6曲目『先輩生着替え。衣装合わせをしよう!』
七月三日。
その日は、軽音部全体が朝からざわついていた。
もちろん、『俺』――百瀬ヤスシの心も。
夏ライブの合否発表があるからだ。
「ぐわああああっ、ダメだった!」
「今年こそ行けると思ったのに!」
「ダメかー。あー」
部室前には、防音扉に張りつけられたオーディション結果に悲鳴を上げる先輩方と、
「ウチら入ってるよ! やったー!」
「学祭中庭目指して、まずは夏ライブを成功させよう」
全力で喜んだり、淡々と喜んでいる先輩方がいる。
悲喜こもごもだ。
俺は早く、『キング・ホワイト・ストーンズ』の結果が見たい。
だけど百人もの部員を抱える■■大学軽音学部の、二回生以上のほぼ全員が狭い部室前に集まっているので、満員電車のようになってしまって前に進めない。
「俺様に任せろ!」
小柄なイナズマちゃん先輩がシロ先輩の上によじ登る。
なるほど、肩車作戦だな?
高所から張り紙を見るんだろう。
なんて思って見ていると、
「えぇぇええええええええええええええええええええええええええっ!?」
俺は仰天した。
イナズマちゃん先輩が、ごった返す部員たちの肩やら頭を踏んづけていったからだ。
「いてっ」
「あ、こらイナズマちゃん!」
「アンタ去年もそれやったでしょ」
どうやら常習犯らしい。
防音扉の前にまで到達したイナズマちゃん先輩が、ずぼーーーーっと人並みに飲み込まれていく。
「「「「…………」」」」
俺たち四人は無言だ。
冷たい汗が俺の背を伝う。
果たして――。
「受かってるぜ!」
イナズマちゃん先輩の声だ!
「最終日、中庭ライブだぁ!」
「やっっっっったぁあああああああああああああああ~~~~~~~~~~~っ!」
アオ先輩が、あのミステリアスでダウナーなアオ先輩が、飛び跳ねた!
「ありがとう! ありがとうモヤシちゃん! キミのお陰だよ!」
抱き着いてくるアオ先輩と、
「……スキンシップ禁止です」
僕をアオ先輩から引き剥がすくれなゐ先輩。
「でも、おめでとうございます、アオ。夢にまた一歩、近付きましたね」
ネコのように戻ってきたイナズマちゃん先輩も交えて、俺たちはハイタッチをした。
『キング・ホワイト・ストーンズ』。
最高のバンドだ!
♪ ♪ ♪
Aマイナス。
それが、『キング・ホワイト・ストーンズ』の評価だった。
十個ある夏ライブ出場枠には余裕で入れる。
が、五枠しかない学祭中庭ライブの枠に入るには心許ない評価だ。
各パートの評価は、ボーカル・アオ先輩、ギター・くれなゐ先輩がAプラス、イナズマちゃん先輩、シロ先輩がAマイナス、そして僕がBプラス。
僕が足を引っ張ってしまっている。
『ドラム、上手い。が、グルーヴが感じられない』
『極めて正確で、とても素晴らしいドラム。だが、グルーヴ感がない』
『打ち込み風の曲を丁寧に再現した、という意味ではこれ以上になく完成された素晴らしいドラム。だが、生演奏のドラムとして捉えた場合、どうしても物足りなさが目立つ。人間味、ライブ感、グルーヴが感じられない』
それが、僕に下された評価。
人間メトロノーム、打ち込みの再現としては十分に通用する。
が、人間が叩く以上、さらなるプラスアルファが求められるということか。
プラスアルファ――それが『絶妙なノリ』なのだ。
僕は未だに、グルーヴが理解できずにいる。
♪ ♪ ♪
『リハリハ』という言葉がある。
■■大学軽音学部の造語かもしれない。
『リハーサルのリハーサル』という意味だ。
『リハーサル』とは、ライブ当日の朝から行う、演者たちと裏方(PA、照明、各楽器パート)による事前準備のこと。
何を準備する必要があるのかというと、最重要なものが『二つ』ある。
準備不足だとライブが崩壊しかねないほど重要な物事が。
一つは、スピーカーから観客へ届けられる『音』造りの準備。
これには『PA』チームの面々が当たる。
PAとはPublic Addressの略だが、要はライブにおける『音響』全般を管理する人のことだ。
某ぼっちなろっく漫画・アニメで『PAさん』がやっている仕事のことでもある。
ライブというのは、マイクとスピーカーによって成り立つ。
ボーカル、シンセサイザー(キーボード)は、スピーカーによる音の増幅無しでは広範囲に音を広げられない。
アンプで音を増幅させるギターやベースも、そのアンプにマイクを当てることで、さらに音を増幅させる必要がある。
生音でも耳を塞ぎたくなるほどの爆音を出せるドラムですら、増幅された音たちの前では蚊の鳴き声くらいにしか聴こえない。
だから、ドラムにも幾つものマイクを当てて、音を拾って増幅させ、スピーカーから音を放出させる。
