ」


 そして——ふと思い出したように。


「その代理人の男。名前は?」


「アルヴィンと言っていました」


 ロレンツォは窓の外を見た。港が光っている。遠く、船の帆が揺れている。


「アルヴィン」


 静かな声だった。


「面白い」


 片眼鏡を、丁寧に拭く。


「調べなさい」


 ◇


 エアル王国。王宮のほど近く。石造りの宿屋の二階に、ある部屋があった。


 グレゴールがその扉をノックしたのは、十日ほど前のことだ。


 きっかけは、雑貨屋の若い男——アルヴィンが言った一言だった。


「実は、ある宿屋で財務官代理がこっそり特別国債を売っている。納税の季節までの短期で利率もいい」


 ツケの債権を金貨五十枚で売った後のことだ。グレゴールは商売人らしい眼で問い返した。


「国債って、王の借金か? 王様が返さないと言ったらどうする?」


「この国ではあり得ない。返さなければ法王に泣きつかれるか、自由都市の商人に流れて介入される。王様に逃げ場はない」


 それは確かにそうだ、とグレゴールは思った。儲けの一割を仲介料として払うことで話はまとまり、宿屋の扉をノックした。


 中に入ると、王宮が窓から望める重厚な部屋に、いかめしい顔の男が立っていた。男が口元だけで笑う。


「また特別国債を買っていただけるとか」


「ええ」グレゴールは何度も頷いた。「道路整備に資金が必要とのこと—そう仰いましたものですから、資金を集めて参りました。この金利なら、ちまちま町民に貸して手間のかかる取り立てをするよりよほど……」


