(1)ー③
下宿屋に戻ったガベルは食堂で背後から声をかけられ、振り向くと背の低い小柄な女が立っていた。
「ルモに言われなくても判ってる、ただ眺めたくなっただけだ」
「どうせ眺めるなら、私みたいな美人にしときなさいよ」
ガベルがルモと呼んだ女にそう答えると、髪を掻き上げながら彼の手の上に載ったパンに視線を向け、
「それだけじゃ足りないでしょ? うちに来ときなね」
やれやれと言いたげな素振りで彼を招き、階段を上がって自分の部屋へと入っていった。
ルモの部屋はガベルの部屋から三つ先で、この下宿屋唯一の頑丈な鍵が付いている。外からは割りと複雑な鍵を使って中に入るし、内側には頑丈な閂が付けられているが全てルモが大枚叩いて買った代物だ。
「……それにしてもさ、あのババァったら酷いもんよね。私はともかく、あんたにまで馬のエサみたいなパンを寄越すんだから」
ガベルが中に入ると彼女はそう愚痴りながら部屋の隅に置かれたタンスの蓋を上げる。するとそこには煙がほぼ出ない上白油を使う珍しいコンロストーブが据えられている。本当なら下宿屋での煮炊きは火事に繋がるから御法度なのだが、ルモは二階の角部屋だから好き勝手にやっているのだろう。
「……ねぇ、今日はどんな連中だったの」
ルモはそう言いながら細い筒の中に石炭の粉を摘み入れ、押し棒を挿し込むと勢い良く柱に叩きつける。そしてポンッ、という小気味良い音を立てた筒の反対側を捻って抜くと、煙と共に小さな火種がコンロの受け皿にポロリと落ちて青い炎が立つ。
「若い四人組だった」
「そりゃあ、ここの廃坑に来るんだから若いでしょうよ……年寄りが魔石目当てに来る筈無いし」
ガベルの言葉に苦笑いしつつ、ルモは手際良く固くなったパンをナイフで割って焼き網に載せてコンロで炙り始める。すぐに香ばしい焦げ目がつくとさっとひっくり返し、タンスの中から腸詰めと干しチーズを取り出す。
「支払いは悪くなかった」
「まぁ、こんな御時世だし金持ちの倅が混じっててもおかしくないわね」
そう論じながらルモはパンの間にナイフで削いで腸詰めと干しチーズを挟み、再び焼き網の上に載せる。淡々と応じるガベルとは裏腹に、ルモは楽しげに手先を動かしながら粗末なパンを上等な逸品へと変えていく。
「お陰で宿代も払えた」
「……あのねぇ、何であんたはいつもそんな調子なの? もう少し会話を楽しむとか、相手の話を盛り上げるとかしなさいよ!」
ぶっきらぼうなガベルにルモは眉を吊り上げるが、その口調とは裏腹に彼女の言葉に棘は無い。そして只の固いパン改めルモ特製の熱々チーズ挟み腸詰めパンをあちちと指先で扱いながら油紙で包み込み、
「まぁ、その方がいつものあんたらしいか」
そう告げながら二つあったパンの片方をガベルに手渡し、自分の分の油紙を剥いでパリッと音を立てながら頬張った。それはサクッと歯触り良く焼かれ、脂が滲む焼き具合の腸詰めと柔らかくなったチーズが程良く絡み合い、塩味と香ばしさが舌の上で踊りながらやがて消えていった。
「旨いが、やはり火は良くない」
「……うるさいわね、上白油なんて蓋するだけで直ぐ消せるから良いのよ」
ガベルが正論を言うとルモは一口齧ってからそう反論し、鼻っ面をしかめてべーッと舌を出す。実年齢に似合わぬ童顔のルモがそうすると、三十路過ぎにはとても見えない。もっとも、ガベルも四十路なのだから他人事では無い。
ガベルとルモの関係は近所付き合い留まりで、それ以上では無かった。無論、互いに隣人との付き合いは二人だけの間にしかない。この下宿屋でまともに宿賃を律儀に支払っているのはガベルとルモだけで、他の住人はだいたい滞り気味である。なら金にがめついマザレの事である、さっさと追い出す筈なのだが、そうしない理由は連中が彼女の貸付け先だからだ。自分の手元に置いておけば逃げられないし、取り立てするにしても楽なのだ。
ルモは娼婦だった。
彼女はガベルと違い、昼過ぎまで寝て夕方から店に出る。娼館付きの娼婦は【箱入り】と呼ばれ、街娼と区別されている。街娼は通りの顔役が差配し売り上げの一部を受け取る間柄だが、【箱入り】にそうした顔役との付き合いは無い。無論、娼館は楼主が土地の権力者に上納金を納めている訳だから上下関係の違いは有れど、実質的に変わりは無い。
「じゃあ、出掛けるわ」
互いのパンがすっかり無くなった頃、うんと伸びをしてからルモがそう告げる。ガベルは彼女の職業を知っていたが、悪い商売だと言って差別はしなかった。彼が五年前、たまたま路上で酔客に絡まれていた彼女を助けた縁で同じ下宿屋に住む事になったが、それ以上の発展は無かった。ガベルは自分が他人を養うだけの稼ぎが無い事を承知していたし、ルモも他人に頼るような弱さは見せなかった。
「鍵を忘れるなよ」
「はいはい、それじゃ行ってきます」
互いに彼女の部屋を出る際、ガベルとルモはそう言い交わす。ふとガベルは彼女の部屋で唯一女らしさを感じさせる鏡に映る自分の横顔に視線を向け、続けてルモの顔を見る。
「……なに?」
「……いや、何でもない。気をつけて」
「そうね、ありがと」
ガベルは喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、そのままルモを見送った。




