6曲目3
「俺、先輩のことが――」
「あああっ、そういえば!」
アオ先輩が、露骨に話題を逸らした。
話を、逸らされてしまった。
「夏ライブの衣装、届いた!? シロが選んで、送ってくれてるはずなんだけど」
「アッハイ」
少し――いや、かなり残念だったが、バンドとして普通に重要な話題だったので、ちゃんと返答することにした。
今の僕は、先輩が理想とする演奏を提供するために、ここにいる。
あの日の誓いは今も有効だ。
「昨日届きました。まだ封は開けてませんが」
衣装は毎年、シロ先輩が選んで、贈ってくれているのだそうだ。
『送って』でもあるけど、同時に『贈って』でもある。
ご存知シロ先輩は某社の社長令嬢で――その会社がだいぶ前から傾きかけとはいえ、それでも――俺たちに比べれば圧倒的にお金持ち。
かつシロ先輩は服のセンスが先輩方の中で最も『安定している』ので、衣装担当になっている。
アオ先輩は一見オシャレそうに見えて、実は服のレパートリーがクソ狭い。
どうも、キャラ作りのためにダウナー系の格好をしているだけで、ファッションにはさほど興味がないらしい(音楽に人生のリソースをぶっ込み過ぎて、他に気を配る余力がないのかもしれない)。
その証拠に、服装が春先からちっとも変わっていないのだ。
白い革ジャンは文字どおりの一張羅。
キャミソールとホットパンツが日替わりではあるものの、それらをセットにした服装以外でいるところを見たことがない。
変更点といえば、春先は黒タイツを履いていたのが、今は素足に変わったくらいだ。
いやまぁ、その変更点が一番エロ可愛くてヤバイんだけどね。
アオ先輩の素足はヤバイ。
本当にヤバイ。
あ、いや、何の話だったっけ、ナニの話だったっけ?
アオ先輩の素足――じゃなくて!
先輩方のファッションセンスの話だ。
イナズマちゃん先輩はギャップ萌えに特化した、スポーティーでぶかぶかの服しか選ばない。
くれなゐ先輩は言わずもがな地雷系専門である。
そんなわけなので、尖り過ぎず安定したファッションセンスを持つシロ先輩が、その時々の舞台に合った衣装を見繕ってくれるのだ。
ん、俺?
俺は夏野曰く『ファッションセンスが小学生で止まっている』らしいから……。
「あー、じゃあ確定っぽいね」
「何の話ですか?」
「シロがね、どうもボクとモヤシちゃんの衣装の送付先を取り違えちゃったらしくて」
「ええっ?」
「昨日、届いた衣装着たら微妙にサイズが合わなかったものだから。シロに確認したら、もしかしたら――って。今日はもう帰るし、モヤシちゃんの家に取りに行っても良いかい?」
「アッハイ。分かりました」
なるほど、今回の衣装は全員シックでメンズライクなスーツに黒ネクタイというスタイルにしたらしい。
俺とアオ先輩は一七〇センチ前後と体格が近いから、ぱっと見どちらの衣装か分からなくても不思議はない。
というわけで、タコ焼きを腹に収めた俺たちは、大学を出て歩き出した。
雨のない日は基本、バスは使わない。
丘の上のキャンパスから急な坂道を下ること十五分、ふもとの駅前に至る。
ごみごみした街並みを十分ほど縫うように歩けば、先輩の北向きマンションに到着だ。
「待ってて。モヤシちゃんの衣装、取ってくるから」
「はい」
何だか懐かしい。
『ね、キミ。ボクと付き合ってよ』
そう言われて、『すわ美人局か』とおっかなびっくりアオ先輩について行ったのが、もう三ヶ月も前のこと。
あのときは、まさかあのミステリアスな先輩とバンドを組むことになるとは夢にも思っていなかった。
ましてや、その先輩が『青子緑子』その人だったりだとか、一緒にライブに出られるようになるとは。
夢みたいな日々が、ずっとずっと続いている。
この夢が、ある日突然、覚めてしまいそうで怖いんだ。
「お待たせ」
アオ先輩が出てきた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
今度は俺が先導する。
僕の住む安アパートは、ここから徒歩十分程度。
道中、大した会話はなかった。
アオ先輩が俺をからかうようなことを言って、俺がそれに乗っかったり、乗っからなかったりする。
いつもの俺とアオ先輩だ。
「お邪魔します」
俺の部屋に至り、ドアを開いた俺に続くアオ先輩が、玄関先で丁寧に靴を揃えた。
先輩の、時々飛び出すこういった意外な育ちの良さに、俺は戸惑う。
いや、意外とか言ったら失礼か。
「おー、コレがボクの衣装だね」
先輩が、机の上に置きっぱなしになっていた包みを手に取った。
「ここで着てみても良いかい?」
そう言って、ジャケットを脱ぎだす。
先輩の、日焼けしていない真っ白な肩が露わになった。
「エッココデ!?」
久しぶりにテンパった。
ここのところ、アオ先輩の思わせぶりな態度にも冷静に対応できるようになったと思っていたのに。
先輩の白い肩一つで、俺はもう大変だ。
「だってほら、ボクらって体格似てるし、同じパンツスーツで黒ネクタイだからさ。取り違えたってのがボクの勘違いの可能性もあるわけだろう? だから着て確かめてみないと。それとも何かい、少年? キミはボクに、この衣装をわざわざボクの家にまで持って帰って、そこで着替えろというのかな? 手間だろう、それは」
「うっ……」
言いたいことは山ほどある。
手間だろうよ、そりゃ。
でも、初めて上がった男の部屋で着替えるってアンタ正気か?
