(1)ー⑤
ルモの身をアルマに預けるとガベルはそのままギルド会館を出ず、二階に上がって廊下の窓辺から外を一回り眺める。
露天商の庇や屋根の下、曲がり角といった死角に注意を向け、違和感が無いか暫く観察する。こういう時は無闇に視界を広げようとせず一点を凝視し、僅かでもいいから見落としそうになる何かに気付くべきだ。昔、ガベルを鍛えた初老のスカウトはそう繰り返し彼に叩き込んだ。
(……いいか、若造。おめぇは素人以下のゴミカスだ。だから一端気取りなんて百年早ぇ、目を皿みてぇにして死ぬ気で拝め。判ったか?)
そう言って彼は若い頃のガベルに森に潜む動物を探させたが、何も見つからなかったらその日は飯抜きだった。そして、餓えたガベルの目の前で自分だけウサギやウズラを焼いてはムシャムシャと食ってしまう。だが、やがて餓えて鋭敏になり目論見通りケモノを指差すようになると、つまらなそうな顔で弓を構えて仕留めた。
(……やれやれ、諦めが悪いと言うか)
やがて、ガベルは通り一つ離れた角からギルド会館の入り口を凝視する男を見つける。やはり、あの夜の騒ぎで見た顔である。だが、問題はそいつをどうするべきかだ。
(……適当に叩いて諦めるような輩じゃないだろうが、まさか殺す訳にもいかないな)
法の届かぬ荒野ならいざ知らず、人の行き交う街中である。大立ち回りの末に刃物沙汰にでもなれば、こちらに非が無かろうとお尋ね者に成りかねない。少し考えてからガベルは一階に降りると、カウンターの向こう側で護身用のフライパンを握り締めていたアルマに声を掛けた。
街の中でも森林地帯でも、根本的にやるべき事は同じである。足元に気を配り音を立てぬよう慎重に進み、相手の意表を突く。
ギルド会館の入り口を凝視していた男の背後にガベルは人混みに紛れて近付き、相手の顔に麻袋を被せると後頭部に掌底を叩き付ける。鮮やかな手付きで一連の動作を終えると昏倒した男をさっさと担ぎ、誰にも知られぬまま会館の中へと連れ込んでしまった。
「あっ、あの……これってラチカンキンって奴なんじゃ……」
「いいか、アルマ。こいつは何も見てないし、俺達も誰だか知らん」
「まぁ、そうですけど……」
「だから、これから起きる事は誰も覚えてない。つまり、そういう事だ」
気絶した男を会館の床に転がしながらガベルにそう言われても、アルマは浮かない顔である。だが、ガベルが背中の真ん中を軽く突いて男の意識を戻すと彼女は口を閉ざして黙る。
「……な、何だよこれは! くそっ、離しやがれ!!」
手足を縛られたまま、顔を隠された男は喚き始める。だが、ガベルは敢えて何も言い返さず沈黙を貫く。
「ふざけんなよっ、たかが娼婦風情を追っかけただけじゃねぇか! こんな事してタダで済むと思うなっ!!」
暫く男は威勢良く騒ぎ続けるが、拘束されて視界を塞がれた状態に変わりは無い。やがて声の大きさも次第に小さくなり、縄を外そうと暴れる力も出し尽くすと状況を理解したのだろう。自分がしっかりと相手に命綱を握られている事を。
「……なぁ、こいつを外してくれよ。悪気は無かったんだ、ただあいつの事が気になって……」
少しづつ命令口調から懇願に変わり、やがて命乞いじみた情けない声になる。
「なぁ! 頼むよ……誰だか知らんが、あんたにゃ敵わないよ俺なんて……だから、外してくれ! 頼む、助けてくれ!!」
ここまで放置していたガベルだが、無言のまま立ち上がると席を外していたルモを連れて戻る。そして、縛り上げ麻袋を被らせたままの男に対面させると彼女に喋らせる。
「……あのねぇ、確かに私は商売で身を売ってるよ。でもね、だからって何しても構わない人以下の生き物じゃないから。判る?」
「ああ、ああ!! 悪かった! だから、離してくれっ!!」
相手が詫びると、ガベルは打ち合せておいた台詞をルモに語らせる。
「……離してあげるけど、その代わりに私の周りに二度と近付かないで。あんたは気付いてなかったけど、私の番犬は次にあんたを見たら喉笛を切り裂いてやるって言ってる」
「誓うっ! 誓ってあんたには金輪際近付かねぇ!!」
見ているだけのアルマですら判る程、怯え切った声で男がそう叫ぶと、ガベルは頷いて男を更に大きな麻袋に押し込んで裏口から外に運び出す。麻袋越しに多少騒ぐ声は聞こえるが、端から見れば大きな荷物を運んでいるようにしか見えない。そして、会館から離れた路地裏で袋越しにナイフで縄を浅く切って緩めると、ガベルはその場から離れた。
「……くそっ、くそっ……何なんだよ、何なんだよ一体……」
暫く後、男は何とか麻袋から抜け出して悪態を吐いていた。だが、自分を拉致した相手の顔も姿も判らない事実を思い出したのか、ブルッと一瞬身を震わせて辺りを見回すと全速力でその場から走り去って行った。
(……あれから五年か、あっという間だな)
五年前の出来事を思い出しながら、ガベルは当時と変わらぬ容姿のルモを想う。だが、三十路を越えた彼女の顔には確かに皺が刻まれ、時の流れは彼にも平等に訪れている。胸の奥は長く走り続ければズキリと痛み、呼吸を深くしても息が上がる。肺を病んだ者は深刻化すればやがて血を吐いて倒れ、そのまま息を詰まらせて青ざめながら死ぬだろう。
(……炭鉱の街で暮らしながら、俺は何をしてるんだ)
世の仕組みが少しづつ変わる中、ガベルは自分だけ取り残されていくような淋しさを感じる。肺を病み、力だけに頼れぬ不甲斐無さは彼の心を押し潰して沈ませていく。だが、そんな中で薄明かりを上げながらチリチリと輝くのは、ルモの口許を吊り上げながら皮肉げに笑う顔だった。
(……んあっ!? 何だそりゃっ!!)
よりによってそんな顔を思い出してしまい、ガベルは目尻に涙を浮かべながら小さく笑ってしまった。




