4曲目2
あっ、目が合っちゃった。
まさか無視して帰るわけにもいかないし、アオ先輩をずぶ濡れにさせるわけにもいかない。
春とはいっても、夕方以降はまだまだ冷える。
僕は傘を差し、アオ先輩に駆け寄る。
「あ、あのぅ。傘、入りますか?」
「いいのかい!?」
いそいそと入ってくるアオ先輩。
「いやー、助かったよモヤシちゃん」
先輩は背が高く、僕と目線がほぼ同じだ。
一七〇センチあるかないかといったところ。
だから必然的に、同じ傘に入れば至近距離で見つめ合う形となる。
いわゆる『ガチ恋距離』だ。
「ば、バスですか!?」
意識してはいけない意識してはいけない意識してはいけない。
「んー、そうだね。二百十円はちょっともったいないけど、背に腹は変えられない」
「背に腹は……ふふふ」
先輩は時々、古風な言い回しをする。
ミステリアスなキャラ造りの一環なのかもしれないけど、それが妙に面白くて可愛らしい。
「む。何を笑っているのかな、少年? って、あああ、うへぇ」
謎の鳴き声を上げた先輩の、見ている方を見てみれば、バス停に長蛇の列ができていた。
♪ ♪ ♪
「……なんとか乗れましたね」
「うん。だけどこれは……ぐぇっ」
後から後から入ってくる乗客に押しやられ、僕らは壁際に至る。
壁に押し付ける形になったアオ先輩を押し潰さないよう、僕は必死に両腕を突っ張る。
ううっ、『ドラムは遠心力で叩くんです(ドヤァ)』とかドヤ顔で語らず、腕立て伏せくらいはしておくべきだった。
「わ、モヤシちゃん、肩がびしょびしょじゃないか!」
「や、まぁ、はい」
先輩が濡れないように、狭い折り畳み傘を先輩の方に傾けていたのがバレてしまった。
先輩に気を遣わせたくなかったから、バレずに済ませたかったんだけど。
「なんだい、いっぱしに紳士気取りかい?」
先輩がハンカチを取り出し、僕の肩を拭く。
その動作に、無防備なキャミの合間から見える胸の谷間に、僕はどうにかなりそうになる。
「そういうのは、好き合った相手にやりたまえ」
たまえ、とか言われましても。
僕はアオ先輩と、そういう関係になりたい。
……あっっっっっ、いや、嘘だ。
今の無し。
今の無ーし!
僕はバンド『キング・ホワイト・ストーンズ』のドラム担当。それ以上でもそれ以下でもない!
心・頭・滅・却!
頭の中では、相変わらず四月四日に聴いたアオ先輩の『青と緑のハザマで』が流れている。
あの日から、ほとんど毎日毎時毎分毎秒、僕はあの歌を聴いている。
その歌声に耳を傾けることで、僕はアオ先輩の胸の谷間を意識の外へ追いやる。
やがてバスが、アオ先輩のアパートの最寄り駅に着いた。
僕のアパートはもう一駅先だ。
「傘、使ってください」
ざーーーー!
ばしゃしゃぁあああ~~~~~~~!
「いやいや、使ってくださいってモヤシちゃん、この雨」
ばしゃしゃぁあああ~~~~!
躊躇しているうちにバスが出発しそうになったので、結局、二人して下車した。
「……あれ? どうしてこうなった」
「うーん。まぁ、とりあえずボクのウチにおいで。早く服を乾かした方が良い」
引きずり込まれるようにして、僕はアオ先輩の部屋に上がった。
こういうとき、先輩はびっくりするほどの腕力を発揮する。
きっと、バンマスとしての責任感パワーなんだろう。
すぽーんっとワイシャツとTシャツを脱がされて、乾燥機付き洗濯機へ。
「ほら、風邪引かないうちに、さっさとシャワー浴びちゃって」
「せ、先輩が先に入ってください」
「ボクは大丈夫。優しい騎士様が雨から守ってくれたからね」
ニヤリと笑うアオ先輩。
最近たまに見せてくれるようになった、ちゃんと笑っているバージョンの笑顔だ。
「あ、こういう言動は、モヤシちゃんの未来の彼女さんに失礼かな。ん、もやしちゃんフリーだったよね?」
「アッハイフリーデス」
顔が熱い。
きっと、火でも吹きそうなほど赤くなっているだろう。
先輩にバレないうちに、僕はさっさとシャワールームに入る。
熱々のシャワーを頭から被っていると、
――バタン ガチャガチャドタバタッ
物音。
どうやら先輩が洗面所に入ってきたらしい。
シャワーを切ると、
「き、着替え! 置いておくからね!」
ドアの向こうから先輩の声。
「ありがとうございます」
返事をしつつシャワーバルブを捻ろうとしたが、ドア一枚隔てた向こうに先輩がいるという事実が気になって、なんとなく固まってしまう。
――ゴソゴソ ゴソゴソ
「……アノォ、アオ先輩?」
「ひゃぁああ!」
――ドタバタッ バタン!
な、何だったんだろう……?
♪ ♪ ♪
アオは、ドラム式洗濯機兼乾燥機の中に顔を突っ込んでいた。
(くんかくんかすーはーすーはー、やっちゃんの匂いやっちゃんの匂いやっちゃんの匂い~~~~! やっちゃんの半裸眩しかったよぅ。腹筋割れてた! 触りたい、キスしたい、なんちゃって! あーなんちゃって! ずっとここで匂い嗅いでいたい。ここに住みたい。やっちゃんの匂いに包まれながら、やっちゃんの汗を洗い流すシャワーの音を子守唄に眠りたい!)
一分ほどもそうやって身悶えしていたアオだったが、
「……アノォ、アオ先輩?」
訝しんだ様子のモヤシの声に、
「ひゃぁああ!」
さすがにまずいと感じて逃げ出した。