やっぱり俺は、男として見られていないのか?
俺はアンタのオモチャに過ぎないってのか?
いっそ一度くらい、怖い思いをしてみたほうが――。
アオ先輩を掴もうとした。
手を伸ばした。
が、先輩の――あぁ、アオ先輩の、こちらを信頼しきった目に見つめられた瞬間、俺はどうしようもなくなった。
「っ……『僕』、外出てます!」
「何でさ、家主を追い出すわけにはいかないよ」
「いやいやいや! からかうのは、もう本当に、これっきりにしてください!」
僕――いや『俺』は、転げるように部屋を出た。
手持ち無沙汰。
あ、そう言えばお茶もコーヒーも切れかかっていたな。
やることもないので、近場の――行きつけのスーパーに向かう。
パック紅茶とインスタンスコーヒーを買い物カゴに放り込み、レジへ。
会計はスマホ決済だ。
十分ほどで、戻ってきた。
玄関ドアを開け、
「せんぱーい、もう入ってもいいですかー? ……先輩?」
返事がないので、リビングに続くドアを恐る恐る開くと、
「クンカクンカスーハースーハー……はっ!?」
せ、せ、先輩が。
ダウナー系でミステリアスでいつも冷静沈着なはずの、敬愛すべきアオ先輩が、俺の、床に脱ぎ散らかしたシャツを、嗅いでいた。
思いっきり。
言い訳の余地もないほど思いっきり、渾身の力でもって嗅ぎあげていた。
「ファァアアアアァァァアアアアアアアアアアアァアアアアアアッッッ!?!?!?」
おったまげた。
俺はまともな言葉すら口にできないほどテンパり、引っくり返った。
「あ、や、今の無し! 今の無ーーーーし!」
アオ先輩が絶叫した。
「出てって! 一分後にもう一度入ってきて!」
「アッハイ!」
僕は自分の家から追い出される。
…………一分後。
「あのぅ、ただいま戻りました」
「やぁ、お帰り」
アオ先輩は、いつものダウナーでアンニュイでミステリアスなアオ先輩に戻っていた。
「なかなか入ってこないから、どこへ行ったのかと心配してたんだよ」
う、嘘つけ。
でも、さっきのは本当に何だったんだろう……追求したほうが良いのか?
それとも、スルーしたほうが良いのか?
「い、衣装は大丈夫でしたか?」
意気地無しの俺は、スルーすることにした。
見れば先輩は、メンズライクスーツに黒ネクタイという出で立ち。
ハリウッド映画から飛び出してきた、と言われても信じてしまうくらい様になっている。
「やっぱり入れ替わっていたよ。というわけで、キミのはこっちだ。封を開けてしまったことについては、ごめんね。気が付かずに着てしまったものだから」
「えっ」
そうか。
先輩がこの服を着たのか。
「いえ、先輩は別に悪くないですよ」
我知らず、手渡された衣装に鼻を近付けようとして、俺は慌てて顔を上げた。
危ない危ない。
先輩と同じような奇行に走るところだった。
先輩が着た衣装を、俺が着る。
これは間接キスならぬ、間接……ナニ?
さきほどの、先輩の痴態――そう、痴態だ。
破廉恥な振る舞いと言って差し支えない暴挙――が頭に浮かんで、俺は変なことばかり考えてしまう。
見れば、先輩もまた、顔を真っ赤にさせている。
ムードのようなもの、を感じる。
何とも言えず良い雰囲気になっているのを自覚する。
今、ではないか。
言うとしたら、今しかないんじゃないだろうか。
こんなチャンス、今を逃したらもう二度と訪れないのでは。
「アオ先輩。俺、先輩のことが、す、す――」
『き』、が言えない。
たったの一文字。
それだけで思いが伝えられるというのに、その一文字が言えない。
俺は『す』の口のまま硬直してしまい、先輩もまた、そんな俺のことを真っ赤になりながら見つめていて。
かれこれ一分が過ぎてしまった頃に、
「好k――」
「そういえば!」
遮られた。
遮られてしまった。
「いつの間にか『俺』になってるね」
「え? アッハイ」
「心境の変化かい?」
俺の心境を変化させた最大の原因が、可愛い口を緩ませながらそう言う。
先輩に少しでも意識してもらいたくて、男っぽく見せたくて、最近は服や髪型にも気を付けるようになった。
ファッション雑誌を買って研究したり、古着屋巡りをしたり、美容室に行ったり。
一人称を変えたのも、その一環だ。
それらはすべて、最高の俺になってから先輩に告白するための、準備だった。
満を持して言うつもりだったんだ。
けれど、それを遮られてしまった。
だが、それも当然かもしれない。
一分も貰って『好き』の一言も言えないようなヘタレな俺に、先輩は呆れてしまったのかもしれない。
「そうですね、心境の変化です。ちょっとした」
俺は微笑む。自然な感じに微笑めたはずだ。
「似合いませんか?」
「ううん」
先輩も微笑む。
優しい笑顔だ。
「似合ってると思うよ」
お互い、それ以上は何も言わない。
黙っていよう。
それが、先輩の望みなら。




