8曲目3
「言ったとおりだっただろう?」
練習後、部活棟の片隅――俺たちがよくたむろしている四階への踊り場で、海野アオが言った。
「キミは絶対に、ボクのことを嫌いになる、って」
言った。
海野アオには隠し事がある。
その隠し事を知れば、俺は海野アオのことを嫌いになるだろう、と。
海野アオは確か、その隠し事に『醜い』とか『醜悪な』みたいな形容詞を付けていたように記憶している。
なるほどこれは、いかにも醜悪な隠し事だった。
「さて、これからの話だ」
海野アオが一枚の紙切れを配った。
「次なるボクらの目標は、十一月五日の学祭ライブ、その最高峰となる中庭ライブへの出演。そのためには、十月一日締め切りの学祭オーデに、最高の動画を提出しなければならない」
配られた紙切れは、WBSだった。
四月のあの日、俺が『キング・ホワイト・ストーンズ』に加入したあの日の夜に、アオ先輩が見せてくれたスケジュール表の、更新版。
「オーデ用の新曲は、今書いている。来週中には完成させるから、各自編曲作業を――」
海野アオは、無表情に、淡々と話を進める。
イナズマちゃん先輩が、ブルブルと体を震わせている。
シロ先輩は真っ青だ。
くれなゐ先輩は、うつむいている。
「以上。何か質問は? なければミーティングはこれで解散――」
まるで突き放すように、ペラペラの紙一枚で話を終わらせようとする海野アオ。
違う、そんな話が聞きたいんじゃない。
説明しろ。
昨日の、アンタの裏切りについて話せよ。
アンタにはその責任があるはずだ。
「違うだろ!」
イナズマちゃん先輩が、海野アオに掴みかかった。
「てめぇ、アオ、お前は、何でこんな――」
「イナズマちゃん!」
シロ先輩がイナズマちゃん先輩を羽交い締めにして、海野アオから引き剥がす。
「それは、そこから先は、モヤシちゃんに言わせてあげるべきや」
海野アオは無表情だ。
「っ……そうだったな。おい、モヤシ」
「はい」
俺は立ち上がり、海野アオを見下ろす。
海野アオは俺と目を合わせようとしない。
「昨日のアレは、何だったんですか」
「…………。アレ、って、何のことかな。抽象的な言い方は、止してくれ」
「何で! 何でアンタが、夏野のバンドでドラムを叩いていたのか、って聞いてんだよ!」
握りしめた拳が、ブルブルと震える。
「アンタ、四月からずっと――いや、俺に声を掛けた、あの日、あの時からずっとずっと、俺のことを騙してきたのか!?
アンタの所為で、俺は夏野のバンドを追い出された。
アンタはそれを知っていながら、素知らぬ顔で俺に近付いて、俺を『キング・ホワイト・ストーンズ』に引き入れた。とんだマッチポンプだ。自分の手でクビにさせて、落ち込んでいるところを拾い上げて、優しい言葉を掛けて。俺はさぞかし滑稽だったろうな。そんな俺のことを見て、アンタ、裏では笑ってたんだろ!?」
「……どうしても。どうしても、優秀なドラマーが必要だったんだ」
「ああっ!? 何の話だよ!」
「『何で』って聞いただろう、今。ボクには、『青子緑子』の曲を叩ききってくれる優秀なドラマーが、どうしても必要だった。ゴッド先輩が部活を引退してしまってから、ニヶ月。ボクは血眼になって、ドラマーを探し求めた。でも、見つからなかった。ボクの曲を叩けるドラマーは、この大学には一人もいなかった。ボクは絶望していた。絶望していたんだよ。そんな折に、くれなゐから聴いたんだ」
くれなゐ先輩の肩が、ぴくりと動いた。
「私の元カレで、リズムキープモンスターのドラマーが今年入学しましたよ、って。
小学低学年の頃に初めてスティックを握り、
始めて一分で8ビートを叩き、
二分でフィルインできるようになり、
五分で16ビートを覚えたバケモノ。
絶対リズム感を持っていて、どれだけ長時間叩いても、1bpmのズレも生まない、リズムキープ力の権化。
百瀬ヤスシ。
ボクはどうしても、そいつが欲しくなった。運命だと思った。去年は、この大学で最もドラムが上手かったゴッド先輩の手を借りてすら届かなかった、学祭中庭ライブ。ボクの人生のすべて。それを達成するために、何が何でも手に入れなきゃって思った。でも、そいつは今、別のバンドに入っているという。しかも、ずいぶんな自信家らしい」
……自信家だったのは、小学生までの話だ。
