11曲目5
「俺はベース直してくるからよ! アオは明日の練習までメシ食って寝てろ! モヤシは練習! くれなゐは知らん! じゃあな!」
シロ先輩に付き添われながら、イナズマちゃん先輩はキャンパスの中庭を横断し、正門を出て、駅の方へと去っていった。
『決闘』の続きは明日の午後に行われる。
明日の午前には最後の練習を入れることができた。
「イナズマちゃん、お父さんから借りたベースだから、って大切にしてたのに」
アオ先輩の言葉には、含みがある。
だが、俺も同じことを考えていた。
イナズマちゃん先輩は絶対に言わないだろう。
それに、もしかしたら本当にたまたま、あのタイミングで楽器が故障しただけ、という可能性もある。
だが、イナズマちゃん先輩の左手指は真っ赤に腫れていた。
まるで、力の限り弦を引きちぎろうとでもしたかのように。
わざとベースを破壊して、仕切り直し、時間稼ぎをしてくれたかのように、思われた。
あのまま演奏を続けていたら――俺のリズムが崩れていたら、間違いなく『キング・ホワイト・ストーンズ』は負けていた。
俺の所為で。
イナズマちゃん先輩が大切なベースを傷付けてまで作ってくれた猶予は、二十四時間。
何ができるのか。
何をすべきなのか。
「ボクはイナズマちゃんの言うとおり、たっぷり食べてたっぷり寝て、体力を回復させてくるよ。モヤシちゃんは、グルーヴのための体の揺れと、左足の貧乏ゆすりを共存させるための練習を。一日しかないけど、できる? ――いや、やってくれ。絶対に仕上げてくるように」
「分かりました! 任せてください。先輩は心配せずに休んでください」
「よし、では解散――」
「待って」
くれなゐが制止した。
正門の方へ向かおうとしていた俺たちの足が、止まる。
「大事なことが一つ、残っている。とても大事なことが」
くれなゐが俺を見る。
何だか、口調がいつもと違う。
「やっちゃん、グルーヴが安定しない理由は、何?」
「それは」
くれなゐの圧に押されて、俺は正直に話す。
「二つある。一つは、周知のとおり、体の揺れと左足のリズムキープを上手く共存させられないこと。でもこれは、単純に俺の不慣れ、練習不足が原因だ。明日の練習まで、まだ十二時間もある。大丈夫、必ず仕上げてくる」
「うん。そこは信じてる」
くれなゐの信頼が嬉しい。
「問題は二つ目ね」
日が沈みかけている。
キャンパスが赤く染まる。
くれなゐ色の名前をした少女が、俺を見つめている。
そうだ、俺にはアオ先輩に対するわだかまりがある。
そのわだかまりが邪魔をして、俺は演奏に集中しきれず、ノリきれない――グルーヴを出せないんだ。
「アオ先輩」
俺は、アオ先輩に向き直る。
「アオ先輩の、三つ目の『隠し事』について、知りたい。それは、もしかして、俺に関することなんじゃないですか? 一つ目『隠し事』に絡んで、俺をどうしても夏野のバンドから追放させる必要があった、その理由に関することなんじゃないですか?
その答えを知ることができれば、俺はきっと、こんなつまらない猜疑心に悩むことはなくなる。心の底から、アオ先輩を信じることができる。アオ先輩の歌声に、俺のドラムを捧げることができる。聴きながら演奏するってやつを、ノるってやつを、ソウルで叩くってやつを――グルーヴを、マスターできる気がするんです」
キャンパスの中庭には、俺たち以外、誰もいない。
まるで世界が俺たちだけを残して滅んでしまったかのように。
もしくは、今から始まるのであろう最後の告白劇のために、舞台を整えてくれたかのように。
アオ先輩は、真っ青な顔をしている。
夕焼けの中でもなお分かるほどに。
「アオ」
くれなゐが、アオ先輩の背中を叩く。
アオ先輩は何かに耐えようと、必死に目をつむっている。
くれなゐがため息をついた。
「もう、タイムリミットよ。アオ、悪いけど私が説明――」
くれなゐの言葉は、続かなかった。
アオ先輩が、彼女の手首を――リストカットの傷を隠している包帯を、掴んだからだ。
「アオ、駄々をこねるのはもうお仕舞いに――」
「違うの」
アオ先輩が、ジャケットを脱いだ。
「ボクは――いえ、私は、もう、逃げない」
アオ先輩が。
真夏だろうが絶対に長袖のジャケットを着て、頑ななまでに腕を隠し続けてきたアオ先輩が、ジャケットを脱いだ。
日焼けしていない、ほっそりとした腕。
その先にある手首に、俺は視線が釘付けになった。
「あぁ……あぁぁ……そうか、やっぱり、そうだったのか」
忘れもしない、四月四日の朝。
俺が初めてアオ先輩にお持ち帰りされた日の朝、俺はアオ先輩の全裸に遭遇した。
あのとき先輩は、必死に腕――両手首を隠していた。
服を着た後も、やれどこを見たのか、どこは見てないのか、と事細かに聞き出してきた。
俺は『蒙古斑を見られるのが恥ずかしいのかな』と勝手に納得していたが……あれは、こういうことだったんだ。
今、露わになったアオ先輩の手首には、傷痕があった。
度重なる、リストカットの、傷痕が。
「キミは――キミが、キミこそが、俺の元カノの『赤ちゃん』だったんだね」
アオ先輩――赤ちゃんは、何も言わない。
「そういうことです」
くれなゐが、手首の包帯を外した。
包帯の下から現れたのは、傷一つない綺麗な手首だ。
「じゃあ」
出逢った頃から感じ続けてきた違和感の正体を目の当たりにしながら、俺はくれなゐ――俺の元カノを『騙って』いた少女へ、尋ねる。
「キミは、誰だ。誰なんだ?」
「悲しいなぁ」
くれなゐが微笑んでいる。
地雷系の、泣きはらしたようなメイクの目元に涙を溜めながら。
「アナタにドラムを教えた『灯先生』のこと、忘れちゃうなんて」




