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9曲目4

「嬉しいです」


 くれなゐが、ピックの入った袋をぎゅっと胸に抱く。


「安物だけど」

「関係ありません。宝物にします」

「消耗品だけど」

「あはは、それはそうですね」


 そう言って笑うくれなゐは、いつものような暗さをまとっておらず、とてつもなく可愛い。

 俺は今、間違いなく幸せ者だ。

 世界一幸せかもしれない。


 ――なのに。


 この、言葉にできない『違和感』は何なんだろう?

 俺はなぜ、くれなゐのことを『元カノだった今カノ』と認識できないのだろう?

 十年前の彼女の顔が、面影が、もやがかって上手く思い出せないんだ。


「懐かしいですね、この道」

「……え?」


 くれなゐの声に顔を上げてみれば、懐かしい街並み。

 実家の近所の通学路だった。

 考え事をしているうちに、ずいぶんと歩いてしまったらしい。


「あっ、ごめん。デート中なのにぼーっとしちゃって」

「いいですよ。何考えてたんですか?」

「十年前のことを。キミと付き合ってた頃のことを、思い出そうとして」

「なら、一緒にこの道を歩きましょう」


 二人、手を繋いで歩く。

 ここは小学校の通学路。

 小三? 小四? の頃に、『赤』と名乗る地雷系少女と、毎日のようにこの道を歩いた。


「そうだ、そうだよ! 地雷系の女の子!」

「はい」


 地雷系ファッションに身を包んだくれなゐが、優しく微笑む。


「最初に地雷系の服を贈ってくれたのも、やっちゃんだったんですよ」

「そう……そうだ、そうだった! 何で忘れてたんだ、こんな大切なことを!」


 通学路を歩いていくうちに、次々と記憶がよみがえってくる。

 あの頃のくれなゐは塞ぎがちで、手首を……その、切っちゃうことがたまにあって。

 それで、いつも手首に包帯をしていて。


『地雷女』


 と、学校ではウワサされていた。

 小学生というやつは、残酷だ。

 男女問わずくれなゐのことを叩いていた。


「そうそう。あの頃はやっちゃんだけが味方で」

「それで、全財産をはたいて地雷系の服を買ったんだっけ」

「その服を贈ってくれたときのやっちゃん。何て言ったか覚えてます?」


 思い出した!


「「似合ってる。地雷系バンドだ。ロックだ!」」


 二人の声が、言葉が、吐息が混じり合う。

 ……いやぁ、若気の至り。


『包帯が目立つなら、包帯が目立たないファッションにすればいい』

『包帯自体をファッションにしてしまえばいい』


 小学生の発想と行動力。我ながら恐ろしい。


「もう大丈夫なの? ……その、手首」


 俺は、くれなゐの両手首に巻かれている包帯を見る。


「リスカは」


 くれなゐが、手首を撫でる。


「もうしてません。やっちゃんに出逢えてからは一度も。痕は残っちゃったけど。見てみますか?」

「みっ、見ないよ」

「ふふっ。私は救われました。やっちゃんという、私だけのヒーローに」

「でもキミは!」


 俺は突然、泣きそうになる。


「……ある日突然、消えてしまった」

「親の都合の引っ越しで。悲しくて、どうしてもサヨナラを言い出せなかった」


 ……そう、か。

 引っ越しか。

 引っ越しなら、仕方ないか。


 あの頃のことは、記憶があいまいだ。

 くれなゐとの交際期間は、半年か、それよりも短いくらいだったような気がする。

 きっと、『嬉しい』と『悲しい』が短期間に圧縮され過ぎて、脳がいろいろなことをあいまいにしてしまったんだろう。


 けれど、幸せだった。

 幸せだったんだ。

 幸せだったんだよ。


「着きましたよ」


 小学校だ。

 気が付けば目の前に、俺たちが通っていた小学校があった。


「入ってみましょう」

「え、大丈夫なの?」

「大丈夫です。実は私、ここの先生なんですよ」

「え、どういうこと?」


 疑問はすぐに晴れた。

『放課後・休日音楽教室』という看板が、音楽室に掛かっていたからだ。


「このイラスト」


 くれなゐが看板のイラスト――少女がギターを演奏している絵を指差して、


「私が描いたんですよ」

「え、うまっ」


 上手い。

 それになぜだか、ものすごく見覚えがある画風。

 何だっけ?


