後日談
書くほどでもない幸福を、毎日積み上げて
世界は急には変わらない。
自炊することを決心したからといって、料理が上手くなるわけでもない。
幸せになろうと誓ったからといって、幸福を感じるわけではない。
何事も日々の積み重ねだ。
一歩ずつ、一歩ずつ日々を過ごしていく。
もちろん、前進だけの日々ではない。
後退する日もあったが、それでもあの日より前には進めてはいるだろう。
逃避を決め、復讐を願い、幸せを誓い、居場所を定めた。
大きく変わったのは、気持ちだけだ。
だから、毎日が少しずつ変わったのだろう。
「──さん! 芥お兄さん!」
「......ぁあ?」
「芥お兄さん、起きてって! 今日、早いんでしょ!?」
寝袋にくるまった自分の肩に温かいものが触れる。
その瞬間に激しく体が揺れた。
脳みそをシェイクされるような強い揺れは、起きたばかりの頭には刺激が強すぎる。
「起きた! 起きたから、離してくれ!」
「芥お兄さん、この間もそう言って二度寝したでしょ?」
「酔うから、やめてくれ!」
「じゃあ、布団から出てよ。朝ごはん、できてるよ」
波打つ視界から回復すると、膝立ちでこちらの顔を見つめている春の姿があった。
髪は出会った時と同じように腰までの長さがあるが、しっかりと手入れのされた髪にはつやがあり天使の輪ができている。
白い肌は毎日散歩に付き合わせているからか、少し日焼けして健康的な薄茶色になっている。
大きな目で心配そうにこちらを見ており、困ったように眉が下がっている。
服装は見覚えのあるしわのついた制服ではなく、体格に合った制服をキッチリと着こなしている。
「......あれ、そんな制服買ったっけ?」
「......珍しく寝ぼけてるね、芥お兄さん。今日、何日か分かる?」
「え、いつだ? 今日から5月だっけ?」
「いつと勘違いしてるの? 今日、12月だよ?」
カレンダーを探そうと部屋を見回して、自分が信じられないほど寝ぼけていたことに気がついた。
天井には部屋を二分割するように突っ張り棒が設置され、カーテンがぶら下がっている。
今は端に束ねてあるが、いつもは八畳一間を半分に隠しプライバシーを確保してくれている。
部屋の中央に視界を向けると、朝食が2人分並んだ机がある。
なめこの味噌汁に、形のキレイな卵焼きが湯気を放ち、ご飯の横には納豆のパックが置いてある。
寝袋から起き上がり、一度大きく深呼吸する。
新鮮な酸素が脳に行き渡り、夢の世界から現実に覚醒する。
家族になると決めたあの日から、3年が経過している。
時が経つのは早いもので、春はもう高校3年生だ。
アパートから電車で通える範囲の高校に合格を果たし、そこそこ充実した学校生活を送っている。
春の両親からは何もアクションがなく、机の上にお金が置かれることもなくなった。
保険証とハンコ、それから一銭も入っていない春名義の銀行口座の通帳が置かれた日から、もうあの家には行っていない。
両親からは見捨てられたし、こちらからも見限ったという形だ。
「ご飯、冷えちゃうよ?」
「すまん、食べようか」
顔だけ先に洗って、一緒の机を囲む。
座布団は3年使い続けたせいか、クッションがへたって座り心地が悪くなっている。
間に合わせに買った安物だから、よくもった方だろう。
今度、春と一緒に新しいものを買いに行こう。
手を合わせ、いただきますの挨拶を唱える。
「私、今日は終業式だから、お昼に帰ってくるね」
「じゃあ俺の方が遅いわ。早くても、夕方になると思う」
「うん、わかった。夕飯も私が作るね」
「頼む」
最初は自分が担当していた料理も、今は持ち回りで作るようになった。
なんなら、春の方が料理は上手い。
自分の卵焼きは、まだ形が歪むのだ。
不器用なようで、味はともかく形が一向にキレイになる気配はない。
どうやったらこんなにキレイな形になるんだろうか。
春好みの甘い味付けの卵焼きを食べながら、自分との違いを考えるが答えはでなかった。
完食し、一息つく。
考えても分からないものを、考えても仕方がない。
しなければならないことに切り替えよう。
