【証拠はいらない×ホラー】普通の人なんです
事務所のドアが開いた。
「……相談、いいですか?」
男だった。三十代くらい。
整った顔立ち。清潔な服装。
どこにでもいそうな、普通の男。
「どうぞ」
椅子に座ると、男は少し迷ってから言った。
「彼女のことなんです」
「うん」
「普通の人なんです」
よくある始まりだった。
「怒らないし、優しいし、仕事もちゃんとしてるし」
「いい彼女じゃないか」
「はい」
男はうなずく。
「……でも、なんかおかしいんです」
俺は黙って聞く。
「ケンカしたことが一度もなくて」
「それは珍しいな」
「はい。でも……俺が何言っても、“いいよ”って言うんです」
「うん」
「行きたい店も、食べたいものも、全部俺に合わせるんです」
「それで困るのか」
「最初は良かったんです。でも」
男は少しだけ顔をしかめる。
「……自分の意思が、ないみたいで」
沈黙。
「趣味は?」
「ないって言います」
「好きな食べ物は?」
「なんでもいいって」
「嫌いなものは?」
「特にないって」
俺はコーヒーを飲む。
「で?」
男は少し声を落とした。
「……同じこと、言うんです」
「何が」
「前に話したことを、初めて聞いたみたいに」
「記憶力の問題じゃないのか」
「違うんです」
男ははっきり言った。
「言い回しが、全部同じなんです」
沈黙。
「それに」
男は続ける。
「この前、駅で彼女見かけて声かけたんですけど」
「うん」
「……俺のこと、分かってなかったんです」
俺は黙る。
「でも、次の日会ったら普通に話してくるんです」
「記憶が飛んでる?」
「それとも……」
男は言葉を飲み込む。
「……写真も、おかしいんです」
スマホを差し出してくる。
画面を見る。
何枚かの写真。
同じ女だ。
……いや。
似ている。
髪型も、服も、メイクも、
全部同じに見える。
でも。
よく見ると、
少しずつ違う。
目の開き方。
口の形。
立ち方。
「……全部、同じ人に見えるな」
「ですよね」
男は小さくうなずく。
「でも、なんか違うんです」
沈黙。
「別れたいのか」
「……分かりません」
正直だ。
「怖いのか」
男は、少しだけ間を置いてうなずいた。
「……はい」
俺は言う。
「じゃあ、離れろ」
男が顔を上げる。
「理由も分からないのに?」
「分からないからだ」
沈黙。
「人はな」
コーヒーを置く。
「“違和感”が出た時点で、もう十分だ」
男は黙っていた。
「今はまだ、自分で気づいてる」
「……」
「そのうち、説明がつく頃には」
少し間を置く。
「もう逃げにくくなる」
男の顔から血の気が引いた。
「……分かりました」
立ち上がる。
「ありがとうございます」
帰っていった。
ドアが閉まる。
⸻
数週間後。
相棒がスマホを見ながら言った。
「ねえ」
「なんだ」
「この人」
画面を差し出してくる。
ニュース記事。
『結婚詐欺グループを逮捕 複数の女性が同一人物を装い交際』
写真。
そこに映っていたのは――
あの女だった。
「……あれ?」
相棒が首をかしげる。
「この人……同じ人に見える」
写真には、数人の女が並んでいる。
髪型も、服も、笑い方も似ている。
でも。
完全に同じ人間は、一人もいない。
「……揃えてるな」
「え?」
「見た目も、話し方も」
俺は言う。
「“同じ人”に見えるように」
相棒は息を呑む。
「じゃあ……あの人」
「最初から、一人じゃない」
沈黙。
俺はノートを開く。
来訪者記録。
名前の横に書く。
『彼女 違和感 解決済』
ノートを閉じる。
「証拠はいらない」
相棒が言う。
「なんで?」
俺は答える。
「理由は、後から揃う」