あの頃の俺は背が高くて、足が速くて、勉強もできて、スポーツ万能で、まぁ、有り体に言ってかなり調子に乗っていた。
あぁ、そうか。
くれなゐが本当に俺の小学生時代の元カノなのだとしたら、彼女の中での百瀬ヤスシ像は自信家のままだったのだろう。
「こんなチャンス、もう二度と訪れないかもしれない。何としてでも、何をしてでも、百瀬ヤスシを手に入れなければならない。そのために、ボクは」
俺を、陥れたのか。
「ボクは、夏野に声を掛けた。彼は本当に愚かな奴で、モヤシちゃんの価値に少しも気付いていなかった。一方のボクは、まぁ、このとおり見た目が映える方だし、アイツ好みのグルーヴ感のあるドラムが叩けるから、交渉は簡単に成立した」
それが、四月の出来事だったのか。
それからのことは、俺の方がよく知っている。
絶望のただ中にあった俺を拾ってくれた、アオ先輩。
俺がどれほど感動し、アオ先輩に恩を感じたのか。
アオ先輩のことをどれほど尊敬し、アオ先輩に夢中になったのか。
アオ先輩の存在が、俺の中でどれほど大きかったのか……それはきっと、海野アオ本人にすら分かるまい。
俺はまんまと騙されて、海野アオの思うがままに操縦されていたんだ。
ん、ちょっと待て。
今の話、もしかして――
「くれなゐ先輩? もしかして先輩、このこと知ってたんじゃ――」
「し、知りませんでした!」
くれなゐ先輩は、可哀想なほど狼狽していた。
「私がモヤシくんのことを推薦したのは、本当のことです。また一緒にセッションしたい、とも言いました。けど、だからって、こんな、アオがここまでメチャクチャで常軌を逸したことに手を染めているだなんて、夢にも思っていませんでした」
俺はくれなゐ先輩の目を見る。
嘘を言っている目ではない。
俺は頭を下げる。
「疑ってすみませんでした」
「い、いえ。私は大丈夫です。一番つらいのはモヤシくんでしょうから」
海野アオの話には、一定の筋が通っているように思える。
嘘は言っていない。
が、どうしようもなく違和感が残る。
意味不明なところがたくさんある。
まずもって、動機が意味不明だ。
コイツはこう言ったんだ。
『どうしても中庭ライブに出たいから、優秀なドラマーが必要でした。そのために、百瀬ヤスシを操縦したかった。だから、百瀬ヤスシを陥れました』って。
『中庭ライブに出たい』
と、
『だから百瀬ヤスシを陥れました』
の間に大きな乖離がある。
あまりにも、目的と手段の釣り合いが取れていない。
常軌を、逸している。
そりゃあ、中庭ライブには出たいだろう。
中庭ライブ出演は、全軽音部員の憧れだ。
けれど、だからって、言ってしまえば『その程度のこと』のためにこんな、人を陥れるような、人の人生をもてあそぶようなことまでするか、普通?
異常だ。
明らかに異常だ。
いや、コイツは今、中庭ライブのことを『人生のすべて』だとか言っていた。
そうだ、それもまた、大きな違和感の一つだ。
コイツは多分、致命的な何かを隠している。
醜悪な『隠し事』は多分、一つだけじゃない。
「海野さん」
俺は海野アオに語りかける。
「っ!?」
海野アオが、この話し合いが始まってから初めて、顔を上げた。
何を一人前に、傷付いたような顔をしているんだ?
俺が苗字で呼んだのが、そんなにショックだったのか?
傷付けられたのは、こちらの方だというのに。
「アンタ、まだ何か隠してるな。言えよ」
「っ……言えない。悪いけど、こればっかりは本当に。言ってしまったらもう、ボクの心象は地に落ちる」
「既に落ちてるよ。いいから言え」
「い、嫌だ」
「言え。言わなきゃ、俺はもう、ドラムを叩かない」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!」
幼児のように、いやいやをする海野アオ。
異様な光景だった。
「――――……。じゃあせめて、あと何個、隠し事があるのか、言え」
「…………」
海野アオは泣き出しそうな顔をして、唇を噛んで、そして、
「……二個」
つまり、俺を追放させたことを含めて、全部で三つの隠し事があるわけか。
この言葉も、どこまで信じて良いか分かったもんじゃないが……いや、せめてこのくらいは、信じてやろう。
コイツとは、まだ三ヶ月の付き合いが残っているんだから。




