(2)ー④
女の居なくなった部屋に一人残されたガベルは、今聞いたばかりの話を反芻する。
【大地の慈母】教会は、確かに様々な神秘の技を信徒や外部の者に与え布教の糧としてきた。特に怪我や病気といった治癒の分野では多くの民を救い、それが故にガベルのような仕事に従事する者は世話になる事も暫しあった。だが、もし……その奇跡の技が消えて無くなったら。
「……教会は、信徒を従えられるのか?」
ガベルはそう口にして、しかしと反論する。大半の信徒は怪我や病気の治療より、そうした直接的な体験ではなく伝え聞いた様々な奇跡を安心材料にして、日々の暮らしの拠り所にしているのだろう。だから不意に奇跡の技が失われたとしても、信徒の大半はその信心まで失いはしない。しかし、それもいつまで保つのか。
「……飯にするか」
だが、今はそれより自分の事である。そう思い直し、ガベルは宿屋の女将に声を掛けて夜の街に繰り出した。
「あのな、別にわざわざ相席する事なかろう」
宿を出て女将に聞いた店に着き席に座ったガベルの目の前に、当然だと言いたげな顔で例の女が腰を降ろす。流石に苦い顔のガベルと対象的に涼しい表情で、
「あら、そうかしら? 偶然よ」
と全く動じない。それにしても賑やかな店内なのに、良く見れば気品のある顔立ちはガベルと絡むような職種とは思えない。そして彼を気にする様子も無く、二人分の発泡酒を勝手に頼み並べる辺りは彼女なりの気配りなのか。
「では、仕事の成功を願い」
「やれやれ……だが、そうだな」
「「乾杯」」
多少のぎこちなさを伴いながら、二人は杯を打ち合わせた。
「……そう、自己紹介がまだだった」
今まで謎の女だった相手がそう言いながら杯を置き、改まった素振りで手を胸の上に置く。
「……と言っても、詳しい所属は言えない。そこは察して欲しい」
「ずるいもんだな、まぁ気にしないが」
本来なら勝手に部屋の中に入るような不審者だが、殊勝にそう言われるとガベルも追及する気は失せる。何にせよ見た目だけは十分魅力的といえる容姿なのは間違いないし、やや堅苦しい口調だが丁寧でやや低い声色は聞いていて心地良かった。
「……でもそのままじゃ呼び難いでしょうから、アベラって呼んで欲しい」
「アベラね、なかなか良い名前だ」
「今思い付いただけ」
身も蓋もない言動でアベラはそう言い足すが、そのタイミングで彼女が注文した揚げエビの餡掛けがテーブルに運ばれてくる。それを甲斐甲斐しく彼の前の皿に取り分け、続けて自分の皿へと盛り付ける。
「……それじゃ頂きましょう」
「ああ、ありがとう」
初めて相席する相手ながら、アベラはガベルに臆する様子も見られない。いや、ふてぶてしいとすら言える。だがそれが却って小気味良く、互いに必要以上の気遣いをせず食事を楽しむ事に彼は思う。
揚げエビの餡掛けは殻ごと揚げて餡をかけたシンプルな品だったが、香ばしくそして餡に刻んだタマネギを入れたそれは実に滋味深かった。辛味と甘味、そして酸味の割合が適度で素晴らしくガベルは滅多にしない賛辞を口にする。
「いや、こいつは……炭鉱街でもなかなかお目にかかれんぞ」
「あそこは労働者の町だから、ここより塩味が強い。客が慣れた味を変えるのは勇気が要る」
アベラはそう説明しながら自分も匙を動かして口に含み、一度頷いてから酒を飲む。
「……次のはもう少し辛い。平気か?」
「この位なら問題無い、日頃から辛い物には……っ!?」
ガベルがそう強調した直後、丸くて真っ赤な唐辛子だらけの鶏炒めが卓の上に載せられて彼は絶句する。その様子を見たアベラは、
「ガベル、唐辛子は残して食べないのが正解」
自分の皿に唐辛子を退けながら鶏と野菜を載せ、ほらねと言わんばかりに微笑んだ。
「そっちは宿を取ってるのか」
会計を済ませてガベルは、先に店外に出たアベラに尋ねる。
「宿ではなくて、身を潜める拠点が各所にある。それに一人じゃない」
「……そりゃ大掛かりだな」
「そう、大掛かり」
アベラの言葉にガベルが少し驚くと、彼女は楽しげに同じ言い方で繰り返す。そして、明日はまた同じ門前で待ち合わせしましょうと彼に告げて雑踏の中に消えていった。
アベラと判れたガベルは待ち合わせの時間を聞き忘れた事に気付き、結局それなりに早めの時間なら問題無いかと門前に向かった。だが、門前に着いた彼の背後からアベラは何事も無かったように現れ、
「生真面目な性格ですね」
とガベルに話し掛けて来る。そのまま同じ場所で待っていても門番に顔を覚えられてしまうので、二人は道端まで移動する。
「お互い様だろ、アベラも朝早くからご苦労さま」
「ご心配には及ばない、あなたは目立つから」
「そうか? それは困ったな」
そんなやり取りをしていると、結構早い時間なのに門前の周り目指して巡礼の信徒達が集まってくる。
「……で、今日の予定は」
今朝も昨日のように懇願する巡礼者と立ち塞がる門番のやり取りを眺めながらガベルが問うと、アベラは表情一つ変えずに平然と答える。
「真正面から入れないなら、裏から入りましょう。蛇の道は蛇です」




