13曲目3
アオ先輩が、息を吐いた。
長い長い告白を終えて、十年分の息を吐き出した。
「その後のことは、以前、話したとおりさ。『隠し事』の二つ目の話だ」
そう。
父親に進路のことを相談し、『青子緑子』のことを明かしたら、敵扱いされてしまった。
頑なに曲を聴いてくれない父に何とかして音楽を届けたくて、父が毎年学祭中庭ライブの設営を行っている■■大学に入学し、父が立ち会う中庭ライブに『青子緑子』のコピーバンドで出場しようと頑張った。
「あの頃のことは」
くれなゐが言う。
「二人が別れた頃――やっちゃんが一方的に捨てられた頃のことは、よく覚えています。あの頃のやっちゃんは、本当に、可哀想なほど落ち込んでいて……毎日うつむいてばかりで、何度声を掛けても、まるで反応してくれなくて。
ひどい話ですけど、正直言って私、チャンスだと思いました。アオに捨てられたやっちゃんを慰めて、今度こそ彼女にしてもらうチャンスだ、と。
けれどやっちゃんの傷はあまりにも深くて、痛々しくて、私はやっちゃんの心にちっとも入ることができなくて。やっちゃんの中で、アオがいかに大きな存在だったのかをまざまざと見せつけられました」
そうだったのか……。
言われてみれば、段々と思い出してきた。
あんなに好きだった赤ちゃん。
その赤ちゃんが、ある日突然いなくなって、一切の連絡が取れなくなって、赤ちゃんの家に行っても、もぬけの殻で。
何度インターホンを押しても、電気が通っていないのか音が鳴らなくて、当然ながら誰も出てこなくて。
赤ちゃんの家の前で、夜になるまで呆然と立ち尽くして。
パチパチという音とともに街灯が点きはじめてようやく、『捨てられたんだ』って気付いた。
俺の何が悪かったんだろう、
どうすれば良かったんだろう、
あんなに楽しそうに笑っていたのも全部嘘だったんだろうか、
何を信じれば良いんだろう……ってぐるぐる考えているうちに、俺はすっかり臆病な性格になってしまったんだ。
中学から背が伸びなくなって、今みたいな性格になってしまったと思っていたけれど、実際は違った。赤ちゃんに捨てられたことがあまりにもショックで、今みたいな『僕』に成り果ててしまったんだ。
「ボクはキミから逃げ出した。とはいえ同じ関西圏内だ。街で偶然、すれ違う可能性もゼロじゃない。だから、万が一にもキミに気付かれないよう、徹底的にキャラを変えた。地雷系は止めて、いろいろやってみて、今はこんな感じのファッションに落ち着いている。イメージカラーは、当時の『赤ちゃん』というあだ名からは縁遠い碧にした」
アオ先輩は、碧色のネイルの載った手指で、インナーだけを碧に染めたセミロングの髪をかき上げる。
「言動も変えた。昔の私は泣き虫で、弱々しくて、『青子緑子』が持つ無敵のイメージとはほど遠かった。だから、ダウナーでミステリアスで、超然で泰然とした感じのキャラに作り変えていった。半分は、いざメディアに露出したときやライブに出るときのための準備だったわけだけど」
「そうだ、そう言えば」
俺は常々疑問だったことを口にする。
「そもそも何で、アオ先輩は十年前、『赤ちゃん』って名乗ったんですか? その後も、頑なに本名を教えてくれなかったような記憶が、おぼろげながらあるんですけど」
「青も緑も大嫌いだったから」
手首をさする先輩。
「今となっては大好きな芸名だけどね。どうだい、キミの元カノの、十年後の見た目は? 赤ちゃんの頃とはまるで違うだろう?」
確かに。
ときどき、妙な懐かしさや既視感を覚えて不思議に感じるときはあったものの、基本的に俺は、アオ先輩が元カノの『赤ちゃん』だとはまるで気付いていなかった。