ドラムにセットするマイクの数、実に九個(スネア・ハイハット・ハイタム・ミドルタム・ロータム・バス・左クラッシュシンバル・右クラッシュシンバル・ライトシンバル。右クラッシュシンバルとライトシンバルの違いを語りはじめると日が暮れるので、この場では割愛する)。
そしてPAチームは、それらのマイク一つ一つ(ボーカル、リードギター、サブギター、ベース、シンセ、ドラム×9、他の楽器)の音量をそれぞれのツマミで調節する。
各ツマミは『全体音量』『Hi』『Mid』『Low』を意味しており、それぞれ全体音量と高・中・低音を司る。
例えば『カーン』という快活な音が魅力のスネアドラムを扱うとき、音を効かせたかったらハイを多めに入れれば良い。
逆に『ダッ』というスネア独特の濁音(鉄の網こと『スナッピー』の音)にフォーカスを当てたい場合は、ロウを多めに入れてハイ・ミドルを下げれば良い。
それだけ。
そう、それだけ。
簡単な話だ。
各マイクから吸い上げられた音をハイ・ミドル・ロウに分類し、曲全体のバランスを考えて、目立たせたいパートの、目立たせたい音域のツマミの目盛りを上げて、それほど重要ではないパート・音域の目盛りを下げれば良い『だけ』。
けれど、言うは易し行うは難しとはまさにこのことで、限られた時間の中でこの『だけ』を実現するのが、これがもう、逆立ちするよりずっとずっと難しい。
しかも、そこに各種事情が入り込む。
例えば、ボーカル。
歌は、ボーカルがメインだ。
当たり前過ぎるほど当たり前の話だ。
けれど、ボーカルを活かすためのバックミュージシャンたちもまた、血の滲むような努力を重ねてオーディションに合格した猛者ばかりだ。
そんなバックグラウンド演者たちが、もしもボーカルよりも上級生だったとしたら。
『◯◯パイセンの音、ちょっと強めにおねしゃーす』みたいな要望がボーカル兼バンマスから出てもおかしくはない。
そうした場合、メインであるボーカルを殺さないようにしつつ、他パートの音も活かすという極めてシビアなバランス感覚が必要になるだろう。
例えば、他楽器のソロシーン。
ギターにせよベースにせよシンセにせよドラムにせよ、他楽器にせよ。ソロシーンというのは、人生の晴れ舞台だ。
『全人類よ、俺の演奏を聴け!』って感じの、トランス状態に入った夢のような時間だ。
そんな時間が、もしも蚊の鳴くような音のままで、観客に何一つ届いていなかったとしたら?
数ヶ月もの血の滲むような努力が、PAのちょっとした手元の狂いでパーになるとしたら?
人生の『ここ!』をターゲットにしたその瞬間が、パーになるのだ。
PAは、その恐ろしさを知っている。
人生を台無しにされた演者たちの、恨みの深さを知っている。
だから、必死に準備をしてくれる。
これが、最重要なものの一つ目。
まぁ要するに、苛烈なオーデを勝ち抜いた演者たちにとっての『命』そのものだ。
もう一つある。
それが、演者たちへの『返し』だ。
『返しスピーカー』とは、観客ではなく演者に向けられたスピーカーのこと。
ライブの映像などで、ボーカルの足元に三つ四つ並んでいる黒い箱を見たことのある人は多いのではないだろうか。
アレが返しスピーカーだ。
ライブ中、演者は常に爆音にさらされている。
ボーカルは、自分の声が聴こえない。
ギターもベースもシンセも、自分たちが奏でている音が何一つ聴こえない。
生でも耳をふさぎたくなるほどの爆音を出すドラムですら、自分が今まさに叩いたスネアの音が聴こえないのだ。
俺も今日、『キング・ホワイト・ストーンズ』のリハリハでステージに立たせてもらったが、あれは本当に、ちょっとした恐怖体験だった。
自分の腕が、眼の前のスネアドラムに向けて勢い良くスティックを振り下ろした。
それが見えているのに、音が聴こえないのだ。
まるで、自分が幽霊にでもなってしまったかのような、自分の手足が自分のものではなくなってしまったような不気味な感覚。
本当に怖かった。
そこで頼りになるのが、『返しスピーカー』だ。
返しスピーカーが自分の声を、自分の楽器の音を返してくれることで、演者は初めて、自分たちがちゃんと演奏しているという現実感を得ることができるのだ。
だが、その『返し』を設定するのもまた、PAの手元にある無数のツマミだ。
だから、リハリハで入念に調整する必要がある。
演者にとって、自分の演奏が聴こえないことほど恐ろしいことはない。
PAによる返しの調整が下手くそな場合、演者は無音の中で演奏する羽目に陥る。
『音やリズムを外しまくっているかもしれない』、『そもそも音が出ていない可能性すらある』という恐怖と戦いながら、笑顔で演奏しなければならないのだ。
ボーカルがライブ中に片耳を抑えはじめたら、要注意だ。
耳を塞ぐと、骨伝導で自分の声が聴こえるようになる。
つまり、そうでもしなければ自分の声がまったく聴こえない、返しがまったく機能していないことを意味する。




