(1)ー④
ガベルは久方振りに鏡で自分の顔を見た記憶を思い返し、ほんの少しだけ人間だった母親に感謝する。もし、彼が純粋なゴブリンだったらルモに対する感情を徹底的に押し殺し、暗澹と日々を過ごした筈だ。
彼は人間とゴブリンの合いの子だった。そのお陰で一見すると肌の色を含め普通の人間にしか見えないが、唇を捲れば鋭く伸びた犬歯がゴブリンの血筋を如実に現す。無論、やや尖った耳先も亜人種の特徴だが、それより鋭い牙の方が凶暴な印象を植え付けるだろう。
店に向かうルモを見送り、自分の部屋に戻ったガベルは服を脱いで下着だけになり、そのままベットに倒れ込む。丸一日、素人の四人組を相手に気を配りながら立ち回った為、疲れ切っていた。
只の荒事の方が、余計な気遣いが要る観光客の相手より遥かに楽だった。剣と盾はギルド会館に預けてあったが、有っても無くてもガベルには関係無い。屈強な亜人種特有の恵まれた体躯と人間が培ってきた靭やかな技巧が有れば、彼より遥かに逞しいホブゴブリンにも劣らない自信は有る。無論、そんな厄介事は御免だったが。
横たわったまま、ついさっき別れたばかりのルモの事を思い返す。初めて出会った時は幼い娘が酔っ払いに絡まれていると思い、気付けば片手で相手の喉を吊り上げて放り投げていた。
「……何よ、そんなに見る程美人じゃないでしょ」
どう見ても盛り場には不釣り合いな年頃に見えるルモが拗ねたようにそう言うと、ガベルは漸く彼女が【箱入り】で働く者特有の化粧をしていた事に気付き慌てて視線を外す。
「箱入りがそんなに珍しい?」
見物騒ぎも収まり、酔っ払いの連れがガベルの正体を顔役連中に教えられ、慌てて片割れを担ぎ去る様子を眺めながら、ルモはガベルに尋ねる。彼女にしてみれば酔っ払いに絡まれる事は珍しくなかったが、大抵は上手く店に誘導して夜の稼ぎに繋げてきた。だが、今日の相手は少し面倒な手合いだった。箱入りと知りながら連れ込み宿に行こうとしつこく誘い、断る彼女の手を離さなかった。
「……珍しくないが、若いのに苦労するな」
「あら、そう見えた? 若いねぇ……だったら幾つに見える?」
「女の歳は判らん」
「ダメねぇ、そういう時は適当に若く見積もれば相手も喜ぶでしょ」
てんでなってない、と言いたげな口調でそう諭すルモだったが、自分の店【常緑の庭】の名を告げながら手を振って立ち去る彼女を見送って暫く経ち、漸くガベルは自分が何をしたのか理解した。
(……世の中には、世の中なりの道理ってものが有る。ルモが自分の見た目を売りにして稼いでるなら、俺がした事は商売の邪魔だったかもしれん)
自分より遥かに年若い(その時はそう思った)相手を前に、ガベルは情けなくなる。若さとは縁遠い歳になり、以前程の無茶も出来ない。本気で稼ぐつもりなら真っ当な仕事を探すべきだったが、慣れ親しんだ仕事を変えるのはぬるま湯から上がる程の決心が要る。そう悶々とする日々を過ごしていた彼に、その出来事は小さな棘が刺さった程度で終わる筈だった。
「……あら、この前のお兄さんじゃない?」
それから数日後、時折訪れる観光客相手の先導役を終えたガベルは聞き覚えの有る声に振り向く。
「その節はお世話様ね、お陰で暫くお客が増えたわ」
そう言って微笑む姿に記憶を辿るガベルだったが、簡素で華やかさと無縁な装いに身を包んだ女の知り合いは居なかった。宿主のマザレ以外に顔見知りの乏しいガベルが暫く考え込むと、呆れたように相手が助け舟を出す。
「ねぇ、【常緑の庭】亭って覚えてるでしょ」
「……ああ、確かにそう聞いた」
「そう聞いた、じゃないわよ。折角お近付きになれたのに全然来てくれないから、すっかり待ちぼうけたし」
あの夜の事か。そう思い返したガベルがまじまじと彼女の今の姿と当時の姿を比較し、その違いに思わず頭を掻く。
「……悪かった。普段から娼館に通わんので」
「そりゃそうよね、知ってたら少しは様子見で終わってたろうし」
そう弁解するガベルだったが、彼女は本気で混ぜ返すつもりはなかった。ただ単なる善意からそうした相手につっかかっても仕方ないし、相手は夜の仕事を詳しく知らないだけなのだ。
「……何か困り事は無いか」
「あら? 随分と世話焼きさんね」
何か対価が払えないか、ただそれだけのつもりでそう尋ねるガベルに相手は頬を緩める。只の御人好しなんかじゃない、とびっきりの御人好しなんだと。
「だったら、一つ相談事があるわ。つきまとわれて困ってたから引っ越したいんだけど、手間賃は払うから手伝ってくれない?」
「何だ、そんな事か」
「そんな事か、じゃないわよ。頭のおかしい奴がうちの近くで嗅ぎ回って気持ち悪いんだから」
「どうする、そいつをシメるか」
「……シメちゃ駄目でしょ、もし権力者のどら息子だったら後々面倒じゃない!」
ついそう切り出してしまった彼女は、生真面目に頷くガベルの様子がおかしくなってくる。だからシメようと提案されても本気で殺すつもりなのか、と疑う事は無かった。
自分の事はルモと呼んで、と彼女は告げる。ガベルが自分の名を伝えると、首を傾げながらあっさり彼の由来を看破した。
「……ガベル、ね。お父さんはゴブリンか何か?」
「ルモは、魔導士か何かなのか?」
「冗談でしょ、私がそう見える? 確かガベルってゴブリンに古く伝わる王様の名前の筈よ」
「……ルモは魔導士か何かなんだろ、本当は」
「……本気で言ってる?」
随分と詳しいなと訝しむガベルだったが、ルモはたまたま知ってただけよと軽く受け流す。そんなやり取りをしながらガベルは彼女の下宿先から荷物を運び出し、暫く時間を置いた方が良いとギルド会館の仮宿泊所を紹介した。
「……だいたい判りました、それにしても……」
当時はまだ新人だった受け付け嬢のアルマがそう言うのも仕方ない。屈強で大柄なガベルの横に並ぶルモの背丈は胸元にも届かず、二人が並ぶと親子程に違う。そんな見た目のガベルとルモだったが、片やギルドでも相当な古株、片やそんな彼に引っ越しを手伝わせる依頼人の間柄なのだ。
「何よ、私が依頼人だってのがそんなにおかしい?」
「いえっ! 決してそんな訳じゃ!!」
「まあ、そりゃそうね……でも、何でも正直に言わない方が世の中じゃ楽に過ごせるわよ」
ルモにそう諭されてアルマはしゅんとする。だが、互いに悪気あっての物言いで無い事は明白な上、ガベルも不穏な気配は感じ取っていない。だからさっさと問題の種は片付けておきたかった。
「それじゃ、暫く彼女を預かっててくれ」
「……は、はい! 承知しました!!」
ガベルがそう頼むとアルマは飛び上がりそうな勢いでそう答え、ガベルとルモはその必死さに目線を合わせて笑いを堪えるしかなかった。




