第72話 残る温度と数えた回数
世子は灯りを落とした部屋でひとり座っていた。
眠れないわけではない。
目を閉じれば眠りへ落ちることもできるはずだった。
だが今夜は、まぶたを閉じるたびに同じ場面が浮かぶ。
形式だけが整えられ、形としては何ひとつ乱れなかった初夜
けれど内側には妙な不自然さがあった。
あの夜、向かいに座っていた民娥との距離が、なぜか今も妙に鮮明だった。
最初からそこには見えない線が引かれていた。
拒絶ではなく、期待でもない、無関心に近いものだった。
少なくとも表に見える形はそうだった。
世子という立場を前にして、媚びるでもなく、怯えるでもなく、わざとらしい慎みもない。
視線は必要以上に下がらず、声も震えない。
思い返すたびに、龍義秀としてではなく、徳永義秀としての感覚が先に引っかかる。
あの態度は一体何なんだ。
そう問いたくなるが、問いを重ねるほど、単純ではないと分かる。
計算はしていただろう。
無計算の人間なら、あそこまで無駄なく距離を置けない。
むしろ考え抜いた末の逃がし方だった。
自分が器へ粉を落とした瞬間、あの女、民娥は確かに見ていた。
しかも見落としたのではなく、意味まで理解していた目だった。
それでも何も言わない。
器を持ったまま、静かに止まる。
恐怖ではない、信じたわけでもない。
では何か。確認だ。
こちらがどこまでやり、どこで止まるのか。
その線だけを測っていた。
耳元で落ちた言葉も鮮明だった。
(女として狂わせる気ですか、それとも殺す気ですか)
普通ならあの場で出す言葉ではない。
(どちらでもない)
そう返した時、民娥は一瞬だけ納得したような顔をした。
次の動きも早かった。
距離を詰め、頭の飾りが重いと当然のように言う。
そこに遠慮もなければ甘えも何一つとしてなかった。
徳永義秀としての感想が、そこで初めて浮かんだ。
現実的すぎる。
あの夜をやり過ごすための最短距離だけを選んでいた。
外に聞かせる音。
内側で傷を増やさない方法。
互いに無駄を出さずに朝まで辿り着く形。
それを、最初から共有していたように思える。
腕立て伏せ、腹筋を終わらせてから、離れて休む言った時も迷いなく、自らで離れていった。
期待も希望も失望も見えないら、余計に読めない。
錦城金氏の娘として見れば、もっと単純なはずだった。
家の意志があり、立場があり、そこに従うだけなら輪郭は分かりやすい。
だがあの夜にいたのは違った。
晴れて正室になった娘の態度ではない。
噂にある癇癪持ちの八つ当たり女でもない。
同じ状況を、同じ温度でやり過ごそうとしている人間だった。
その時ふと浮かぶ。
医者のようだ。
感情を一度切り離し、必要な処置だけを選ぶ。
騒がず、痛みも数えず、とにかくその場を越える。
あれは儀式だったのかもしれない。
扱いづらいが、敵に回すには惜しい。
そう思ってしまう自分に、薄く苦笑する。
世子は文書から視線を外し、ゆっくりと息を吐いた。
机の上にはまだ開いたままの書付がある。
目を通していたはずなのに、途中から内容が頭へ入ってこない。
今、頭の中を占めているのは別の流れだった。
噂。
宮中では珍しくもない。
誰かが何かを言い、別の誰かが形を変えて運ぶ。
一晩で消えるものもあれば、数日かけて根を張るものもある。
だが今回の流れは妙だった。
広がる速さだけではない。
筋の通り方が整いすぎている。
民娥、今は世子嬪。
婚礼前まで宮中で語られていた噂は、ほとんど一つの型に収まっていた。
暴れる女。
癇癪持ち。
付人へ当たり散らす。
物を持てば周囲が下がる。
その輪郭が、ここ数日で少しずつ変わっている。
棒を振っていても怪我人はいない。
物も壊れていない。
