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鏡の王宮、眠る身体、動く身体 ーー体が動く間、別の名が呼ばれるーー  作者: 明日葉


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第99話 追伸という名の爆弾

翌日、左副承旨 尹怜はさらにやつれた顔のまま、重い足取りで弘文館の外廊を歩いていた。


もともと白俊から届く文一通で胃を痛める男であるが、今回はそれに加えて追伸まで付いているのだから負担はさらに増していた。

弘文館校理の執務室の前で一度立ち止まり、胸の奥に溜まったものを吐き出すように深く息をつく。


「入るぞ」


「どうぞ」


朴紘範は筆を置いて顔を上げ、その瞬間にわずかに眉を動かした。


「さらにお痩せになりましたね、左副承旨殿」


「お前の友人のせいだぞ・・・・」


左副承旨が発する白俊に関する言葉は、丁寧ではあるが、怒気を含んでいる。


「私の、ですか」


尹怜は何も言わず、ただ文を差し出す。


朴紘範はそれを受け取り、目を走らせる。


三日後に陽漢へ入るという知らせ、十日前に歩撥で出したため虚偽ではないという言い回し、そのあたりまでは既に把握している内容だった。


そして最後に書かれた二行へと視線が止まる。


追伸として添えられた文面。


招かれた身ではあるが、しばらく陽漢に滞在するつもりであり、滞在先を望む、

女性の弟子……見習いを同伴する、という内容だった。


朴紘範の口元が、ゆっくりと緩む。


「なるほど」


「なるほどでは済まない話だろ」


尹怜の声は低く、怒りとわずかな疲労が滲んでいる。


「しばらくとは何日なのか・・・・」


「書かれていませんね」


「だから困るんだ」


朴紘範は文を机に置き、背もたれに軽く身を預けた。


「白俊らしいと言えば、それまでですが」


「随分嬉しそうに言うな」


「面白いとは思っています」


尹怜は目を細め、わずかに鋭い視線を向ける。


「校理殿も、面白いで済ませられる立場じゃないだろう?」


露骨な不満は口にしないものの、その言葉の端には確かに苛立ちがにじんでいた。


「滞在先を所望とは、こちらで用意しろという意味じゃないか。

 断れば角が立ち、整えれば期間も分からぬ客を抱えることになる」


「確かに、厄介ですね」


「しかも招かれた身とわざわざ書いている」


「責任の所在を明確にしていますね」


「全くその通りだ」


尹怜は小さく息を吐く。


「追伸で済ませる内容ではないだろうに……」


朴紘範は苦笑した。


「むしろ本題より重要かもしれません」


「笑うな」


「ここまで計算して書かれているのですから、感心はします」


朴紘範は再び文を取り上げ、指先で軽く叩いた。


「これは要求ではありません」


「違いはあるのか」


「大いにあります」


朴紘範は視線を上げ、落ち着いた声で続けた。


「要求は拒めばそれで終わりますが、厚意という形を取られると拒みにくくなるのです」


尹怜は一瞬、言葉を失う。


「よくもそんな顔でいられるな」


「楽しそうに見えますか」


「少なくとも私よりは」


朴紘範はわずかに肩をすくめた。


「白俊が単なる理屈の人ではない証でしょう」


「どういう意味だ?」


「滞在を望む理由があるということです」


「だから困るのでは?」


「いえ、むしろ」


朴紘範は窓の外へ視線を向けた。


「朗報である可能性もあります」


「朗報?」


「白俊は無意味に長く留まるような人物ではありません」


その言葉には確信があった。

しばらく陽漢に留まると書いた以上、それは意図を伴う行動である。

盤面を動かすための。


「外から風が入ることになります」


朴紘範は静かに言う。


「今の宮中は、静かすぎます」


尹怜は眉を寄せた。


「静かな方が良いに決まってるだろう」


「嵐の前よりも、嵐の中の方が見えるものもあります」


尹怜はじっと朴紘範を見た。


「何か知っていることでも?」


「いいえ」


即答だった。


「ただ、白俊は意味もなく長居する男ではありません」


尹怜は再び文に視線を落とす。

追伸という短い一文。

だが、その重みは軽くない。


「滞在先はどうするんだ?」


「東宮に近い場所が無難でしょう」


「近すぎる」


「遠すぎるよりは扱いやすいかと」


尹怜は小さく苦笑した。


「お前と話していると、自分が小心に思えてくるな」


「慎重であるだけです」


「同じことだろう」


しばらく言葉のない時間が続く。

やがて尹怜は文を丁寧に折りたたんだ。


「世子様にはどう報告するんだ」


「事実のみをお伝えします」


「余計な解釈は」


「申しません」


朴紘範は穏やかに微笑む。


「ただし滞在が長くなる可能性だけは添えます」


尹怜は扉へ向かいながら、ぽつりと呟いた。


「あの男に、このような面があるとはな」


「どの面でしょう」


「人を困らせて楽しむ面」


朴紘範は首を横に振る。


「違いますよ」


「何が違う」


「困らせているのではなく、試しているのです」


「何を?」


「こちらの覚悟を」


尹怜は足を止めた。

振り返ることなく言う。


「朗報かもしれない、か」


「ええ」


朴紘範は静かに続けた。


「待っていた風である可能性もあります」


扉が閉じられる。


執務室に一人残った朴紘範は、文の内容を思い出した。


追伸という軽い筆致の一文。


だが、その奥には深い意図が潜んでいる。


(さて、どう動くか)


静かだった盤面は、確実に揺れ始めていた。


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