4曲目3
「どう、着れそう? キツくない?」
「アッハイ。ありがとうございます。大丈夫です」
乾燥機が回っている間、僕はアオ先輩の服を借りることになった。
身長はほぼ同じだから、着れないことはない。
彼シャツならぬ彼女シャツだ。
図らずも、最高の――もしくは最悪の――形で、憧れの実績を一つ解除してしまった。
「ほら、温かいコーヒーだよ。お飲み」
「ありがとうございます。何だか、かえってお手間を取らせてしまって、すみません」
「謝らないでよ。モヤシちゃんがいてくれなかったら、ボクは今ごろ濡れネズミの風邪引きサンバさ」
部屋の真ん中で、テーブルの前に二人並んで座る。
僕は胡座、先輩は女の子座り。
並んで座って、この会話。
なんというか、同棲カップルみたいな質感になってないかコレ。
「ね、モヤシちゃん。せっかく二人っきりになれたんだし、アレ、ヤっていかないかい?」
「エ、エ、エ、何ヲデスカ!?」
先輩の、突然の意味深な発言に、僕はドギマギする。
「ナニってそりゃもちろん――」
先輩が、僕の膝の上に乗っかってくる。
ぐぐぐっと指を伸ばして、僕を挟んだ向かい側、勉強机の下に格納してあるデスクトップPCの電源をぽちっとオンにした。
「編曲作業さ。皆と一緒だと、ドラムの編曲作業だけには集中できないからね」
でっっっすよねー。
うん、分かってたよ。
大丈夫。
というか、正直安心した。
万が一にもここで良い雰囲気になってしまっていたら、僕にはもう、自分を抑えられる自信がない。
先輩が勉強机の椅子に座り、モニタを点ける。
僕は先輩の後ろに立つ形に。
「お、おおお……これが、『青子緑子』の作業環境!」
「あははっ。オタクムーブ止めてくださーい」
『あはは』と言いつつ、本当に笑っているアオ先輩。
楽しそうに、大きく口を開いて。
ここ数日で、アオ先輩が僕に笑顔を見せてくれる機会が劇的に増えた。
ダウナーでミステリアスで、常に一歩退いているようなところがあるアオ先輩だったけれど、こんなふうに自然な笑顔をすることもできたんだ。
アオ先輩と仲良くなれたのだとしたら、アオ先輩の自然体を引き出せるようになれたのだとしたら、僕はとても嬉し、い――
「……あっ」
次の瞬間、僕は冷水でも浴びせられたような心地になった。
先輩が、パソコンのフォルダを開いたからだ。
中から、無数の楽譜ファイルが飛び出してきたからだ。
中には僕もよく知ったタイトルの曲――何十万再生だとか何百万再生だとか、そういう信じられない規模の再生数を叩き出し、社会現象まで巻き起こした楽曲が混じっている。
この人は、海野アオは、紛れもなく大人気ボカロP『青子緑子』その人なのだ。
本来なら僕なんて近付くことすら許されないような、雲の上の存在なのだ。
……そういう事実を、まざまざと見せつけられた。
「ほら、これが『もやしマシマシロックンロール』のタブ譜だよ。あ、そういえばモヤシちゃんはまだタブ譜が読めないんだったっけ? モヤシちゃん? おーい」
「は、はい! すみません、ぼーっとしてて」
「やっぱり風邪引いたんじゃないのかい? 熱は?」ぴと。先輩がおでこをくっつけてきた。
「うひゃぁああ!」
「そこまで驚かなくても。大丈夫、取って食べたりはしないよ」
先輩が、出逢った初日と同じセリフを口にする。
たった数日前のことなのに、もう何年も昔の出来事のような気がする。
先輩と出逢う前の自分が、このごろ上手く思い出せないんだ。
「うん、熱はなさそうだね。話を戻すけど、サビ前のフィルインはこんな感じで良いかい?」
「最高です!」
僕なんかが意見できるような相手じゃない。
いや、何も卑屈になったり、ドラム編曲の責任を投げ出しているわけじゃない。
実際問題、アオ先輩が作ったビートが最高にカッコ良くて、この曲にもピッタリなんだ。
「ボクはキミの意見が聞きたいんだ。最高の曲にしたい。だから、忌憚のない意見がほしい」
「と言われましても……僕は、作曲はおろか編曲も初めてなので。それに、『青子緑子』の作った楽譜に手を加えるなんて畏れ多いこと、できませんよ」
「そうかい……」
先輩が、少し悲しそうな顔をした。
突き放すようなニュアンスに聴こえてしまったのかもしれない。
「あ、その」
僕は慌てて付け加える。
「このビート、すごくカッコ良いと思ったんです。本当です。スネアの二打目を裏拍に入れるところなんてすごくエモいし、直後のハイハットを裏拍だけオープンにするのも、良いアクセントになってて。あと、演者の立場としては、叩きにくいところや、今の僕では叩ききれないようなところもありません。あとは、その……今は何も思いつきませんが、何かアイデアが浮かんだら、そのときは相談してもいいですか?」
「! うん、喜んで! 相談、待ってるよ」
アオ先輩の、弾けるような笑顔。
そこからさらに、うっとりとした表情になって、
「懐かしいなぁ」
「え?」
「あぁ、いや。昔こうやって、友達と一緒に作詞作曲したことがあってね」
「へぇ」
それは女友達だろうか、それとも。
そんなことに嫉妬を感じてしまう僕は、非常に良くない傾向に陥りつつある。
あと純粋に、我ながら発想がキモい。
先輩にとって僕は、出会ってまだ数日しか経っていない、ただのバンド仲間なのに。
かぶりを振って心機一転、僕は先輩との会話に集中する。
「先輩はいつから作詞作曲してるんですか? 青子緑子の初投稿は三年前の八月十二日でしたけど」
「さらっと初投稿の年月日まで出てくるあたり、重めの愛を感じちゃうね」
先輩が笑う。
楽しそうに笑ったり、さっき僕の服を無理やり脱がそうとしたときにはなにげに顔を真っ赤にしていたり。
ダウナーでクールビューティーな人だと思っていたけれど、探せば表情豊かな子なんだ。
海野アオ。
許されるのなら、僕はこの子と恋がしたい。
♪ ♪ ♪
雨脚が弱まったタイミングで、僕は先輩宅をあとにした。
その夜、僕は懐かしい夢を見た。
十年近く前の夢。
小学生高学年の頃の夢だ。
あの頃の僕には彼女がいた。
赤を基調とした地雷系ファッションに身を包んだ、可愛い女の子。
本名は忘れてしまったけれど、僕は彼女のことを『赤ちゃん』と呼んでいた。
赤ん坊扱いしていたのではなく、赤色にちなんだ名前だったからだと思う。
ということは、やっぱりくれなゐ先輩がそのときの彼女だったのだろうか。
小学生の僕と小学生のくれなゐ先輩は、夢の中でセッションをしていた。
僕がドラムで先輩がギター。
ときには楽器を交換したり。
くれなゐ先輩はドラムもできるという話だったっけ。
他にも、二人はいろんなことをしていた。
一緒に街を歩いたり、僕が贈った地雷系の服でファッションショーをしたり、ノートPCを前に一緒に何かを作ったり。
何か重大なことを夢の中で見たような気もしたけれど、起きた頃にはもう、忘れてしまっていた。




