後日談の後日談
「ふへ、ふへ、ふへへへへ......」
顔が引きつり、口角はねじ上がり、喉からは意味のない笑い声が漏れている。
疲れた、甘いものを食べたい、糖分が欲しい。
そう思いながらも視線はモニターに釘付けで、キーボードを叩く手は止まることはない。
やることが、やることが多い!
そう叫んで全てを投げ出せたらどれだけ楽になるだろう。
頭の中に作ってあった架空のスケジュールは、最早意味をなしていない。
なんで漫画を週刊連載にしたんだ?
なんで小説の方は2か月で新刊を出せるって大見得を切ったんだ?
なんで連載も書かなきゃいけないんだ?
藤川さんと通話で打ち合わせして、新刊を書き上げて、連載の原稿を出版社に提出して、サークルの運営して......
「ふへへへへへへへ!」
大人の知恵熱というものがあるなら、今まさにそれだ。
頭が茹で上がり、普段上げない奇声を発する。
締め切りが多すぎる、脳みそが足りない、手も目も足りない、時間も足りない。
世の中には連載を複数掛け持ちしている人間もいるが、どういう生活と処理能力をしているのだろう。
かの有名な漫画の神様は同時連載数11本だったそうだ。
はは、無理。
「芥お兄さん、変な声したけど、大丈夫?」
カーテンが開く音がして、それから優しい声がした。
大丈夫ではない、限界だ。
そう思った瞬間、ぷつりと集中の糸が切れた音がした。
……今日は、もう終わりでいいか。
忙しいが、集中できない状態でした仕事は余計な手間を生み出すだけだ。
現実逃避のために椅子を倒すと、寄ってきていた春がこちらの頭に手を置いた。
「おでこ、あっついね」
「......勝手にこっちに入ってくるなって言ってるよな?」
「ダメ?」
「よくはないな」
ひんやりとした少女の指先を額に感じながら、視線をカーテンの方に向ける。
狭いアパートに男女が暮らすのだ。
家族ではあるが、それでもプライバシーは必要だろう。
というか、俺が欲しい。
そう思って、部屋を分けるために仕切りのためにカーテンを設置したのだ。
それなのに、春は頻繁に向こうからやってくる。
覚え始めていた羞恥心は、家族となったことでまた無くなってしまった。
こないだなんか、寝袋に入ってこようとして必死に叩き出したばかりだった。
寝袋だけではない。
ことあるごとに、体をくっつけるようになってきた。
『家族って、一緒に寝るもんじゃないの?』
『家族って、ボディタッチ多いんでしょ?』
『家族なら、一緒にお風呂入ってもいいんじゃない?』
……多分、家族って言えば、何してもいいと入れ知恵した奴がいるな。
美羽か、凛子か、藤川さんか。
スマートフォンを買ってあげたのは失敗だったかもしれない。
自分が知らないうちに、変な知識を身に着け始めている。
あとで、全員に釘を刺しておこう。
「ねぇ、めいさんと新しい漫画書いてるんでしょ? 順調なの?」
「順調なんじゃね?」
「なんで芥お兄さんが疑問形なの?」
「俺の体力がこのペースだと続かない気がするから」
「めいさんはさっきも元気に配信してたよ?」
「あのバイタリティお化けと一緒にするなよ」
春には漫画も小説も見せていない。
自分たちが題材の創作を見せるのは、少し恥ずかしかった。
自分のことを美化して書いてるなとか思われたくなかった。
まぁ、いつかは見せることになるんだろうけども。
額に置いてあった指が、ゆっくりと上に動く。
皮膚を這う人の指の感触には、未だに慣れない。
細い指に自分の髪を巻き付けて、また戻して違う場所をなぞる。
春は暇さえあればこうして髪をいじるようになった。
男の髪なんて触って何が楽しいか分からないが、鼻歌交じりに行われるそれを止めることをしない。
……春は変わった。
表情が顔に出るようになって、声もか細い消えそうな声ではなくなった。
身長も少し伸びて、抱きしめれば折れてしまいそうな頼りなさは消えた。