女官の教育で動きが整ったらしい。
怒鳴るようでいて、実際には手順を外していない。
さらに挨拶。
側室候補へ向けた礼。
正室としての形。
過不足なく、冷たく、正しい。
そこへ順希の浅い礼が重なる。
すると噂は一気に輪郭を持つ。
世子嬪は正しかった。
崩れたのは相手だ。
どちらも、整いすぎている。
世子の中で、徳永義秀としての感覚が静かに警鐘を鳴らす。
自然な変化ではない。
少なくとも偶然だけではない。
意図があり、その意図がどこへ向いているかが問題だった。
国舅の指示と考えるのが最も単純だ。
娘を正室として安定させる。
荒い印象を薄め、正統な形を先に置く。
理屈としては通るがやり方が雑だ。
国舅はもっと慎重な男だ。
娘が世子嬪となったことで王家の外戚となり、国舅となった今はなおさら、露骨な変化を嫌うはずだった。
変わったことそのものを噂にさせるような手は、むしろ避ける。
それなのに今回は違う。
噂が噂を呼び、別の話へ枝を伸ばしている。
誰かが最初から流れを作っているように見える。
国舅の意向と世子嬪自身の判断がどこかで重なったのか。
あるいは。
互いに別のことを考えながら、結果だけ同じ方向へ進んでいるのか。
その方が厄介だ。
意図が一つなら読みやすい。
だが別々の思惑が偶然同じ線を引けば、途中で予測が外れる。
順希の礼が変わらないことも流れを速めていた。
正室への礼としては足りない。
礼法を知る者ほど気づくが、本人は変える気がない。
変えぬのか、変えられぬのか。
どちらにせよ、民娥はそこを逃さなかった。
いや、見逃さないどころか、待っていたのかもしれない。
挨拶を重ねるたび、同じ礼を返す。
丁寧に、正しく、余計な言葉を足さずに。
すると非は自然に浮く。
誰が何を言わずとも、周囲が判断する。
直接攻撃しない。
声も荒げない。
視線で圧すらかけない。
ただ規則通りに置く。
性格が悪い。
としか思えない。
だが同時に、非常に理にかなっている。
机へ肘をつき、世子は目を閉じた。
このやり方は、感情で押す者にはできない。
我慢も待つ時間がいる。
そして自分が正しい位置から動かぬ強さがいる。
あの民娥が?
そう考えると妙に引っかかる。
だが事実として今起きている。
しかもそこへ、別の噂まで重なり始めていた。
棒を振っても当たらない。
以前より声が減った。
女官に言い返されても怒鳴らない。
礼の場では完璧に静か。
極端すぎて逆に不気味だ。
そんな言葉まで混じる。
改善したのか、それとも見せ方を変えただけか。
どちらでも周囲は意味を足す。
今のところ、この流れは正室の権威を削っておらず、むしろ固めている。
問題は、この先だった。
どこへ向かう。
順希を削るためだけか、正室の立場を盤石にするためか、あるいは別に狙いがあるのか。
国舅がそこまで読むなら、もっと静かに動くだろう。
しかし民娥一人でここまで連続して踏めるかと問われれば、まだ断定できない。
今となっては、何も考えていない女ではない。
暴れているように見せる。
癇癪持ちの形を残す。
その一方で必要な場所だけは正確に踏み、崩さぬところは崩さない。
厄介だ。
世子として見ればなおさらだった。
だが徳永義秀としては、そこに少しだけ別の感想が混じる。
面白い。
自分でも認めたくはないが、そう感じている。
流れには泳ぐ者がいれば、流される者もいる。
そして稀に、流れの速さを読んで立ち位置を変える者がいる。
民娥は少なくとも、流される側ではないことははっきりしていた。
今夜ひとつだけ確かになった。
世子嬪・金民娥は、見かけよりずっと静かに流れを選んでいる。
そしてその事実は、思った以上に宮中を長く動かす。




