2ー(9)
「……それで尻尾巻いて逃げてきたのか」
「そーよぉ! あと一歩でマジで殺されるとこだったんだしぃ!!」
ガベルが斬った女は彼から逃れ、炭鉱街の上流階級が住む地域を目指す。そこには彼女の薬品の仕入れ先兼隠れ家が点在し、その一つに辿り着くと居合わせた男に喚き散らしていた。
「だから、さっさと逃げなきゃあんたまで殺されちまうからねぇ!」
「……私は逃げる必要は無い、それにここの他に逃げる場所も無い」
首を跳ねられた女はそこで着替え、様々な逃亡用の装備を身に着けて準備に余念が無いが、話相手のもう一人はそう言ってソファから離れる気配は無い。
「ここを前任者から引き継ぎ、裏で稼いで資金を作ると同時に投資し続け……やっと、この地位まで辿り着いた。根無し草のお前とは違って、俺は協会から睨まれさえしなければ何とかなる」
「あー、そうですかぁ! だったら……私一人でも逃げるからねぇ? ……ねぇ、だったら最後にさぁ……」
と、血相変えて逃げる気配が濃厚だった女は手の平を返し、男の膝の上に乗る。
「……こんな状況で、か……?」
「こんな状況で、だからでしょ……?」
「……破廉恥極まりない、屑」
だが、二人が絡み合いかけたその直後、低く冷え切った声が忍び寄る。
「あの男に斬らせれば、必ず飼い主の元に連れていってくれる。私の勘、鋭い」
そう言いながら上流階級ならではの分厚いカーテンの間を縫うようにアベラが姿を現すと、ソファの上の男女は全く違う反応を見せる。
「……お前が出向いて来るって事は……魔導士協会が、遂に俺の尻尾を掴んだのか」
男は諦めに似た表情と共にそう言うと、ソファの上に座ったまま天井を仰ぎ見る。だが、ガベルに首を跳ねられた女の方は違った。
「ふん、ご立派でお利口のアベラ様の登場か! 養成所じゃ生意気でムカつく年下だったけど、お陰で助かったわぁ ……あんた、殺しは出来ない性質だったしねぇ!!」
そう言って男から離れると窓辺に駆け寄って開け放し、振り返りもせずそのまま外に向かって身を躍らせた。
「……何故、後を追わない」
「もうそんな歳じゃない、それにもう逃げ回るには……体力も無い」
アベラが男に尋ねると、相手は疲れた表情で俯いたままそう答える。
「……昔の付き合いもある。望むなら、本部に引き渡す前に処遇の考慮も頼める」
「昔の付き合い、か……他の女と抱き合っていた直後にそう言われると、返す言葉も無い」
男の呟きに似た声に、アベラは唇を噛み締める。ガベルと共に行動していた時には全く見せていない素の表情のまま、彼女は暫く黙っている。だが、何かを振り切るように顔を上げると声を絞り出す。
「……最後に、言い残す事は」
「逃げて……済まなかった」
「……詫びるなら、最初からしないで」
アベラはそう言い残すと豪奢な調度品が並ぶ部屋から出て行き、入れ替わりにガベルがやって来る。
「事情は知らんが、覚悟してくれ。さっきは段取りの説明を省かれたからな……全く困ったもんだよ」
ガベルはそう告げながら曲刀を抜くと、逆刃下段の構えを取る。それを見た男は目を細め、優しい奴だなと静かに微笑む。
「……そんな気遣いをしてもらえるなんて、有り難い」
「性分なんでね、刃が欠けるのは嫌いなんだ」
男はガベルが一刀で葬ろうとする意思を慈悲の一閃と捉えるが、ガベルは一歩踏み込んでそう訂正しつつ振り上げ、顎の真下で頭蓋と頸骨の間に刃先を滑り込ませる。そして跳ね上げ際で手首を返し男の頭を宙に漂わせると、ついと切っ先で押して首元へと落とした。
「逃げた方は、追わなくていいのか」
「……あれは、暫く泳がせる。ああ見えて、案外扱い易い」
ガベルが屋敷の外に出ると、待っていたアベラは彼の問いに答えながら残りの報酬を差し出す。
「……随分多くないか」
「迷惑料、口止め料込み。嫌なら、返して」
「そういう事にしておこう。但し、念押しされなくても俺の口は固い」
互いにそう言いながらガベルは手元の袋を検め、ずっしりと重いそれを背負い箱に仕舞う。
「……次に何かあったら、早めに知らせる」
「ああ、そうしてくれ。うちはいつでも求職中みたいなものだからな」
彼女はそう答えるガベルから離れ、口元に布を巻く。それが炭鉱街特有の臭い除けの為だと判ったが、その事に触れるのは避けた。
余り口数の多い男ではない、そうガベルの事を理解していたルモだったが、近頃の彼に仕事の内容を尋ねても明確な答えは返ってこなかった。
二人は週に二回程、一緒に出掛けていた。無論、ルモは少年に見えるよう変装していたが。
「……で、最近はどう?」
相変わらず客商売に無関心な食堂で向かい合いながら昼食中のルモが、ガベルに聞く。
「そうだな……この前、【大地の慈母】教会を調べて来いって頼まれた」
「あー、例の魔力枯れ騒動の時ね」
皮肉な話だが、魔導に疎い人々の間にも知れ渡り様々な憶測が飛び交っていた。今まで開放的だった教会が突如排他的になったり、定期的に魔導具の点検に来ていた魔導士協会の巡回員がぷつりと来なくなったりと一般の生活にも徐々に影響が見え始めていたからだ。
「……はっきりとは言えないが、今まで湯水のように奇跡の技を駆使してきた団体が手の平を返したからな」
「あんまり大声じゃ言えないけど……うちのお店も冷却箱が止まったって騒ぎになったもの」
冷却箱とは、魔石を使い生鮮品を冷やす役割りを担い高額だが商売で利用する店も多い。魔石を購入し魔力を循環させれば誰でも使えるが、構造が複雑で巡回員が定期的に魔石を供給しなければ動かず裏では独占的だと非難されている。
「教会は巡礼者の前で秘術を使わない、金持ちしか相手にしないのかってみんな文句言ってるし……」
「まあ、俺が行った時も大して変わらなかった。お陰で色々と知れた」
「どんな事?」
「……そうだな、噂の筆頭騎士とやらに会えた」
「本当!? カッコ良かった?」
珍しく饒舌なガベルの話にルモが食いつき、彼は苦笑いする。彼女には嘘や隠し事はしたくない、だが仕事上の守秘義務は守りたい。そして……自分が人殺しを厭わない穢れ者だとは、思われたくなかった。