「洗い物はやっとくから」
「うん、お願い。私、ミィちゃんと約束あるから、もう出るね」
「おう」
「リンちゃんとめいさんに、よろしくね」
「凛子はいないぞ、今日」
「あ、そうなんだ」
春の友達であった美羽は春と同じ高校に進学したようで、単位を落とさない程度にサボっては本を読んでいる。
春にバレないようにこっそりうちにきては、本棚を物色して帰っていくようになった。
部屋に落ちている美羽の金髪を見つけると、春が無表情に問いただしてくるので来てほしくはないが、春の数少ない友人なので邪険に扱えずにいる。
もう一人の友達の凛子は、本人の熱望で藤川さんのアシスタントをしている。
中学卒業と同時に地元を出て、住み込みで絵を描いているようだ。
同性のアシスタントができたことを藤川さんは喜んでいたし、本人も希望の職場に就けたことに深く感謝をしていた。
……春と真逆で、段々と洒落っ気が消えていく姿に、女子としてそれでいいのかと疑問を抱くが、本人が気にしていないからそれでいいのだろう。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
朝の街に消えていく春の背中が完全に見えなくなるまで見送って、玄関のドアを閉める。
自分も、ぼやぼやしている場合ではない。
洗い物を済ませ、パソコンデスクの脇に置いてあったバッグの中身を確認する。
ファイルの中には、原稿用紙がクリップで止められて分厚い束になっている。
紙に書かれた文章は、赤い文字で何箇所も上書きされてぐちゃぐちゃになって汚く見える。
ファイルがしっかりとバッグに入っていることをもう一度確認してから、服をパジャマから着替える。
持っている中で、比較的フォーマルに見える服装を選ぶ。
バッグを持って、指定されたファミレスへと向かう。
吐いた息が白く染まって、冬の青く澄んだ空に消えていく。
空はいつまで経っても変わらないように、自分もまた変わらない。
自分は社会不適合者のままだ。
スーツを着て、集団に混じり、決められた時間に決められた業務をこなす。
到底そんな生活はできない。
できないと思ったから、ウェブライターとして生活してきたのだ。
その生活を変えることは、急にはできなかった。
だから、その生活のまま幸せになると決めた。
使えるものは全て使う。
風聞も体裁も気にしない。
それが、過去に自分が嫌悪したものだとしても。
簡単に言えば、自分は作家になった。
小説を書く抵抗は春が消してくれたから、その選択肢が自分にあった。
今までこなしたウェブライターとしての立場を、サークルの原作者としての名を、そして藤川さんを利用して、作家になった。
そこまで難しい話ではなかった。
なにせ、自分が書いた物をすぐに商業作家様がコミカライズしてくれるのだ。
原作が微妙でも、絵さえ突出して良ければある程度売れる。
それに、売り方はウェブライターとサークルの経験から学んでいた。
コミケでの販売や電子書籍の自費出版からスタートして、少ししてから中堅どころの出版社から声がかかった。
雑誌の短編を書かないかとのお誘いだった。
若く、サークルとしての活動歴があり、何よりビリジオンとして世に売れている、藤川さんの知り合いという話題性からのスカウトであった。
それでいい。
突出した才能がないのなら、コツコツともらえる小さい仕事をこなすだけだ。
短編を書き続け、たまに連載をもらっては打ち切りをくらい、賞レースの最終選考に名前が残るようになった。
そんな生活を3年間続けた結果、ようやく自分の書いた物が書籍化することになったのだ。
……まぁ、賞レースで勝ったわけではなく、ズルをしたのだが。
今に至るまでを振り返り、やがて目的地にたどり着いた。
ファミレスの扉を開ける。
チリンチリンとベルがなり、従業員が来ると同時に、奥の方から声がした。
「やっほー、芥川先生、待ってたよ!」
「......すいません、あの人と同席で」
冷ややかなウェイターの視線を感じながら、奥のテーブル席を目指して歩き出す。
明るい茶色の髪を後ろにまとめ、豊満な体を大きく揺らして笑う女性の元に行く。