「あーっ、せんせー!」

「赤ちゃん先生だ!」

「灯先生、こんにちは」


 くれなゐがドアを開くと、思い思いの楽器に触っていた小学生たちが一斉に顔を上げた。

 どうやらくれなゐは、人気者のようだ。


 子供たちに頼まれるまま、さっそくアコギを手に取るくれなゐ。

 カラフルな絆創膏をしたまま、流行りの曲を弾く。

 流れるような指遣い。

 本当に、なんて流麗な演奏だろう。

 これで絆創膏を剥がすと、さらにもう一段階上手くなるっていうんだから驚きだ。

 少年ジャンプの主人公なのかもしれない。

 スポーツマンガの主人公たちが、重量付きリストバンドを嵌めたまま敵と戦う、みたいな。


 俺も、ドラムを触っていた子たちに頼まれてドラムを教える。

 疲れたら、壁際に置いてあるお菓子やジュースを頂いたりする。

 音楽教室には十人近くの子供たちがいる。

 対して教師はくれなゐと、小学校の音楽教師が一人だけ。

 くれなゐはもう十年来ずっとこの教室の先生をやっているのだそうだ。

 完全なボランティアなので教師役は集まらず、生徒同士が互いに教え合っている。


「いろいろと思い出してきたよ」


 俺が、肩によじ登ってくる子供をあしらいながら言うと、


 抜群に形の良いバストに頭突きするエロガキの頭を押し返しながら、くれなゐが微笑んだ。


「どんなことをですか?」


 む、うらやまけしからん。

 それは俺が収まるべき場所だぞ――じゃなくて。


 そう、かく言うも俺も小学三年生の頃、一個上の先輩――それも、とびっきり可愛い女子からドラムを教えてもらったんだった。

 俺はその子と仲良くなりたくて、休日にスティックの選び方を教えてもらうことを口実にデートに誘ったりしたんだっけ。

 そうだ。

 骨伝導の音でスティックの密度を調べる方法は、その子から教えてもらったんだ!





 あの綺麗な先輩女子、なんて名前だったっけ?

 焚き木、

   薪、

     松明(たいまつ)、

       明かり……あれ?





「せんせー、何かやってー!」


 という生徒たちの言葉に押され、俺とくれなゐはセッションを開始する。


「じゃあ特別に、『青子緑子』の未発表最新曲を披露してあげましょうか」


 くれなゐが絆創膏を剥がす。

 おおおっ、本気モードだ。


「――『血とくれなゐ』」


 ややローテンポな、バラード寄りのロック。

 こんな曲、俺は聴いたことがなかった。

 が、別に不思議はないだろう。

 俺は『キング・ホワイト・ストーンズ』の中では一番の新参者で、くれなゐは一番の古参だ。


 160bpm。

 切なさと格好良さを煮詰めて煮凝らせて成形したような、素晴らしい前奏。

 六秒弱――二小節聴いて、俺は曲の感じを掴んだ。

 三小節目の頭からドラムを合流させる。

 続く二小節で、曲に対する解釈を修正、ビートに裏拍を混ぜて、微修正する。


『こんな感じでどうかな?』


 とくれなゐを見ると、


『か』

   『ん』

      『ぺ』

         『き♪』


 と、実に幸せそうな笑顔で、くれなゐが口を動かした。


 懐かしい。

 懐かしいなぁ。

 こうやって毎日、くれなゐとセッションしてた。

 十年前の俺たちは、この音楽室で愛をはぐくんでいたんだ。


 どうして忘れていたんだろう?

 そうだ、あの頃のくれなゐは、自分のことを『赤ちゃん』と名乗っていたんだ。

『くれなゐ』とは名乗っていなかった。


 ……ん?

 でもくれなゐは、『キング・ホワイト・ストーンズ』のみんなからは『赤ちゃん』と呼ばれている。

 じゃあなぜ、一致しなかった?

 分からない。

 けれど、分からないことで悩んでも仕方がない。

 俺たちは今、この瞬間を生きている。

 大学生の俺は、今、大学生のくれなゐと付き合っているんだ。


 セッションは続く。

 くれなゐが鼻歌を歌っている。

 くれなゐはお世辞にも歌が上手いとは言えなくて、だからカラオケに行くのを嫌がる。

 そんなところも最高に可愛いと思う。


 くれなゐがギターを演奏している。

 さっき俺がプレゼントしたばかりのピックでギターを奏でている。


 くれなゐと、目が合った。

 アイコンタクトはバンドの基本だ。

 くれなゐが晴れやかに微笑んだ。

 俺も、微笑む。


 灯くれなゐ。

 最高の彼女だ。

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