ただ、四月三日のあの日、俺は間違いなくアオ先輩に一目惚れした。
好みのど真ん中だったのだ。
十年前も、一目惚れだった。
何年経っても、どんな格好をしていても、俺が一目惚れする相手は決まっているらしい。
「ボクはボクの都合で、一方的にキミを切り捨てた。キミを深く深く傷付けた。そんなボクが、今さらどの面下げてキミに逢えるというんだい? ボクにはその資格がない」
そう、か。
それが、『資格』の話。
「本来なら、キミの前に姿を現すことすら許されるべきじゃない。けれど学祭中庭ライブのために、どうしてもやっちゃんの力が必要だった。だから苦肉の策として、別人として現れることにした。万が一にもボクの正体が『赤ちゃん』だとバレないように、いろいろと準備した。その一つが――」
「くれなゐとの、入れ替わり」
「そう。ボクは赤系統の地雷系衣装を買い集め、くれなゐに贈った。くれなゐに地雷系メイクも教えた」
『おまっ、何なンだその格好!? イメチェンか!?』
『地雷系やんか~』
『しーっ、しーーーーっ! やっちゃんが来ちゃうでしょ!』
「呼び方も変えた。もっとも、『赤ちゃん』呼びの方はあまり定着しなかったけれど。そして、二つ目の準備として、夏野に取り入って、やっちゃんを追放させた」
「分からない。別人として現れることと、俺の追放が、どういう理屈で繋がるんですか?」
「だって」
アオ先輩が泣きはじめる。
ポロポロ、ポロポロと泣きはじめる。
その涙を拭って良いものか、俺には判断が付かない。
「あの頃のボクにとって、やっちゃんはヒーローだった! 神様にも等しかった! ボクをイジメから守ってくれて、ボクを母さんの呪縛から開放してくれて。ボクとやっちゃんの関係性は、絶対的にやっちゃんが上だったんだ。
かつてと同じようにキミに接したら、ボクは遠からず、必ずキミに甘えてしまうと思った。昔の、弱い『私』に戻ってしまうと思った。そうなったらいずれ、やっちゃんはボクの正体に気付いてしまうだろう。それは絶対に避けなければならない。
だから、どんなに卑劣な手を使ってでも、やっちゃんを弱らせる必要があった。弱ったやっちゃんに手を差し伸べる必要があった。そう、かつて『私』に手を差し伸べてくれた、やっちゃんのように」
なんとなく、分かった。
彼女が俺を追放させた真意が、悪意ではなかったことが。
あと一押し。
最後のピースが欲しい。
「だからって、俺を欺くような真似までしなくても――」
「ボクは!」
赤ちゃんが泣き叫んだ。
「やっちゃんとの思い出を守る必要があったんだ!」
……え?
俺との思い出を守るため?
「だって!」
アオ先輩が――赤ちゃんが、泣いている。
「『青子緑子』で大成功しなきゃ、全部嘘になってしまう! やっちゃんを裏切ってまで選んだ道が、嘘になってしまう! ボクには、青子緑子で大成功する義務がある。誰にどれほど恨まれようが、憎まれようが、青子緑子のことを最優先にして、最後まで貫き通す義務があるんだ」
あぁ、そうか。
赤ちゃんは、守ってくれたのか。
かつての俺を。
俺とのカレカノの日々を。
だから、赤ちゃんはなりふり構わなかった。
たとえ現在の俺を傷付けることになろうとも、過去の俺を守ろうとした。
してくれた。
すべてが繋がった。
腑に落ちた。
気が付けば、俺は泣いていた。
俺は赤ちゃんの涙を拭う。
「じゃあ、もしかして、赤ちゃんは、今も、俺のことを」
「好き……」
赤ちゃんが泣いている。
俺の彼女が!