不健康そうな青白さは消えて、体に合わせて揺れる黒髪は室内灯の明かりでさえ反射して光を放っている。
怪しかった常識もマナーも、今はだいぶ改善された。
時折怪しいことを言うが、まあ変わった子だな程度にはなった。
明るく、キレイな少女になった。
なにより、普通になった。
もう、どこに出しても生きていけるだろう。
何も分からず、ただただ雪の下で凍えるだけの子どもの面影はない。
フル回転していた脳の疲労か、成長した子どもを見た感慨深さか。
思わず、その言葉がポツリと口からこぼれた。
「......春はいつ、一人暮らしする?」
数か月も経ったら高校を卒業し、美容師の専門学校への進学が決まっているのだ。
いつまでも、この狭いアパートにいるわけにもいかないだろう。
それに、年頃の娘が男と暮らしていたら、彼氏の一人も作れないだろう。
高校では浮いた話は聞かなかったが、そういったことに興味関心がまるきりないわけではないはずだ。
……自分の悪影響で、恋愛に興味がなかったらどうしようか。
髪を撫でていた指が、ピタリと止まった。
「え、なんで一人暮らし?」
「だって、専門学校ここから遠いだろ。電車で通うには、時間がかかりすぎる」
「それは、そうだね」
「それに、一人暮らししたいと思わないのか? 疲れるだろ、俺との暮らし」
「......芥お兄さんは、唐変木だね」
「なんて?」
最後の呟きは小さく、聞き取ることが出来なかった。
聞き返しても言葉は帰ってくることはなく、乱暴に頭を撫でられるだけだった。
髪がぐしゃぐしゃになって、視界がぐわんぐわんと揺れる。
疲労も相まって、少し気持ち悪い。
「芥お兄さんは、一人暮らししてほしいの?」
「え?」
「芥お兄さんの隣が、私の居場所って言ったのに......」
その言葉を忘れたことはない。
幸せになろうと決めたあの日を、家族になったあの日を忘れたことはない。
ただ、やはり自分という人間は愚かで、学習しない人間のようだった。
自分が考える幸せが、春にとっての幸せではないと痛い目を見たはずなのになぁ。
「......ごめんな。また、勝手に決めつけてた」
「そうだよ。芥お兄さんって、勘違いしがちだよね」
「うるさい、思いやりのつもりだったんだよ」
「嬉しいけど、私の声も聞いてほしいな」
「......春は、どうしたい?」
「芥お兄さんの隣が、私の居場所だよ。今までも、これからも」
「……そうかい。苦労しそうだ、お互いに」
穏やかなほほ笑みを見て、気恥ずかしくなって軽口を叩いて視線を逸らす。
あぁ、何も変わってはいない。
立場が増えて、見た目がキレイになっても、自分たちは何も変わってはいないのだ。
逃避相手で、居場所で、家族。
それだけ覚えていればいいのだ。
「たまには外で、飯食うかぁ」
「ラーメン屋がいいなぁ」
「......もっとオシャレなもの覚えないか?」
「オシャレな食べ物って、なに?」
「......ラーメンでいいか」
「うん、行こ!」
手を引かれて立ち上がる。
昔は自分が手を引く側だったのに、今は引かれる側だ。
まぁ、悪い気分ではないな。
歩き慣れた道、飽きるほど変わらない空、ずっと一緒に居る少女。
新しい要素はなにもないけれど、胸にはいつも新鮮な気分があった。
「帰りに、公園寄って帰ろうよ!」
「またココア?」
「うん!」
「まぁ、いいけどさぁ」
月明かりの下、二人並んで歩いた。
そこには、ただの青年と少女の姿しかないだろう。
物語になるほどの、特徴的なものは何もないのだろう。
それでいいのだ。
書くほどでもない小さな幸せを、春と積み上げていく日々が、楽しいと知っているから。
自分たちはこれで、いいのだ。
評価、感想、誤字指摘等していただけると嬉しいです。
蛇足も書いたので二人のお話は本当に終わりになります。