 財務官代理の男がごほん、と咳をした。


「先日お話した通りの特別な措置です。くれぐれも、ご内密に」


「もちろんです」


 グレゴールは机に金貨の山を置いた。ずっしりとした音がする。国債の証書を受け取り、中身を確かめてから——きょろきょろと周囲を確認しながら部屋を出た。


 男は窓から帰っていくグレゴールと部下の大男の背中を眺めた。二人の姿が角を曲がり、見えなくなる。


 部屋のカーテンが揺れた。


 陰からアルヴィンが歩み出た。


「これで金貨二千枚」


 積み上がった金貨を一瞥する。


「二百万リルか。あいつの手持ち資金はほとんど取り上げた」


「ここらが潮時だ」


 アルヴィンは男——厩番のブルーツに向き直った。懐から小袋を取り出して渡す。


「約束の分け前だ」


 ブルーツがため息をついた。夢みたいだ、と呟く。受け取った小袋を手のひらに乗せて、重さを確かめている。


「これで牧場が手に入る」


「いいか、逃げ切るのが前提だ」アルヴィンの声が静かになる。「絶対にこの町には戻ってくるな」


「残りの人生は…」


 男は遠くを見た。


「牛を眺めて過ごすよ」


 足音が廊下に遠ざかっていく。


 アルヴィンは金貨の山を見た。


「さて」


 呟く。


「悪党から奪った金を、どう生かすかだな」


 ◇


 雑貨屋に戻ると、大きな男がリーナと話していた。


「ですからアルヴィンさんは出かけていて……」


「俺はブルーノ」男は大きな声で言った。「農夫のヤコブから聞いたんだ。アルヴィンは信用できるって。俺もイサッコから金を借りて困っているんだ」


 アルヴィンが割って入った。


「俺がアルヴィンだ。契約書は持っているかい」


「ああ」


 受け取って開く。署名がある。イサッコ。月利三十三パーセント。


「分かった」アルヴィンはブルーノを見た。「しかし、あんたも字が読めないのかい」


 ブルーノが豪快に笑った。


「読めるさ。だが、俺は信用で生きている」


 太い腕を組む。


「男が一度信用したら、いちいち契約書なんか読まない。俺は、ヤコブが信じるあんたを信じるぞ」


 アルヴィンは肩をすくめた。


 ◇


 イサッコの屋敷の書斎。重い棚に帳簿が並び、高い天井を冷たい空気が満たしている。


「またあなた方ですか」


 イサッコは椅子から立ち上がらなかった。丸い眼鏡の奥の目が、二人を品定めする。


「依頼者が絶えないようですな。法律家には見えませんが、そういうご商売ですか」


「本業は雑貨屋だよ」


 アルヴィンは椅子に腰を下ろした。


「雑貨屋」イサッコが少し笑う。「ずいぶん取扱商品が手広いようで」


「さあ、本題に入ろう。ブルーノさんの借入は三万リル。二ヶ月経っているから、金利は」


 イサッコが使用人に視線を向けた。使用人が契約書を持ってくる。


 その瞬間。


 リーナが、くんと鼻を動かした。


「利息が二万三千六十七リルですな」


 イサッコが帳簿を見ながら言った。アルヴィンが手を伸ばす。


「また計算が合わないな、ちょっと契約書を拝見」


 受け取りながら——リーナがそっと手を添えた。


 一瞬、二人の目が合った。


 リーナの顔が、変わっていた。


 アルヴィンも覗き込んだ。


 契約書の「三十」が、震えている。だが——動かない。


 いつもなら、じわりとインクが染み出してくる。なのに、今日は違う。まるで印章を押したように、数字が羊皮紙に根を張っている。


 イサッコが、ゆっくりと笑みを浮かべた。


「どうしました。私の計算に、間違いでも?」


「——」


 アルヴィンは黙った。返す言葉が、なかった。


「ご返済いただけるのでしたよね」


 イサッコの声が、やわらかい被せられる。


 アルヴィンの膝の上で、拳がかたく握られた。


「……今日は、利子だけだ」


 ◇


 帰りの馬車の中。二人とも、しばらく黙っていた。窓の外を、夕暮れの景色が流れていく。


「すいません」


 リーナが言った。


「役に立てず…」


「リーナのせいじゃない」


 アルヴィンは窓の外を見た。


「俺がリーナに頼り過ぎていた。同じ手口を繰り返せば対策をされるのは当たり前だ」


 言い直す。


「いや、作戦として二流だった」


 拳が膝の上で握られている。リーナはその手を見た。何も、言わなかった。


「……あれは、魔法です」


 しばらくしてから、リーナが静かに言った。


「守護の魔法——ウィス・クストーディアだと思います」


「魔法に、魔法をぶつけてきたということか」


「でも、おかしいんです」


 リーナは手のひらを見た。


「魔法は、思いです。守護の魔法は、相手を思いやる意思があって初めて成立します。例えば——遠方の子供や恋人を思う時、故郷の両親を思う時。そういう気持ちが、魔法に力を与えます」


 少し間を置く。


「でも。土地を奪い取りたいだけの一方的な契約に、守護が成立するとは思えないんです」


 アルヴィンが考え込んだ。


「そのカラクリを暴かないといけないわけか……」


「ウィス・クストーディアは、正当で、難しい魔法です。私には到底無理で」


 リーナは続けた。


「でも、私が学んだ魔法学校には、専門の先生がいます」


「リーナが学んだ魔法学校か」


「行きませんか」リーナはアルヴィンを見た。「アルカディア公国に」


 ◇


 その夜、酒場『金色の麦』は賑わっていた。客の笑い声、音楽、グラスが触れ合う音。


 カウンター席に、当然のように肩を並べて座っている二人。アルヴィンと、ナディール。いつもの位置だ。


 ナディールがワインを傾けた。


「お前、グラリキスを知っているか」


「グラリキス?」


「春になると、木の幹が見えなくなるくらい一斉に花が咲く」


 ナディールは手で空を示した。


「一面、真っ白だ」


「……まるで、桜だな」


 アルヴィンが呟いた。


「桜?なんだ、それ」


「いや。何でもない」


「いずれにせよ」ナディールはグラスを置いた。「グラリキスの方が、上だ。天国みたいな景色になるぞ」


「花見でも、するのか」


「それが」ナディールは苦笑いした。「群生地は、ちょっと行きにくいところでな」


 そして——アルヴィンを見た。話に、乗っていない。


「……どうした。浮かない顔をして」


 アルヴィンはグラスを見つめていた。しばらく、黙っている。


「魔法を、破られた」


 低い声。ナディールの目が細くなった。


「魔法か」ワインを一口飲む。「魔法は、難しい」


 一拍の間があった。


「私の父親は研究者みたいな人でな」ナディールが口を開いた。「アルカディアで、魔法も学んでいた」


「……そうか」


「そのアルカディアに、行くんだ。魔法使いを、探しに」


 ナディールが顔を上げた。


「アルカディアへ? 一人で、か?」


「リーナと」アルヴィンが答える。「彼女の卒業した、魔法学校へ行く」


「二人で旅行かぁ」ナディールがにやりと笑う。


「そういうんじゃ」


「若者は、良いなぁ」


 ナディールはグラスを傾けた。


 アルヴィンは何も言わなかった。ただ——ワインを一口飲んだ。

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