「好き。大好き。十年間、ずっとずっと愛してた。今も愛してる。でも、ボクは怖かったんだ。承認欲求に溺れて、人生のすべてを『青子緑子』に注ぎ込みたくなるほどに、溺れて。他のことに時間を割くのが煩わしくなってしまって。もしも、もしもボクの心に、やっちゃんとの時間を『面倒だ』と思う瞬間が訪れたらどうしようって思ったんだ」
「だから、逃げた」
「うん。ごめん。ごめんなさい。本当は、ずっとキミのそばにいたかった。キミと一緒に音楽をやりたかった。でも、許されるはずがないじゃないか。やっちゃんのことは世界で一番好きだけど、ボクは『一番』を一つだけには絞れないんだ」
『青子緑子こそが、ボクの人生の中での一番。青子緑子のために、ボクは生きている』
『ボクは三つも四つも「一番大好き」を持てるほど器用な人間じゃない』
そう、か。
赤ちゃんの心の中にある『一番』の席の片割れは、ずっとずっと、俺のために置いておいてくれたのか。
俺は、赤ちゃんが愛おしくなった。
どうしようもないほど愛おしくなって、抱きしめたいと思った。
が、くれなゐの手前、それはさすがにはばかられた。
「これで、全部」
俺の心中を察したのか、赤ちゃんが一歩、二歩、三歩と離れた。
「もう、『隠し事』はないよ。さぁ、どうだろう、モヤシちゃん?」
『モヤシちゃん』呼びに戻した赤ちゃん――いや、アオ先輩が、寂しそうに微笑む。
「ボクのこと、許せる? これでもまだ、一緒に音楽をやってくれる?」
確かにショックだった。
普通なら、俺はここで怒るべきなんだろう。
『よくも俺を捨てたな!』、『記憶を失くすくらいショックで、悲しかったんだぞ!』って。
けど、アオ先輩の行為は全部、俺のためを思ってのことだったんだ。
答えなんて出るもんか。
うやむやなままでもいいじゃないか。
これは、恋じゃない。
音楽だ。
「許しますよ。あの日、言ったじゃないですか、『全力を尽くすと誓います』って」
俺は、アオ先輩を許した。
今や、あらゆるわだかまりは消え去っていた。
「ありがとう」
アオ先輩が微笑む。
「それじゃあ……ボクは、行くよ。さすがに疲れた」
「えっ」
くれなゐが驚く。
「この流れで、私をやっちゃんと二人きりにさせてくれるんですか? 敵に塩でも送るつもりですか?」
「別に」
アオ先輩が笑う。
いつもの、口だけで笑うダウナーなやつだ。
「キミとボクは敵同士ではないだろう? キミのイラストと、ボクの歌。ボクたちはいつだってチームだった」
「はっ、あはは! 言ってくれるじゃない。意趣返しってわけ?」
どうやら、俺の知らないところで何かしらのやり取りがあったらしい。
アオ先輩がひらひらと手を振りながら去っていき、俺はくれなゐと二人きりになった。
今や夕焼けは去り、キャンパス内の電灯が点きはじめている。
「くれなゐ」
話しかけると、くれなゐがビクリと震えた。
「その、ごめん、いろいろと」
「どうしてやっちゃんが――モヤシくんが謝るんですか? 悪いのは全部、私たちなのに」
「でも俺は、灯先生のことを忘れてしまっていた」
「それは、もう良いですから。それよりモヤシくん、これからどうします? 私たち」
一応、答えを俺に委ねながらも、くれなゐの中では結論は出ているようだった。
なぜって、『やっちゃん』から意識して『モヤシくん』呼びに戻している。
「いったん、距離を置こう。今は、明日の決闘と、学祭ライブに集中したい」
「いったん? ふふ、いかにもモヤシくんらしい答えですね。優しくて、残酷な」
「くれなゐ――いえ、くれなゐ先輩。最後に一つだけ、教えてください」
「はい。何ですか、モヤシくん?」
「どうして、入れ替わりのことを明かしてくれたんですか? アオ先輩は、本当のことを話すのに乗り気じゃなかった。くれなゐ先輩が背中を押さなければ、秘密にし続けていたはずです。そうすれば先輩は、俺の彼女のままでいられたのに」
「そんなの――」
くれなゐが、涙ぐむ。
「好きだからに決まってるじゃないですか!」
くれなゐが号泣する。
「『青子緑子』の音楽が! このバンドが! だから、モヤシくんとアオの間のわだかまりをすべて解消させて、最高の状態で明日の戦いに挑みたかったんです」
「うん」
俺はくれなゐを抱きしめる。
「ありがとう、話してくれて」
それから、体を離した。
「この一ヶ月、最っっっ高に楽しかった。……さようなら、俺の恋人」