ニシシと快活に笑う姿は、年を取っても変わらないようだ。
「恥ずかしいんでやめてもらっていいですか?」
「芥川先生が敬語をやめてくれたら、考えてもいいなぁー」
「年上には敬語で話すようにしてるんですよ」
「女子に向かって、年上って言う人はモテないよ」
「……女子って年齢じゃないだろ」
「あーあ、今回の話はなかったことにしようかなぁー。アタシ傷ついたなぁー」
「本当にすみませんでした見目麗しい藤川さん今日もお御髪がキレイで素晴らしいですね」
「感情がこもってない気がするけど、寛大なアタシは許してあげましょう!」
早口で美辞麗句を並べ立て、必死にご機嫌取りをする。
水を運んできたウェイターがまた、冷たい視線をこちらに向けたが気にしない。
ウェイターに侮蔑された所で痛くも痒くもないが、藤川さんに見捨てられたら企画が没になるのだ。
どちらを優先するかなど悩むまでもない。
「それより、ここ数年の芥川先生は活動的だねぇ。前は、アタシの名前使うの嫌いだったのに」
「まぁ、時間がないんで。あと2年の間に売れたいんですよ」
「ふーん、春ちゃん絡み?」
「そうですよ」
5年待ってくれと春に頼んで、あと2年。
最初の3年は、コネと立場をフル活用して足場を固めた。
これからの2年は、世界に知らしめる時間だ。
「連載が円満終了して暇してそうな藤川さんのために、仕事を取ってきたと思ってくれてもいいですよ」
「漫画と小説が同時出版って、あんまりないよねぇ。よく出版社がオッケーしてくれたねぇ」
「そこはまぁ、ビリジオンが売れてたからじゃないですか。藤川さんの信頼ですよ」
自分に連載をくれていた出版社に小説原稿を持ち込んで企画を持ちかけたのだ。
『大手少年誌で売れていた作家を連れてくるから、自分原作の小説も書籍化してくれ』
継続的なサークル活動の実績と、打ち切りにならず大手少年誌に完結まで書ききった作家は、中堅出版社には魅力的に見えたらしい。
小説原稿は徹底的な校正と厳正な審査の結果、書籍化が決定した。
手元にある赤字で訂正しまくった原稿用紙は、これから出版社に提出して最終チェックしてもらうものだ。
漫画の方は、サークルのやり方でやらせてくれるらしい。
自分と違いろくな審査もないのは、知名度の違いなのだろう。
慣れ親しんだ方法でやらせてくれるのだ、文句はない。
自分がストーリーを考えて、藤川さんが漫画を描く。
いつものやり方だ。
「パソコンの方にも原稿は送りましたけど、一応紙でも刷ってきてあるので持っておいてください」
「オッケー、いつも通りに書けばいいんでしょ? アタシに任せてって」
「サークルの活動って形ですけど、出版社がつくんで勝手に成年向けの内容に書き変えないでくださいよ?」
「アタシを信頼してって、ちゃんと芥川先生のストーリー通り書くよ」
「本当に頼みますよ……」
過去に送ったストーリーを、全部R18にしたという暴挙があるのだ。
不安で胃がギリリと痛む。
漫画のクオリティに心配はないが、人間性に心配がある。
口うるさいと言われても、しっかりと打ち合わせをしよう。
「そういえば、タイトルをまだ聞いてなかったね。なんてタイトルにしたの?」
「タイトルは──」
「へぇ。タイトルだけだと、面白くはなさそうだ」
その感想は、奇遇にも自分が最初に思い浮かべたものと同じであった。
原稿用紙の一行目に、書かれたタイトルを読み上げる。
『社会不適合者とネグレクト』
自分が見つけた、世界で一番のネタ。
これを世に知らしめて、春の両親に見せつけてやるのだ。
お前らの捨てた娘は、創作の題材になるほどの逸材だったのだ。
お前らが見向きもしなかった娘は、誰もが夢中になる少女だったのだ。
少女は今も、2人幸せに暮らしているのだと。
評価、感想、誤字指摘等していただけると嬉しいです。
この話でこの物語は終わりになります。
蛇足としてオマケ話を書くかもしれませんが、ストーリーとしては完結になります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




