いい人
私は、いい人らしい。
会社でよく言われる。
「○○さんって本当にいい人ですよね」
「優しいですよね」
「怒ったところ見たことないです」
そう言われるたびに、少しだけ笑って「そんなことないですよ」と答える。
でも、たぶん、本当にいい人なんだと思う。
頼まれたことは断らないし、
シフトを代わってほしいと言われたら代わるし、
残業できる人がいなければ残るし、
誰かがミスしたら、黙ってフォローする。
幹事をやる人がいなければやるし、
新人の教育もやるし、
誰かの愚痴も聞く。
「○○さんなら頼みやすくて」
そう言われると、断れない。
役に立てるなら、その方がいいと思っていた。
ある日、同僚に言われた。
「○○さんって、いい人だけど、何考えてるか分からないですよね」
少し笑って、「そうですかね」と答えた。
そのとき、ふと思った。
そういえば、自分の話って、あまりしたことがないな、と。
休みの日に何をしているのかも、
何が好きなのかも、
どこに住んでいるのかも、
家族がいるのかどうかも、
たぶん、誰も知らない。
でも、特に困ることもなかった。
会社では毎日誰かと話すし、
頼られるし、
「ありがとう」と言われるし、
それで十分だと思っていた。
⸻
会社を辞めることになった。
特別な理由はない。
なんとなく、疲れただけだ。
上司に言うと、「そうか、残念だな」と言われた。
送別会の話は出なかった。
最終日、帰るとき、みんなが言った。
「今までありがとうございました」
「寂しくなります」
「またご飯行きましょう」
「連絡しますね」
私は笑って、「こちらこそ、ありがとうございました」と頭を下げた。
駅までの帰り道、一人で歩きながら思った。
本当に、いい人だったな、私は。
最後まで、誰にも嫌われなかった。
⸻
引っ越し先は、少し田舎の町だった。
知っている人は誰もいない。
スマホの連絡先を開く。
会社の人の名前が並んでいる。
でも、自分から連絡する理由は特に思いつかなかった。
向こうから連絡が来るかもしれないし、と思って、そのまま閉じた。
数日経っても、誰からも連絡は来なかった。
別に、不思議なことじゃない。
みんな忙しいし、
仕事もあるし、
家庭もあるし、
会社を辞めた人間のことなんて、いちいち気にしていられない。
そんなこと、分かっていた。
⸻
数年後、用事があって、昔働いていた会社の近くに行った。
駅前のコンビニで、同じ部署だった人を見かけた。
少し迷ってから、声をかけた。
「あの、久しぶりです」
相手は振り向いて、少しだけ困った顔をした。
「……すみません、どちら様でしたっけ?」
一瞬、言葉が出なかった。
「前、同じ部署で働いてたんですけど……」
「あ、そうなんですね。すみません、ちょっと思い出せなくて」
申し訳なさそうに頭を下げられた。
「いえ、突然すみませんでした」
そう言って、私はその場を離れた。
別に、珍しいことじゃない。
会社を辞めて数年も経てば、顔なんて忘れる。
それだけのことだ。
⸻
なんとなく気になって、会社のホームページを見た。
社員紹介のページ。
私がいた部署の写真が載っている。
みんな写っている。
でも、そこに自分はいなかった。
あれ、と思った。
何度も写真を見直す。
やっぱり、いない。
おかしいな、と思った。
確かにこの写真の日、私はそこにいたはずなのに。
⸻
スマホの写真フォルダを開く。
会社の飲み会の写真。
社員旅行の写真。
歓迎会の写真。
写真は残っている。
でも、どの写真にも、自分は写っていなかった。
自分が撮った写真ばかりだった。
画面をスクロールしながら、ふと思った。
そういえば、誰かと一緒に写真を撮ったこと、あっただろうか。
誰かの写真はたくさんあるのに、
自分が写っている写真は、一枚も見つからなかった。
⸻
その日の夜、スマホが鳴った。
知らない番号だった。
「もしもし」
『あ、よかった。繋がった』
若い女の人の声だった。
『あの、お願いがあるんですけど、今度シフト代わってもらえませんか?』
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「……すみません、どちら様ですか?」
少し沈黙。
『え?』
『○○さんですよね?』
「違います」
そう言って、電話を切った。
しばらくスマホを見ていた。
それから、ゆっくりソファに座った。
静かな部屋だった。
誰もいない。
でも、ふと思った。
きっと前の会社にも、もう一人くらい、私みたいな人がいるんだろうな。
頼まれたら断らなくて、
シフトを代わって、
残業して、
幹事をやって、
新人の面倒を見て、
愚痴を聞いて、
そして、みんなに言われるんだ。
「本当にいい人だよね」って。
私は少し笑った。
それから、誰もいない部屋で、小さく呟いた。
いい人って、
いなくなっても、誰も困らない人のことなんだな。
その声を聞いた人は、誰もいなかった。




